1人が本棚に入れています
本棚に追加
第一話 妃殿下からのお呼び出し
序幕
神、二つの巨なる御光を創造り給えり
大なる御光には、晝を
小さき御光には、夜を
それぞれ支配たらしめ給ひ
(創世記第一章十六節より)
【武利天語原文】
God made the two great lights:
the greater light to rule the day,
and the lesser light to rule the night.
一
「主文。被告人を懲役二年六月に処す。この裁判が確定した日から五年間その刑の執行を猶予する」
帝紀二六七六年十二月二四日午前十時十分――。
クリスマス・イヴに刑を云い渡されるとうさんの背中を、傍聴席の最前列から見守っていたギンは、そっと菫色のランドセルを抱えて立ち上がると、判決理由を聞くことなく第五四一号法廷を後にした。
彼女には、これから大切な――二学期最後の授業に出ると云う、小学五年生として至極真っ当なる――用事があったのだ。
帝都地方裁判所の外に出たギンは、碧味を帯びた淡い灰色の空の下、白亜の門柱に背を預けるようにして立つ人影に気が付いた。
「へ? かあさん?」
生クリームを思わせる純白のダウンコートに身を包み、苺色のマフラーを首に巻いたかあさんは、笑みを浮かべながらチョコレート色の手袋をはめた両掌を胸の高さでヒラヒラと振ってみせた。
「どないしはったン?」
小走りで、かあさんの元に駆け寄りながら、ギンは、ほんの三時間ほど前にキッチンで交わした会話を思い出す。
「本日、吾輩は、出版社にて非常に重要なる打合せがあるからにして、元夫の『最終公判』などといった瑣末かつ矮小なる雑事に費やす時間など、ミジンコの鞭毛ほども持ち合わせていない、無いといったら無い、ナッシングなのであーる」
斯様に、裁判の傍聴をチカライッパイ拒否した当人が、裁判所の前に立っている――。
この矛盾に困惑するギンに、かあさんは、厳かな声音で事情を明かした。
「ギンちゃん、急な話やねンけどォ、これからなァ、かあさんと一緒に後ろの車、乗ってくれはらへン? お呼び出しやのン」
「お・呼・び・出・し?」
或る予感にかられたギンは、音節を切るようにしてそう復唱すると、かあさんの後ろに回り込むや大きな黒塗りの乗用車の鼻先へと視線を向けた。
予想した通り、通常、登録番号標がある筈の位置にそれは無く、代わって桔梗を象った紋章と帝室の御料車を表す『帝』の銘盤が、初冬の陽光を鈍く照り返していた。
桔梗――。
それは、帝室を支える七宮家のひとつたる『高島宮』の家紋である。
「百合子さん姉さん、から?」
『百合子さん姉さん』とは、ギンの曾祖母の姉上で、銀からみて曾祖伯母、かあさんにとっては、祖母の姉、即ち大伯母にあたる。
年上の女性に対し、下の名の後に「――さん姉さん」と付けて呼ぶのは、ギンらの生まれ故郷である月御門に伝わる云い回しである。
それは――、
「如何に年齢が隔たろうと、親等が離れようと、異国の他家に嫁ごうと、月御門の女は、大きなひとつの姉妹である」
と観念することから生まれた慣習である、とギンは教えられていた。
これに倣えば、かあさんは、玉緒さん姉さんであり、ギン自身は、銀音さん姉さんとなる。
「ん。ご名答。妃殿下からのお呼び出し。さァさァ、取り敢えず、寒いし、乗ろやないのン?」
かあさんに促され、ヒーターが効いた後部座席の革張りのシートに身を沈めると、御料車は、静かに動き出した。
二
「かあさん、打合せは?」
どうせ、とうさんの裁判などには興味が「ナッシング」であろうと見当を付けたギンは、五年の執行猶予が付いた事には触れず、所用の首尾について水を向けた。
「ん? 無事終了。とんとん拍子。次回以降も、訳者は、かあさんでお願いしますって、頭下げて頼まれてしもてン。そしたら、タイミング計ったみたいに、百合子さん姉さんから電話があって……」
如何に電話嫌いのかあさんと云えども、宮家に嫁がれた大伯母さまを相手に、得意の『無礼討ち』――それは、「問答無用! 斬り捨て御免!」と叫びつつ、拒否ボタンをタップすると云う千年の古より伝わりし禁断の技――は、披露しなかったらしい。
賢明な判断と云えたが、果たしてどのような用件なのだろう――?
