第二話 ユキポン博士の冒険

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第二話 ユキポン博士の冒険

六  ギンの脳内を、幼い妹が発する『思考(しこう)』が、雷光のごとく駆け抜けた。  幻聴(げんちょう)空耳(ソラミミ)などでは決して無い。  今まさに、最愛の妹の身に凶事(まがごと)が起こり、自分に助けを求めているのだ――。  ギンは、微塵(みじん)の疑いも無く、そう確信した。  見ると、左手首の石が、(スミレ)よりも(ミドリ)が強い、(アイ)がかった光を発している。 「ユキポン……!」  我れ知らず、ソファから立ち上がったギンは、かあさんに、そして百合子さん姉さんに、視線を忙しく移動させながら、この異常極まる非常()事態をなんとか理解して(もら)おうと、(ほとばし)る激情と共に言葉を発した。 「ユキポン、私のこと呼んだはるわ! たいへんやァ! 百合子さん姉さん、どないしよ? どないしたらええ?」  そう口にした途端、ギンは、たったいま聞いたばかりの、『首相主催の私的会合』とやらの、怪しげな大人達による、怪しげな会話を想起し、途方(とほう)もない後悔(こうかい)自責(じせき)の念に駆られる。 「私の、せえやわ……!」  妹を危険に(さら)した原因を作ったのは、自分だ。  親切心が発端(ほったん)とは云え、裁判と云う公開の場で、『天の神様』にお伺いを立てるところを実演したばかりに、とんでもない事にユキポンを巻き込んでしまった――。  ギンの華奢(きゃしゃ)な両肩が、己の浅はかさに対する怒りで、小刻みに震える。  かあさんは、そんなギンに、「どないしはったン?」と応じつつ困惑の表情を浮かべたが、百合子さん姉さんの反応は、違った。 「銀音(かのん)や、先ずは、落ち着きなはれ。『思考』を伝え合う力・(アイ)は、心が乱れると、()を上手ァく拾えへンようになる」  十代半ばの少女の如き外見の曾祖伯母(そうそはくぼ)は、数千年の年月を経た旧き神々のごとき崇高(すうこう)さと威厳(いげん)を感じさせる声音(こわね)でもって、ギンをそう制した。 「玉緒(たまお)や。銀音(かのん)が、いま云うた通りや。アイザック・ユキポン博士が、太陽系最強のエスパーに助け、求めたはる。『皮算用』の連中か誰かは判らへンけどォ……どこぞのアホが、どうやら銀音(かのん)やァなしに、雪歩(ゆきほ)に手ェ、出したらしい」 「ユキポン……に? 手ェ?」  かあさんの美しい両眼が、見開く。  (しか)し、それも一瞬のことで、直ぐに表情の変化は、収まる。 「銀音(かのん)や、安心しい、大事おへン。信頼出来る(もん)に、朝から雪歩(ゆきほ)のこと監視させてあるよってな。さァ、『思考』に耳ィ、傾けてみなはれ。やり方は、わかったはるな?」  百合子さん姉さんの言葉に、ギンは、小さく肯いた。  そう――。  ギンは、『そのやり方』を()()()()()。  小指の爪ほどもない小さな蜘蛛(クモ)が、誰に教わったでもないのに、美しい六角形の巣の張り方を知っているように――。  ギンは、宙空を(にら)み、意識を集中させる。  その瞬間――。  (たちま)ち菫色の石が、藍色の冷たい光を発した。  すると、ユキポンの()()よりも遙かに明瞭(めいりょう)で、鋭角的(えいかくてき)な『思考』が、ギンの脳内に響き渡った。 (……車が、動き出す。白のワンボックス。犯人は、サンタとトナカイの格好をしている。故に、人相は不明。運転手役は、金髪の若い女。白人だ。ユキちゃんは、眠らされたのか、グッタリしているが、無事だ。このまま後を追う)  百合子さん姉さんは、「信頼できる者」が発信して来る、理路整然(りろせいぜん)とした『思考』に、やはり『思考』で応じる。 (ん。雪風、おおきにィ。あと三秒で、銀音(かのん)がそっちに行く) 「へ? 