1.彼氏の千円じゃ支払えない

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 秋風の心地いい土曜日。  今日は──夢目乃(ゆめめの) 朝五(あさご)の人生が二十年目を迎えた日だった。  大学の近くのカフェテリアにて、クリームの溶けたカフェロシアンをかき混ぜながら朝五は目の前でスマホを弄る男の顔をじっと見つめる。  実に嬉しげな崩壊具合だ。  その緩みきった頬を引っぱたいてやれば朝五の退屈を理解するだろうか。いやしないだろう。誕生日にまで血を見る喧嘩をしたくない。 (もしもーし? なにデレデレしてるんですかねー。君は俺の恋人くんでしょうに)  口に出すのも手を出すのも悪手な気がするので、心の中で訴えた。  これも、最近はいつものことだ。  学部は違うが同じ大学。  ほとんど幽霊メンバーとして気まぐれに参加しているサークルの集まりで出会ったのがきっかけである。  気と性癖と視線を交えて始めた、男同士のお付き合い。  けれど交際八ヶ月になる彼氏──孝則(たかのり)は、朝五よりも気になる相手ができている。  故に本日も絶賛よそ見中。  デート中だろうが変わらずこうで、朝五の心臓は毛むくじゃらに毛羽立っていた。 「なー。誰からの連絡? 急ぎ?」 「ん? いや、ちょっと。今続いてるから、話切れるまでだけ返すわ」  ほら、この通り。  朝五へ言葉を返す時ですら孝則はこちらを見ない。相手が目の前にいないメッセージは画面に穴が空きそうなほど見つめているくせに、だ。  話が切れるまでだなんて、どうせ永遠に終わらないくせによく言うじゃないか。  朝五はカッフェとチョコソースの混ざった甘ったるい溶液を口に含み、ため息をこらえた。  横恋慕の経験がありすぎて前兆くらいは読み取れる。不要な能力。冴える勘。 「ほーん。でもずっと構ってくれないと、かわいい恋人がヤキモチ妬くぜ~?」  だから、抗う。  朝五はテーブルに頬杖をついて、上目遣いを意識しながらジャブを放った。  鍛えたボディは着痩せするので細いほうではあるが、どこからどう見ても男である朝五がかわい子ぶったって気は引けないだろう。  オレンジ系の金をかき上げ毛先を遊ばせた髪にいくつも開いたピアス。  見るからに派手でかわいげなんかない。そもそもゲイである孝則にかわいらしさを推すのもお門違いだ。  だが、黙って盗られる気なんかない。  こっちを見てほしい。  まだ自分が一番だと、一番であれるよう距離を詰めた。  けれどそんな攻撃は意味をなさず、孝則は渾身の上目遣いを見ることもなくスマホだけを見つめている。  さらなる追い打ちを放とうとするが、それより先に「おっ」と短い歓声をあげ、孝則が立ち上がった。  ガタンと一人分の椅子が鳴く。 「たかりん、どしたの?」 「悪い、朝五。ちょっと急ぎで呼ばれてさ。誕生日なのにごめんだけど、俺行くわ」 「はっ? 嘘マジでっ?」 「あ~いや、マジでごめん」  嘘だろ、と思った。  しかし孝則の表情は現実だ。理解と共に、体温がサァと冷える。 「ンなの困るっ! 映画はっ? チケットとったじゃんっ? それに晩メシも俺、実は予約してて……っ」 「今度埋め合わせるか、予定合わないかもだから他の人と行っていいぜ。ここの払いは俺が持つから、いいだろ? 悪いな」 「いやいやそういう問題じゃなくて──」  朝五は慌てて立ち上がろうとした。  しかし孝則はさっさと財布から千円札を取り出してテーブルに置き、さっさと背を向けて去っていく。  残された朝五は、ポカンと硬直。 「……誕生日とか以前に、一ヶ月ぶりのデートだっつー話なんですけど……」  間抜けな顔で一人哀れにささめきながら、徐々に状況を理解していく脳。  数秒。理解とともに毛羽立った心臓を猫のようにブワッと逆立て、奥歯を擦り合わせながら悔しい息を吐く置き去りの体。 「~~ッてか! たかりんがデラックスチョコパフェ頼むから千円じゃ足りねぇんですけどォ……ッ!」  絞り出すように周囲を気遣った慟哭のあと、朝五はそのままの勢いでテーブルにベタンッ! と突っ伏した。
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