ギンは、そんな疑問を抱きつつ「それで?」とかあさんを促す。
「車まわすよって、銀音連れて今すぐ来なはれって――それだけ」
「それだけ? 病気とか、怪我とか、云うてへんかった?」
ギンは、世話好き、料理好きである一方、心配性でもあった。その一面がこのような事態では、真っ先に顔を出す。
「病気? まっさかァ、ない、ない、ナッシング」
かあさんは、ギンの問いかけを、「なんて可笑しな質問をする娘だろう」と云わんばかりに、一笑に付した。
「ホテルと、部屋の番号、云わはった他には、なあんも聞いてへン。いつも通りの元気そうなお声やったわァ。安心しィ」
かあさんの返答に、ギンは、取り敢えずホッとしながら、ふと、二カ月ほど前に龍おじさんと交わした会話を思い出していた。
弁護士先生の元を訪問するべく『架空殺人』を依頼したとき、崇敬する叔父は、斯様に宣ったのだ。
「……さァて、ギン? 誰コロソ? まァ、年の順で云うたら、百合子さん姉さんやねンけど……ん? アカンか? そやなァ、あのヒトあと一億年はピンピンしたはるわなァ」
百合子さん姉さんは、御年九五歳――。
今上の天子様の叔父宮たる、故高島宮風仁親王の元に嫁がれたのは、帝国が、月御門と手と手を取り合って世界相手に戦ったあの大戦の最中だと云う。
ギンとの年齢差は、実に八五歳――。
ヒトの一生分の年月に等しい隔たりを有する二人であったが、不思議と妙にウマが合い、メッセージ・アプリ『LIKE』を使ってお喋りをする間柄でもあった。
妃殿下は、常々、
「銀音は、うちと物事の考え方や捉え方が、よう似たはりますなァ」
と発言されており、かあさんの離婚のときも、今回のとうさんの一件も――事件の経緯に甚だ呆れつつも――親身になって相談に乗ってくれていたのであった。
「ふうん、ほな、なんやろ?」
ダウンジャケットのポケットからキッズ・ケータイを取り出したギンは、この八月に開催された、ごく親しい者のみで行われた珍寿のお祝いの席で写したツーショット画像を表示させた。
百合子さん姉さんのアップに結い上げた頭髪は、見事なまでの銀色で――比喩では、ない。本当に銀色なのだ――その髪質は艶やかであり、絹糸を思わせる光沢があった。
白い陶器を思わせるきめ細かな肌には、驚くべきことにシミやシワの類は一切無く、頰も、顎も、ほっそりとしており、無駄な肉やたるみは皆無であった。
長い睫毛に縁取られた二重の大きな瞳と細く整った鼻梁は、若月の女に共通する特徴らしく、こうしてギンと並んで写ると、白い歯――全て未だ自前――を覗かせて穏やかに微笑む百合子さん姉さんとギンは、目鼻立ちはもとより、ややとがり気味の頤の形まで――帝室関係者が、驚嘆するほど――よく似ていた。
「あと五年、いや三年もされましたら、妃殿下と瓜二つでございましょうなァ」
とは、百合子さん姉さんに長く仕える、ある篤実な侍従の発言である。
即ち、この十六歳で宮家に嫁がれた曾祖伯母は、まるで時が止まったかのように、新婚当初の美しい少女の面影をいつまでも残し続けるという――不思議な力を授かって生まれつく『若月の女』の中でも、際だって――特殊な存在なのであった。
この高島宮妃百合子の『不老不死』を体現したかのごとき神秘の美貌は、しかしながら、ギンら若月の一族、帝室関係者の一部、そして親しい友人らにしか知られていない。
三十五年前に高島宮殿下が、七二才で薨去されて以来、公の場に出ることは、一切なかったからである。
「クリスマス・イヴやしィ、ギンちゃんに、どえらいもんプレゼントしてくれはるのンと違う?」
かあさんは、苺のショートケーキの如き甘い未来予想図を披瀝した。
譬えば、こんなとき――心配性の自分とは対極と思える、そのお気楽なまでの図太さをギンは、羨ましく思ってしまう。
