哲平の座右の銘

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哲平の座右の銘

  「座右の銘をください!」  哲平は大滝にそう切り込んだ。 「座右の銘?」 「河野さんには『清廉潔白』という素晴らしい言葉を託したじゃないですか。俺も欲しいです」  開けっ広げなその言い方に大滝は笑った。 「お前の座右の銘なら決まってるだろう」 「なんですか?」 「『虎視眈々(こしたんたん)』」 「えええ、それ額縁に入れらんないです!」  蓮が退社して、哲平は蓮の指針『清廉潔白』を花に書かせ、額に入れて壁に飾った。その隣に自分の額を並べたい哲平。 「R&Dの伝統にしたいんです」 「いいじゃないか。『虎視眈々』。哲平らしいとみんな納得するだろう」 「いくらなんでも」 「じゃ、『傍若無人』」 「……まんまじゃないですか! 是非、誇らしいものを」 「考えておく」  そんな一連の流れがあった。 「座右の銘ねぇ……」 「お前ならなんとつける?」  寛いでほしいから、と蓮に座敷に案内された大滝。蓮に日本酒を注がれながら口元が笑っている。 「なんでそんな話になったんですか」 「クリスマスプレゼントをやるっていう話からだよ。坂崎が匙を投げかけた顧客を哲平が掴んできてな、褒美をやるって言ったんだ」 「なるほど。たいしたもんでしょ? あいつ」  哲平のことになると蓮は手放しで喜んでしまう。まるで保護者のように。 「それで欲しがったのが」 「座右の銘。『威風堂々』は合わないか? と抜かしたから『合わん』と却下した」  蓮は吹き出した。一番哲平から遠い言葉のような気がする。 「笑うだろう? 傷ついた顔をしてたんでな」 「慰めた?」 「いや、高笑いしてやった」 「父さんも人が悪い」  蓮の『父さん』呼びはすっかり定着してしまった。大滝といる時だけは、蓮は子どもに返ったような気持ちになる。宗田邸で寝込んだ時、大滝の懐で甘えることが出来た。蓮には初めての感覚だった。 「どうだ、いいのを出せ」  言われて腕組みをして考えた。あ、と気がつく。 「俺が考えるの? 父さんから欲しいんでしょ?」 「お前が出してそれを選択するかどうか。最後に決めるのが俺だ」 「詐欺めいてるでしょ、それ」  そうは言ったが蓮も楽しい。あの男を四字熟語でなんと表すか。 「縦横無尽」 「それだ!」 「待って、それで決まり?」 「いいと思うぞ」 「選択してないし」 「なんだ、他にもあるか?」 「勇往邁進(ゆうおうまいしん)」 「ふむ! ひるまず、ためらわず、ひたすら目的目指して真っしぐら、か。確かに哲平らしい。……裏を返せば『猪突猛進』」 「それは……ひどい!」  大滝はにやにや、蓮はげらげらと笑っている。  そこにジェイが刺身を持って上がってきた。 「どうしたの?」 「お前どう思う? 哲平を四字熟語で言うなら」 「俺? 哲平さんのこと?」 「なにが似合うと思う?」 「これしかないよ、機略縦横(きりゃくじゅうおう)!」  その言葉は大滝の胸にも蓮の胸にもすとんと落ち着いた。意味は、「その場その場に合った考えややり方を自由自在に使うこと」だ。 「なるほど……『機略縦横』。いい言葉だ。それにしよう。ジェイ、これは秘密だぞ?」 「なんの? 蓮のお父さん、誰に秘密なの?」  どう言ったらいいかと、大滝が考えあぐねる。 「いいよ、俺が後で説明しておくから。ジェイ、ありがとうな。助かったよ」  ジェイは訳が分からないという顔のまま出て行った。 「大丈夫だろうな、あの子は素直だから哲平に全部言ってしまいそうだが」 「大丈夫。ちゃんと言っとくよ」 「しかしたいしたもんだ、即答だったぞ」 「ジェイにはそういうとこがあるんだよ」 「のろけか」  月曜日がクリスマス。今日は金曜だ、R&Dの忘年会がある。そこからここに二次会でなだれ込んで来る。貸し切りにしてあるから大滝がここにいる。今日は肩書を忘れてみんなと飲み明かすのだ。  大滝から『機略縦横』をもらって哲平がどんな顔をするのか。 (今から楽しみだな) 哲平の座右の銘を決めたのはジェイということになるが、それは秘密だ。  
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