浅川夫妻

1/1
前へ
/183ページ
次へ

浅川夫妻

   七月最初の土曜日。晴れて翔は優香と結婚式を挙げた。花のお墨付きだ。まだリハビリは続くが実生活に戻るべきだと花が背中を押した。 「長すぎた春になっちゃ困るからね」  花の言葉を哲平が混ぜ返す。 「とっくに夏だろ。すでに夫婦なんだからもっと早く自由にしてやればよかったのに」  肩甲骨の癒着の心配がまだあったのだ。ある一定以上の可動域が広がらない。再々手術には賛成しないという理学療法士と本人の頑張りのお陰であくまでもリハビリで治療した。 「花さん、いなかったら挫けてたです……真理恵さん、花月、花音もありがとう!」  すっかり家族のようになった宗田家は、優香にとっても翔の実家のようなものだ。 「真理恵さんみたいにはなれないけど頑張ります! 翔さんのこと、ずっと支えていきます」  宗田家で主婦の在り方をとっくりと学んだ優香に、真理恵は念を押した。 「優香ちゃん。どこの家も同じってわけじゃないの。ウチにはウチの、優香ちゃんには優香ちゃんの家庭の在り方って言うのがある。大事なのはね、話し合って分かり合う努力をすることだと思う」 「はい。真理恵さんが花さんをどんなに大切にしているかも良く見させていただきました。いい勉強になりました」  宗田家は、亭主関白である。そしてそう在ることが出来るのは真理恵のお陰なのだと誰もが納得している。真理恵は家を牛耳っていない。亭主を操縦していない。とことん話し合い、花の出した結論に納得のいくまで食いつく。その結果を基に花が決断を下すのだ。それが自然になっているのは、幼い頃から互いを知り尽くしているからこそだろう。どうすれば気持ちよく妥協点に達することが出来るのかを感覚で掴んでいる。  すでに入籍をしていた2人には、形としての結婚式だ。花の挙げた教会で式を挙げ、宗田家で披露宴。  この頃はそれが定例化していて誰も不思議に思わないところが不思議だ。本家夫妻は当然のように受け入れるし、花も胸に一物はあるが黙っている。 「美しい青年と愛らしくさえずる小鳥の心が住まうところ、それが『我が家』だ。場所ではない。それは関係がない。今2人はここにいる。ならば、今はここが2人の『我が家』だ。崩れることの無い意志があれば、どこにいても確かな幸せを感じることが出来るだろう。探してほしい、自分たちの愛の姿を。貫いてほしい、それを守る信念を。お2人に祝福を」  まさなりさんの祝いの言葉は常に神聖な門出の言葉となる。聞いた者の胸を打つ。  この日、涙が止まなかったのは辻家夫妻、優香の両親だ。感動家で涙もろい2人は、雷に打たれたようにまさなりさんの言葉に聞き入った。 「私たちにも、今はここが『我が家』だね」 「どこにいても『我が家』だなんて、安心でいっぱいだわ!」  天然の優香が生まれて当然の両親だ。だからこそ、翔には有難い。寂しさを感じない。 「新婚旅行は?」 「9月の連休に予定してます」 「どこに行くんだ?」 「2人で決めるんです。行きたいところがいっぱいあって」  若い夫婦は新鮮で爽やかだ。  優香は職場で虐めにもあった、らしい。『らしい』というのは本人に自覚が無かったからだ。 『翔さんを独り占めしていい気なものね」 「はい! 嬉しくって」 「病室で辛い思いをして寝込んでいることにつけこんで!」 「私も見ているのが辛かったです……もうそんなことがないように頑張りますね」  そして花がやたら購買部に顔を出した。 「優香、この伝票処理頼んでいいかな」 「はい! お電話ください、伺うので」 「いいんだよ、翔に ”大事な嫁さん” の様子を見てくれって頼まれてるからね。購買にはくっだらない人間はいないか?」 「みなさん、いい方たちばかりですよ」 「本当の意味で "いい方たちばかり" なら俺も文句無いんだけど」  本当の意味ではない "いい方" はたいがいそっぽを向くか下を向くから、そのデスクに片手をつく。もう片方の手は背広のポケットだ。 「『ウチの優香』の面倒、よろしく。頼んでいいかな?」 「は、はい」 「悪いね。俺さ、腐った女嫌いなんだよ。そんなのが近づかないように君が気をつけてくれるよね? えっと、金子恵さん」 「はい!」 「じゃ、期待してるよ、金子恵さん」  そして虐めは消えた。  新しい家庭に遊びに行くのは皆控えるつもりだ。幸せでいっぱいの翔の顔を見ているのが嬉しい。  去年の母を失った時の憔悴した顔を知っているからこそ、なおのこと嬉しくて堪らない。
/183ページ

最初のコメントを投稿しよう!

405人が本棚に入れています
本棚に追加