「そやったらユキポンも呼ばへんと……私だけご指名ゆうのン、おかしィない?」
優しい姉は、五つ下の妹のことを気に掛ける。
「ん? ユキポン、幼稚園行かなァあかんやろ? 今日は、クリスマス会やねンで?」
「私かて小学校行かなァ、あかんやンか? 今日は、二学期最後の授業やねンで?」
ギンは、かあさんをチロリと睨む。
どうも最近――とうさんに関わる一連のドタバタに関わって以来――『小学五年生』であることが、忘れ去られてしまったように思えるときがある。
無論、サンタさんの存在を信じるほど、子供ではなかったが。
「まあ、ギンちゃん、ええやンか? ホテル着いたら、じき判りますやろ?」
沈思するギンとは対照的に、かあさんは、すっかり寛いだ様子でダウンコートを脱ぐと、備え付けの冷蔵庫からキリン一番搾りのロング缶を取り出すや、プルトップを引いた。
三
「急に呼び出してしもてェ、かんにん。さァさァ、二人とも中へお入り――」
白絹の小袖に菫色の馬乗袴。
その上から纏は、淡い桃色の地に百合と桔梗を散らした中丈の絹羽織――。
準礼装の妃殿下に招じ入れられたギンは、生まれて初めて見るスイートルームなるものへ、おそるおそる足を踏み入れた。
御影石がふんだんに使われたアプローチを抜けると、二十畳はありそうな広いリビングが、ギンの視界いっぱいに広がる。
その瞬間――。
師走の弱い陽射しが差し込む窓を背にして佇む百合子さん姉さんの左手首が、一瞬、山吹色に輝いた。
「きゃっ!」
そう短く叫んだ直後、その体から凛とした清冽な空気と共に、百合と桔梗が疾風のごとく放たれ、ギンの全身を、螺旋状に渦を巻きながら包み込んだ。
(な、なに?)
ギンは、この異常極まる状況に、驚き、立ち尽くす。
光輝く桔梗が、ギンの頰を優しく、優しく撫で上げる。
芳しい百合が、ギンの髪を優しく、優しくすき上げる。
(これって……私のこと気付かってくれはる、百合子さん姉さんの『思い』やわァ……)
ギンは、理由も無く、何故だかそう強く思った。
天の神様と繋がる力を備えた曾祖母――薫子さん姉さん――は、自らの力のことを『銀の力』と呼んだ。
その長姉にして、『不老不死』と見紛う外見の持ち主と云う事実。
更には、かつて曾祖母――薫子さん姉さん――から聞いた、先の大戦に於ける武勇伝。
そんな雑駁とした知識からではあったが、『若月の女』として、百合子さん姉さんが、どのような不思議な力を授かっていても可笑しくない、とギンをして確信せしめる。
(でも……なんやろォ、ええ、気持ちやわァ)
ほんの一、二秒の出来事であったろうか。
ギンは、この夏以来の数カ月に及ぶバタバタ――
・離婚に先立つ『世帯分離』手続き
・離婚に伴う引っ越し
・同転校
・事件に伴う弁護士先生との面談
・同拘置所での接見
・とうさん『再生・更生計画』の発案
・新会社設立
・FC本部への説明及び契約締結
・初公判での『証人尋問』
・同『再現実験』
……等々と云った、どう考えても、全面的に、徹頭徹尾、百二十億パーセント、ホモ・サピエンス史上最強の反面教師たるとうさんに起因する由無し事――のお陰で積もり積もった心の澱が、一気に溶け出し、消え去るような、サイダーを飲んだときのような爽快感と、大きな存在にギュッと抱きしめられるような安堵感を味わった。
(おおきにィ……)
心の中でそう念じると、百合と桔梗が、出現したときと同様、突然消え去った。
それが合図であったかのように、部屋の主はギンに数歩近づくや、少女の華奢な体をランドセルごとギュっと抱きしめる。
「銀音や、よう気ばらはったなァ――」
百合子さん姉さんの涼やかな声音が、耳元から体を構成する細胞一粒ひとつぶに染み入るのを、ギンは、実感した。
(ええ、匂いやわァ)
妃殿下は、石鹸のような良い香りに包まれていた。
「百合子さん姉さん……今のが……『山吹の力』……ですか?」
