405人が本棚に入れています
本棚に追加
『なごみ亭』の存在
翌日からランチには花がなごみ亭に顔を見せることになった。楽しくも無さそうに蓮のそばに来て頭を下げる。
「どうした? もう良くなったのか?」
「そうなんだけど。ごめん、昼の休憩一杯席を独占してても大丈夫かな」
「構わないよ、ジェイに聞いてる。そうか、本当に追い出されたか」
そう言う蓮は笑っている。もうあの時の怒りは消えていた。仕方ないのだ、花のことになればジェイの目の色が変わるのは。
「うん。あの強情っぱり!」
「いるのは構わないがどうする? まさかずっとコーヒー飲んでるわけにもいくまい?」
「本持ってきた。この際だから溜まってる本読むよ」
「いいことだ。お前にはいい骨休めだ」
「ちぇ」
ジェイはにこにこしていたが、蓮と目が合って慌てて顔を引き締めた。それを見て蓮はくすっと笑った。
「そうだ、2階に上がれよ。その方が人目も無くてお前も落ち着くだろ。ソファで横にもなれる。ここからランチを持ってって2階で食べても構わん」
「悪いよ!」
「気にするな。飲み物は適当にやっていい。ネクタイ緩めて寛いでろよ。そうしろ」
「……ありがとう。助かる」
こうして花は昼の間、河野家に厄介になることになった。
匠ちゃんの誕生祝いの件は、金曜の海の日に決まった。夕方6時頃から父の施設のそばのホテルに宿泊するのだという。だから日中の早い時間に集まる。妹の沙耶には蓮が電話でOKをもらってある。
ついでにこれは眞喜ちゃんに内緒だが、遅ればせながら眞喜ちゃんの結婚のお祝いも兼ねようということになった。源が熱心に「俺はのんのを連れて来るからさ、夫婦でおいでよ」と誘い、承諾を得た。ささやかな『なごみ亭パーティー』だ。こういうことをやれるのが蓮はなにより嬉しい。
それぞれが華美ではない、心ばかりのプレゼントを用意する。ケーキは2種類。他は店にあるもので賄える。
始め、蓮はホテルでやろう、と言っていたがそれはみんなに却下された。
「敷居が高いって!」
源、伴、光ちゃんにしてみたらホテルという柄ではない。スーツなど着たくもない。
「こんにちはー」
当日、沙耶の明るい声がスタッフルームのドアから聞こえた。
「お疲れ様です!」
これは匠ちゃん。匠ちゃんには眞喜ちゃんのお祝いだと言ってある。
続いて眞喜ちゃん夫婦。みんなは予定の1時間前に来て店の支度をしておいた。
「え、用意済んでるの?」
眞喜ちゃんも匠ちゃんも自分の祝いの会だとは知らない。
「まあまあ、座って」
光ちゃんが一つの大きなテーブルになるように並べた席に案内する。Annaが自宅で作った大きな白いクロスを広げてある。訝しげに座る匠ちゃんと眞喜ちゃん夫婦。
蓮が挨拶をした。
「集まってくれてありがとう。今日はみんなで祝いの席を設けました。匠ちゃん、二十歳の誕生日おめでとう! 眞喜ちゃん、篠内さん、ご結婚おめでとう! この『おめでとう』を言いたくて仕方なかったんだ。今日は遠慮することなくみんなの祝いの気持ちを受け取って欲しい」
驚いているのは3人だ。驚いたままにグラスを持ち上げ、純ちゃんの乾杯の音頭を聞いた。
「おめでとうございます! 乾杯!」
「乾杯!」
飲み干して盛大な拍手となる。
「あの! お礼、言わせてください!」
匠ちゃんが立ち上がった。
「俺……去年、当てもなくここに面接に来て……頼っていいんだって蓮ちゃんとジェイに言ってもらいました。覚えること覚えて他に行ったっていいんだって。資格も取れるもの取っていいって。パソコンも教えてくれて、ワードもエクセルも一通り出来るようになった……そして今、調理師免許のための指導もしてもらってる…… ここで働いて良かったです! 他に行っていいってもう言わないでください。ずっとここにいたいです。沙耶、お前もそう思うだろ?」
「うん。皆さん、お兄ちゃんを助けてくださってありがとうございます! お父さん倒れてからどうしていいか分からなかったです。親戚なんて誰も助けてくれなかった。けどなごみ亭ではそれ以上の手助けをしてもらいました。生活も、お父さんを安心して施設に預けられるのも全部このお店のお陰です。これからもよろしくお願いします!」
去年からの繋がりが一気に蓮とジェイの心に蘇る。親子の人生に関わることが出来て本当に良かったと思う。
「私たちからもお礼の言葉を」
篠内さんが立って、それに続いて眞喜ちゃんが立った。篠内さんからはあの頃のおどおどした様子が消えていた。
「なごみ亭が縁で眞喜ちゃんと巡り合うことが出来ました。僕たちのためにシフトの融通まで利かせてくださっている。こんなに有難いことはありません。僕も眞喜ちゃんも第二の人生を謳歌しています! これも皆さんのお陰です! ありがとうございます。本当にありがとうございます!」
「私からも。蓮ちゃん。ジェイ。源ちゃん。伴ちゃん。純ちゃん。光ちゃん。グランマ! 出会うことが出来て本当に嬉しい。このお店は私の人生の最大の宝です!」
最初のコメントを投稿しよう!