波と凪

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 意味はぼくの浮標(ブイ)だ。言葉の海に溺れるぼくが、しがみついて呼吸をする救命具。けど誰もそんなものに縋らず易々と浮いていて、波にさらわれるぼくを指差し笑っている。 「お味噌汁、チンして食べといてね」 「チンじゃないよね、電子レンジで温めてだよね」 「ハイハイ、そうかもね」 「そうかもじゃなくねそうだよね。他の可能性あるの?」  お母さんはぼくの主張を掌で受け流すと、玄関扉のカウベルを派手に鳴らして仕事に向かった。いつだってそうだ。ぼくの言葉は軽く見積もられる。  昨日のことを思うと学校へ行くのは気が重たい。人間が傍にうじゃうじゃいるだけでも身が強ばるのに、二年になって初めての数学の授業でうとうとしてしまったぼくは、無精髭で浅黒い顔の中年教師に突然怒鳴られた。 「居眠りするなら枕持ってこい!」  いっせいに好奇の視線が注がれた。烏の群れに襲われた気分で足が竦む。ぼくは大声が嫌いだ。そんなに大きな声を出さなくても聞こえますと言うと教科書の角で叩かれた。叩かれた頭よりも何故か胸が痛かった。情報伝達という目的なら、相手の苦手な手段を用いるのは良い方法ではない。そう言って理解を求めたかったけど、喉が詰まって声にならなかった。胸が痛むという比喩が、比喩ではなく現実なんだと発見して少し嬉しかった。  先週そんなことがあったので、昨日の数学に枕を持って行ったら、また怒鳴られた。ぼくは眠るつもりないけれど、その可能性がないとは言い切れなかったので先生の指示に従って念のために持って行ったのだ。言うことを聞いたら怒られた。訳が分からない。  そもそも世界がずれている。ずっとそんな感覚があった。一番印象に残っているのは駅前のスーパーでのことだ。晩ご飯に使う小麦粉が切れていたので買ってくるという、小学五年生なら何も難しくないお遣いだ。ところが店内の「小麦粉・パン粉」の表示のある棚を、いくら探しても小麦粉は見付からない。ぼくは何往復もしつつ、商品を注意深く見た。向かいの棚にチラリと黄色い袋を見かけた気がした。でもそちらを振り向くことはしない。だって「小麦粉・パン粉」と書いているのはこの棚なのだから、ここになくてはならないのだ。一つ一つ指差し小麦粉でないことを確認しているうちに、無駄な努力を強いられているという思いが内臓を縫うように湧き起こってきて、抑えられなくなった。  ぼくは陳列棚の中に両手を突っ込んで小麦粉でもパン粉でもない商品を掻き出し、床にぶちまけた。柱に頭をぶつけたような音がした。店員が振り向いて、手にしていた玉葱を落とした。ぼくはできるだけ多くのものを破壊しなければならないという信念に乗っ取られていた。肘まで棚に突っ込んで、駆け寄る店員に向けて振り抜いた。小麦粉が小麦粉の棚にない世界への、それは怒りだった。  平謝りでぼくを連れ帰ったお母さんは呆然としていて、お父さんはぼくに淡々と何かを言い聞かせた。ぼくは大好きなお父さんに分かってもらいたくて、言葉を尽くして小麦粉の理不尽を説明した。けどお父さんは怒鳴った。 「黙れ。いつもいつも自分の都合のいいことばっかり言いやがって」  殴られはしなかったけど痛かった。針山を飲み込んでしまったみたいだ。ちょっとでも動けば胸の内側から針が突き刺さる。  一緒にキャッチボールをした、将棋を指した、勉強を教えてもらった、お母さんに内緒で一緒にドーナツを食べた思い出。お父さんと遊ぶときだけは心から楽しかった。そこに居場所があった。でもそれは全部ぼくにだけ都合のいいことだったんだ。もう二度と話をできないと思うと目が熱くなった。でも黙るように言われたのだからもう喋れない。  お父さんはその後遠くに行き、お母さんと二人暮らしになった。  小学校ではそれまで通り友だちと話していたけど、何となく外国人や異星人と思われているような距離を感じるようになった。友だちが数人で盛り上がっているところにぼくが入ると、途端に会話がぎこちなくなる。「ワタシエイゴワカリマセン」と言われているようだった。  枕の一件以来、ぼくは中学校で人との関わりを絶った。言葉を交わさなければ溺れることもない。烏に狙われることも嘲笑われることもない。波のない水面にただ浸かっていると、脳がふやけて溶けてしまうのではないだろうか。いっそそうなれば楽だったのに。  そんなぼくが結婚できたのは不思議なものだ。世の中には変わった人もいるということだろう。ぼくが言うのも何だけど。でも間違いなくぼくは妻も息子も愛している。  息子はぼくにそっくりだ。ご飯を食べろと言うと、白米だけ食べておかずを残す。その揚げ句に「あーあ、唐揚げ食べたかったな」とこれ見よがしに言うのだ。いらいらする。 「じゃあとっとと食えよ」 「ご飯だけしか食べたらだめって言われた」 「言ってない。いつもいつも勝手に都合のいいように解釈しやがって」  都合いいはずはないのだ。息子は唐揚げを食べたいのだから。しかし一度言葉の細部に引っ掛かると修正が利かなくなるのだ。そうか、お父さんもこんな気分だったんだな。あの頃のお父さんの傷付きを少し理解できた気がした。できればもう少し早く気付きたかったな。お父さんがまだ生きているうちに。  息子には「黙れ」と言いそうになっても、絶対に言わないでおこうと思う。                              <了>
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!