ギンの背後から、かあさんが、一語いちご確認するように、符丁めいた言葉を用いて妃殿下へ問いかけた。
「ん、さすがは、玉緒やなァ。ええ、目ェしたはる。そや、これが浄化の力・山吹。無茶が過ぎると、ちっちゃな心と体が壊れてまうよってなァ……。今日、無理ゆうて急ぎ来てもろたンは、この為やァ……。ん、よしよし」
妃殿下は、ポンポンっとギンの後頭部を左掌で優しく二度叩くと、回していた腕を解いた。
「さァさァ、銀音や、そこのソファに座りなはれ。いま、熱い紅茶淹れたはるよってなァ。ああ、玉緒には、そこにワインと肴、用意したはるから、あんたは、自由にやりなはれ」
リビングには、クリーム色の応接セットが設えられ、その正面には、大形の液晶テレビが据えられたAVデッキがあった。
右手の大きな窓からは、帝都銀座の街並みを、臨むことが出来る。
「百合子さん姉さん、ご機嫌うるわしう。ほな、遠慮しんと、いただきます」
かあさんは、サイドワゴンから赤ワインのハーフボトルを手に取った。
四
「今日、来てもろたンは、もうひとォつだけ、理由がありますのンやァ――」
百合子さん姉さんは、ギンに、純白のクリームが、ふわふわのスポンジ生地を覆った苺ケーキ、降誕祭の丸太、それと紅茶を給仕し終えると、自らはガラスの酒器に入った冷酒を一口飲むや、左の袂から掌に収まるほどの小さな桐製と思しき箱を取り出した。
箱の蓋には、三日月の形をした文様――若月家の家紋――が薄く彫られている。
「姉さん、少ォしだけ……早過ぎるのンと違いますやろか?」
二杯目のワインをグラスに注いでいたかあさんは、その箱を見るなり驚いたように手を止め、やや遠慮がちに百合子さん姉さんへ問いを発した。
中身が何か、明らかに知っている口振りだ。
一方、ギンは、何が始まっているのかサッパリ判らず、八五歳上の『姉』の理知的な光を湛えた瞳をただただ黙って見つめるのみである。
百合子さん姉さんは、そんなギンの顔を覗き込むようにして言葉を続けた。
「銀音は、十歳と……九カ月やったなァ?」
「はい。来年の三月で、十一になります」
ギンは、コクンと肯いて応える。
その日は、奇しくもギンが設立した新会社によるコンビニ経営がスタートする日でもあった。
冬休み中に、特別編成された研修チームによる『オーナー研修』が、外部に秘匿された上で始まる。
経済効果を皮算用してか、セブン・アイランズ社は、銀カノンがオーナーを務める実店舗の開店に向けて、並々ならぬ力の入れようなのだ。
広報担当さんから伝え聞くに、その日に合わせて、宇宙蛍の初ベスト・アルバムが、リリースされる予定だと云う。
同アルバムに、最大のヒット曲にしてセブン・アイランズ社のCM曲『ミッドナイト』が収録されるのは、云うまでも無い。
こんな大人達の動きを、「バスに乗り遅れるな、やなァ」と、百合子さん姉さんはLIKEで呟き、かあさんは、「浅ましいこっちゃ」と風呂上りのビールを飲みつつ鼻で笑った。
凄まじいまでの利潤追求に対する妄念、執念を肌で感じ、ギンは、いささか以上に怯んでいた。
彼女がやりたかったのは、そう云うことでは無いのだ。
「ん。確かに早いかも知らへん。そやけどォ早過ぎ云うほどでもないやろォ? 千鶴さん姉さんが、うちに『石』を返してくれはったンは十二の夏やった」
百合子さん姉さんは、懐かしむようにそう語ると、左の掌をサッとテレビへと向けた。
どのような仕組みなのかギンにはサッパリ判らなかったが、緑色のLEDが点灯しテレビが起動する。
「それに――少々きな臭い話もある。まァ、これを見てみなはれ」
テレビに映った映像に、ギンは、我が目を疑った。
軽やかに転がる紅と碧の正八面体が、「第一投、一致!」と状況解説する弁護士先生の声音と共に映し出されたのである。
