マリエの涙

1/1
前へ
/183ページ
次へ

マリエの涙

  (熱、やっと下がった)  真理恵はそっと花の額から手を放した。今花はすぅすぅと寝息を立てている。額を触られて起きない花じゃないのに目を覚ます様子も無い。 (バカなんだから)  無理やりに哲平にタクシーで帰された花は玄関を入って青い顔で真理恵に笑って見せた。 「哲平さんから連絡もらってたの」  布団を敷いて氷枕を用意して。子どもたちも「お父さんが病気だから」と大人しく部屋で勉強をしている。タクシーで帰ってくるのだと聞かされた花音はぎゅっと唇を閉じた。花月は拳を握った。もう3年生だ、仕事の厳しさは父や遊びに来るメンバーたちの会話や素振りで分かる。それでも大変なのが父であれば心が痛む。 「哲平さん、仰々しいんだよ。2時間も早退だなんてさ、まだ打ち合わせがあるってのに」  真理恵は叫びたかった。花に『働かなくても生きていけるじゃない!』と。それは宗田本家を思い浮かべれば、という意味だ。 (それって裏切りだよね、花くんには。でも……でも) そんな生き方ができる花じゃないことも承知している。きっとその解放感の中で窒息してしまうだろう。 「なんて顔してんだよ。俺なら大丈夫だから。ちょっとだけ寝る」 「意地っ張り」 「男は意地張ってなんぼ」 「……ばか」  夕べ電話があった、ジェイから。 『明日、行くから!』 「うん。うん、来て。花くんとお喋りして、仕事以外のこと。泊ってのんびりしてって欲しい」 『そうする! 大丈夫だから。大丈夫だよ、真理恵さん。花さんだもん、だから大丈夫だよ』  ジェイの言う意味が充分分かるのだから真理恵は自分を笑った。 「そうだね」  そう言って電話を切った。  愛しい人が疲れ果てて眠っているのを見るのが辛い。それを言えないのが辛い。辛いのは自分の都合なのだと分かっているのが辛い……  真理恵は涙を指で弾いた。 (女房は亭主を甘やかしてなんぼ!)  自分も意地を張らなければ。意地を張りたい夫に意地を張らせるために。花を支えると言うのはそういうことだから。 『マリエ。「頑張れ」って言ってくれよ。マリエがそう言ってくれたら俺、いくらでも頑張れるからさ』 『分かった。花、頑張れ! 立ち止るな、突っ張れ、花!』 『おう! いくらでも突っ張るぞ!』  そして眠った夫。ただただ愛しい夫が静かにそこにいた。  
/183ページ

最初のコメントを投稿しよう!

405人が本棚に入れています
本棚に追加