残り火

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残り火

   今日は年内最後の定期健診の日。ジェイは落ち着いているように見えるから、最近蓮はほっとして見ている。大先生からも大きな注意事項を言われる時が無いし、このまま過ぎていくのだろうと思っていた。 「先にジェイと話しましょうか」  そう言われて、蓮は廊下のソファで小説を読んでいた。いつも大して待たされない。それほどに症状が安定しているのだ。  しかし…… (ずい分長くかかってるな) 最初はそうでもなかった。だが15分経ち、20分経ち、時計を見始める。文章が頭に入ってこない。 (もう30分過ぎてる……) カウンセリングというのは予約が必要だ。普通の診察でこんなにかかると言うのはなにかあったのか。  40分ほどしてやっとドアが開いた。 「蓮! お兄さんたちのこと、いろいろ聞かれちゃった」  どきり、とする。確かに昨日までは花を花として認識していた…… 「蓮司さん、どうぞ」  少し間が空いて呼ばれる。急いでドアを開けた。 「座ってください」  すぐに口を開けた蓮を制するように大先生が椅子を促した。 「どうです? 変わったことはありましたか?」 「特に無いんです、先生、ジェイは」 「蓮司さん。まずはあなたのことです。ごっちゃにしちゃだめです。あなた自身のことを伺いましょう」  釘を刺されて、いつも通り自分のことを話し始める。だが正直言ってきもそぞろだ。 「蓮司さん。いいですか? ご夫婦健康でいるためにも、両者の健康状態を正しく把握する必要があるんです。だからよく考えて話してください」  やっと蓮は自分のことに集中して考え始めた。 「12月に入ってからは忙しかったです。忘年会の時期ですからね、予約がずいぶんと入りました」 「そうですか。ちゃんと休憩を取っていますか?」 「みんながうるさいので。店から追い出されてしまうんです」 「有難いことですね。そうなると年始めも忙しいのかな?」 「ええ、イベントもあるんで」 「イベント? どういうものですか?」 「元在職していた会社での餅つき大会に手伝いに行きます。雑煮の汁物やおしるこを用意するんです」 「楽しそうですね!」 「先生もおいでになりますか?」 「いやぁ、外部の人間ですから」 「社員の家族もますし、大丈夫ですよ。私の身内と言えば」  断ろうとした大先生はちょっと考え込んだ。 「花さん、哲平さんも見えますね?」 「はい。管理職ですから」 「食べに、というより、普段の様子を見たいんですが可能でしょうか」 「もちろん! なごみ亭にも食べにいらしたらいいです」 「……考えてみましょう」  そこまで言われるとよほどのことだと思う。もう我慢できない。 「先生、ジェイの話を聞きたいです」 「いいでしょう。蓮司さんは変わりが無いようなので」 「はい」  大先生は少し前かがみになった。 「何かあったようでね。でもそれを自分で認識していない……普段の状況でなにか引っかかるようなことはありませんでしたか?」 「……特には。先生、ジェイはどんな話をしたんですか?」 「昔の話です。それも話の途中で唐突にです」 「唐突に?」 「まず、あなたや花さん哲平さんがどんなに自分を助けてくれたかを話し始めました。支えなのだと。そうですね、『迷子』というのがキーワードだったような気がしますが、覚えがありますか?」  どくん! と鼓動が跳ねあがる。『迷子』、しばらくその単語は出てこなかった。  蓮はあの当時のことを話した。どんなに『迷子』になることにジェイが恐怖を感じるか。 「そうでしたか。彼が言ったのは『もし迷子になってもきっと蓮が見つけてくれるんだ』という話でした。そして、花さん、哲平さんが助けてくれる、そんな話から2人が『兄さん』に変わったんです。私が思うに、自分にとって他人ではない代表に2人が出てきたんでしょうね。それほど自分を保つのに必要な2人だと」 「でも先生! 原因が分かりません! もうあの事件は終わったんです。その後にも多少のゴタゴタは確かにありました。軽くはないものも。でも今日いきなりそんな状態になるような根拠となるものが分からない」 「これ、私用の緊急用の電話番号です。なにかあったらいつでもかけてください。一気に症状が進む可能性もあります。あなたは普通に。いいですね? 普通にしていてください。2人の話が出ても普通に受け答えするんです。できますか?」 「なんだってやります。2人にも話しておきます」 「それがいいでしょう。原因を突きとめましょう。なにかあるはずです」 (まだ……まだあの事件が尾を引いているのか?) 蓮の中に恐怖が生まれた。  
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