それは――とうさんの初公判における『再現実験』の映像であった。
五
「へ?」
ギンは、そんな間の抜けた声を上げたきり、言葉もなかった。
この部屋に足を踏み入れてからというもの、彼女の予想を遙かに超える――それこそ天が驚き地が動く――想像を絶する出来事の連続だ。
「法務省から内閣官房の某組織に提供された映像や。これは、うちが裏から手ェ回して入手したコピー。どうも政権の中枢が、銀音に並々ならぬ興味を持った、云う事らしィ」
「へ? 興味?」
あの『ミッドナイト』のときと同様に、自分が与り知らぬところで、何かが始まっているらしいことをギンは、ボンヤリと知覚した。
然し、その意味するところは、全く理解できない。
「ん。獲らぬ狸の何とやら……。これも例のバスに乗り遅れるな、と一緒や。『天の神様』と繋がる銀音の力を『国益』の為に活用できひンか、官邸……つまりは、首相直轄の元、検討が始まった云う事らしい」
「へ? コクエキって、なに?」
「ん? 譬えば、『帝国安全保障局』の某氏から、先日開催された首相主催の私的会合で、こないな発言があったらしい」
百合子さん姉さんは、再び左掌をテレビへと向けた。
画面はブラックアウトし、ややくぐもった音声が、広いリビングに流れる。
男A
「我が帝国に向けて射出される悪意ある飛翔体を、その『偶然を引き寄せる力』を利用して、海上で誤爆させるなり、墜落させることは、出来ないでしょうか? 少女を通して、神様とやらに命じれば、良いのでしょう?」
男B
「それが出来るなら、君。海上ではなく、敵国の『地上設備』でやるべきだよ。帝国は、一兵を動員することもなく、敵の核施設を殲滅できるじゃないか?」
女C
「いずれにしろ、『実証実験』みたいなものを、やる必要がありますわね? 仮定に、仮定を重ねるだけでは……。その為にも、少女の身柄を早急に確保することを提案致します。総理、如何でしょう?」
男D
「うむ、実は……現段階では『某国』としか云えないが、そこの出先機関の人間と思われる人物が、少女の周辺で確認された、との情報もある。この恐るべき力が、他国に渡ることは、なんとしてでも避けなければならない……」
女C
「では? 内調を使いますか? 直ぐに動けますが」
男D
「う、うーん(決めかねるように、云い淀む)」
男A
「総理……ご決断を」
女C
「(やや声を荒げて)総理!」
そこで、音声は切れた――。
「はァ……」
・内閣官房
・帝国安全保障局
・飛翔体の誤爆
・敵の核施設の殲滅
――会話が進む都度、ギンの混乱は益々深まる。
そんなギンに代わって口を開いたのは、かあさんだった。
「ちょ、ちょっと待っとくなはれ、姉さん。ギンちゃん、エライことに巻き込まれてしもたァ……云うことですか? 百合子さん姉さんのお力で、なんとか、ならァしまへンかァ?」
こんな切羽詰まった物云いをするかあさんを見るのは、ギンは、初めてだった。自らの離婚に際しても、終始、飄々としていたと云うのに。
「玉緒や。皇族にはなァ、政治にクチ挟んだらあかん云う決まり事がある。しかも相手は、官邸や。陛下にご迷惑かける訳には、いかへん。表向きは、なあんもできひン」
百合子さん姉さんは、のんびりとした口調で、諭すようにそう語る。
「そない、云うたかて……」
納得いかないらしく、かあさんは、なお食い下がる。
「玉緒や、まァ、聞きなはれ。『表向き』云いましたやろォ?」
百合子さん姉さんは、冷酒を一口飲むと、悪戯好きな少女のような笑みを浮かべた。
ギンは、以前、敬愛する弁護士先生が同じように笑ったことを唐突ながら思い出した。
「安心しィ。裏からやったらなんぼでも力になれる。『若月の姫巫女』に手ェ出すようなアホには、たっぷりお灸据えたろやァないのン? そやからなァ、銀音。先ずは、これを」
百合子さん姉さんは、桐箱の蓋を開けると、中に収まっていた物を取り出した。
