それぞれの夏休み

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それぞれの夏休み

   暑さは残暑となり、夏季休暇で(まば)らになりがちだったなごみ亭にも活気が戻ってきた。  8月31日には早めに店を閉め、男ばかりで飲み会。そこで繰り広げられたのは夏休みの話だ。  海でのんのと過ごしてきた源は真っ黒だ。夫婦としていい休暇を過ごしたらしく、そののろけを一身に聞かされているのは蓮だ。酔っ払い特有の堂々巡りの話が、体の向きを変えても変えても追いかけてくるのに閉口している。  伴ちゃんはいつもの通りツーリングを楽しんだらしく、これまた真っ黒。したたかに酔っぱらった伴はあちこちでおねーちゃんをナンパしたと妙な自慢をジェイに聞かせ、それをまるでいいことのように聞き入ってしまったジェイは、蓮に大目玉を食らった。 「だって! 伴ちゃんはいいのになんで俺は聞いてるだけでもダメなの!?」 「バカっ! お前が女をナンパしてどうするんだ! その女と何するか分かってるのかっ」 「えっと、お喋りして、歌うたって、……さようなら?」 「したいのか!」 「なにをだよ!」 「なにをって! じゃなんでナンパしたいんだ!」  蓮にも酒が入っている。ジェイは聞くだけで満足しているのに、本気で激怒してしまっている。 「女1人ナンパできないなんて男じゃないって伴ちゃんが」 「伴っ!」  蓮の拳が届く前に辛うじて源の拳が伴の顎に入った。蓮の怒りの拳なら顎は砕けていたに違いない。  光ちゃんの夏休みは実態を省いたら何も無い。みんなの話を肴に酒を飲んでいるだけだ。  実際には組抜け……直球で言えば『柴山隊抜け』を計った"若いもん"の潜伏先を探すことで夏休みが消えた。  あいにく"若いもん"は光ちゃんの追っ手を(かわ)せず、瀬川に引き渡された。  瀬川に預けたのは柴山隊長の思い遣りだ。もっと上の地位の者だったら堂元に渡しただろう。だが瀬川が相手だから片足の腱を切って、袋叩きで済んだ。  夜中、救急病院のそばで車がUターンした時にどさっと落とされた若者。それがその『若いもん』だ。  元々、柴山隊の人員は、幹部が引き抜いた者と入隊希望してきた者から選抜されている。他の組とは違って腹の据わった猛者揃いなのだが、たまにこういう"やんちゃな若いもん"が出るのだ。親が知ればその嘆きは深いだろうが、いい年をして自分の行き先を決めたのだから仕方ないと言えないことも無い。柴山隊に入ることがどういうことか、入隊決意前に散々聞かされるのだから。  純ちゃんにはいいことがあった。長いこと闘病生活をしてきたお姉さんの手術が成功して、退院したのだ。今は自宅療養。半年もすれば普通の暮らしが出来るようになるという。姉思いの純ちゃんは毎日なごみ亭の弁当を持って帰る。もちろん、料金の支払いは店長がきっぱりと断った。 「いい? お姉さんを扶養してるんだから責任が重い分、どこかで手を抜かないと。純ちゃんは広岡さんみたいに真面目なんだから」  匠ちゃんのところは、初の別行動で、それぞれ旅行を楽しんだ。沙耶ちゃんは友達と一緒だ。匠ちゃんは寝袋積んでサイクリング。房総半島をすっ飛ばして走ってきたという匠ちゃんは、精悍な『(おとこ)』の片鱗を見せつつある。途中暴走族にも絡まれたらしく、肩には傷を負っている。病院では痕が残るだろう、と言われたらしい。仕事には支障ないと、匠ちゃんはみんなの心配に笑って答えた。  実は匠ちゃん、ジェイから合気道を習っている。ジェイは匠ちゃんに教えるために自分の体を鍛え始めた。それが相乗効果でいい結果を2人にもたらしている。ジェイが少し精神的に強くなってきたのも、『弟子』を持ったことの効果が大きいのかもしれない。  そして匠ちゃんは源、伴、光ちゃん、R&Dからの影響を色濃く受けて、精神的にも肉体的にもあっという間に成長した。入店の頃の面影はもうほとんど残っていない。蓮とジェイからはいろんな分野の知識を注ぎ込まれている。  こうして少年は青年へと進化していくのだ。    
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