それは、腕輪だった。
鏡のように磨かれた一センチ程の幅の銀色の板が幾つか連なり、腕時計のように手首の周りを覆う造りをしていた。
板の表面には微細な加工で絵文字のような図柄がほどこされており、その中央、文字盤に当たる一際大きな台座に、五百円硬貨ほどの大きさの、滑らかな黒い石が埋め込まれている。
「この石はなァ、あんたが、産まれたときに左掌に握ってはったもンやァ」
「産まれたときに? 百合子さん姉さんのと……同しやわァ」
ギンは、腕輪をジッと見つめたまま、そう感想を述べる。
妃殿下の左手首にも、まさに同じ腕輪がはめられているのだ。但し、百合子さん姉さんの石は、黒ではなく淡い菫色だ。
「玉緒や。あんたのも、見せてあげなはれ」
その声にかあさんは、無言で従い、ブラウスのボタンを二つほど外した。首から下げた銀色の鎖をたぐり寄せ、やはり銀色の台座に収まった石を披露してくれる。
かあさんのそれは、鮮やかな紅色だった。
「月御門の女はなァ、必ず、左掌に石を握って産まれて来はる。そして、この石を身につけることで、本来の己が完成し、父神さま、母神さまから授かりし力を、自在に操れるようになる……。まァ、智恵板の最後の一片みたいなもンやなァ……。さァ、左手をお出し――」
ギンは、百合子さん姉さんに命じられるまま、黙って左の腕を差し出した。
カチャリと乾いた音がして、腕輪が手首に装着される。
(あっ、重ォないわ。軽ゥ……)
不思議と重さは感じられず、からだの一部のように軽いことに、ギンは驚いた。
その瞬間――。
黒石が、眩い光を放った。
「ひゃっ!」
叫ぶのもつかの間、輝きは直ちに収まる。しかし劇的な変化が、あった。
石の色が黒から紫、いや淡い菫色に変わっていた。
それは、ギンのランドセルと同じ色であり、少女が、一番好きな色だった。目の前に座る、百合子さん姉さんの石と、同じ色だった。
「ええかァ? 銀音。よう、聞きなはれ? あんたはなァ、薫子とは、違て、石、持たへんでも、『天の神様』と繋がる力・銀を自在に操ることが出来た。それは、何故やと思う? それはなァ、あんたが選ばれた、特別な存在だからや。その証が、これや」
百合子さん姉さんは、ギンの左手首を飾る菫色の石を、ほっそりとした指で指し示した。
「見てみなはれ、きれェな菫色やねンなァ? 最上位の力・菫を、あんたは授けられたはる。うちとおんなしや。この力――質量とエネルギーを自在に操る力・菫と、因果律に干渉する力・銀があれば……まあ、大概のことは、切り抜けられる。その気になれば――」
百合子さん姉さんは、そこでいったん言葉を切ると、左掌をまたもやテレビに向けた。続いて表示されたのは、『ユキポン超能力研究所』の動画である。
上手から登場したIQ九億八千万の天才、ユキポン博士が、帝国臣民に対し世界征服の野望を説き始める。
「その気になれば、そやなァ……国ひとつ、滅ぼすことなど造作もあらへン。このアイザック・ユキポン博士の野望も現実味を帯びる、云うことやァ」
百合子さん姉さんは薄く笑うと、ガラス製の酒器を手に取り、冷酒に満たされた杯を干した。
テレビ画面では、下手から現れた、アフロヘアのウイッグを付けたギンが、自己紹介を始めた。
「いつも『ユキポン超能力研究所』をご視聴いただき、ありがとう御座います。ボクが、助手兼太陽系最強のエスパー、天の神様の使用人ギンちゃんです……」
ギンは、今度こそ度肝を抜かれ、呆けてしまった。
かあさんが、先刻予言した通り、これは、どえらいクリスマス・プレゼントだった。
その時――。
ギンの耳に、いや頭に、声を介さない言葉が、響き渡った。
(ギンちゃん、ギンちゃん、助けてェ!)
それは、五歳下の妹、雪歩が発する、救いを求める『思考』であった。
最初のコメントを投稿しよう!