雪風――?」  雪風とは、雪のような真っ白な体毛をした、百合子さん姉さんの愛犬の名である。  ギンらが高島宮(たかしまみや)邸に遊びに行くと、いつも真っ先に尻尾を振って出迎えてくれるのが、この絶滅したと云われて久しい『ツキノワオオカミ』の末裔(まつえい)だ。  ギンは、この明確な『思考』の発信者が(ワンコロ)だと知り、一瞬、唖然(あぜん)とするが、もはや取り乱しはしなかった。  今するべきことは、只ひとつ――『雪風』と合流し、ユキポンを助け出す事だ。 「ん、ええ面構(つらがま)え、ならはった。銀音(かのん)や? (クレナイ)を使いなはれ。やり方は、わかったはるな?」  百合子さん姉さんに促されたギンは、またもや小さく肯いた。  そう――。  ギンは、『そのやり方』を()()()()()。  卵から孵化(ふか)したカッコウの(ヒナ)が、誰に教わった訳でもないのに、本来の巣の持ち主の卵を外に押し出すように――。  ギンは、左掌を――三日月の形をした頸元の和毛(にこげ)が銀色に輝く、美しい老犬の姿と、天真爛漫(てんしんらんまん)な幼い妹のことを強く念じながら――師走の帝都の街並みを臨む窓へと向けた。  手首の石が、かあさんの首飾りと同じ鮮やかな紅色(クレナイ)に染まり、強い光条を四方に放つ。  その瞬間――。  ギンの左掌前面の空間が、陽炎(かげろう)のように()()()()()かと思うと、突如、直径二メートル程の漆黒(しっこく)の円――『転移門(ゲート)』――が、出現した。  飛翔(ひしょう)時空跳躍(じくうちょうやく)を司る力・(クレナイ)が、発動したのである。 「さァ、行きなはれ!」  ギンは、小さく頷くと、眼前に広がる暗黒の(ふち)に向かって勢い良く飛び込んだ。 七  ギンは、思い出していた――。  幼い頃、月御門(ツキミカド)曾祖母(そうそぼ)・薫子さん姉さんから繰り返し聞かされた、古い、古い、神話を。 *   *   *  それはなァ、ギンちゃん。  昔、昔、神代(かみよ)の頃のお話しや――。  この大八洲(オオヤシマ)の大地を統べる神、石長比売(イワナガヒメ)さまは、妹神、木花咲夜比売(コノハナサクヤヒメ)さまと共に、ある神の元へ、お嫁に行かはった。 ――お嫁さん? 二人で?  ああ、そや。  (とつ)いだ先の神さまの名は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)――。  帝国を()べらはる天子さまの遠い、遠いご先祖さまやなァ。  ところでなァ、ギンちゃん。  この姫神さま達の父である大山祇(オオヤマツミ)神は、美しい石長比売さまのお顔を、わざと岩のような、ゴツゴツとした顔に変えた上で、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)のもとへ送り出しはったんや。 ――ええっ? なんでそないなこと?  瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)がなァ、『目に見えるものしか見えない』男なのか、それとも『目に見えぬものの価値を知る』人物なのか、それを知りたかったンや。 ――ふうん……  さて、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)はなァ、醜い石長比売さまを追い出して、美しい妹神、木花咲夜比売(コノハナサクヤヒメ)と結婚することに決めよった。 ――石長比売さま、かわいそうやァ  ああ、ギンちゃんは、優しい子ォやな。  さて、大山祇(オオヤマツミ)の神は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に、こない語らはった。 「石長比売を差し上げたのは、あなたの統べる地が、金、銀、銅、鉄、蒼玉(サファイア)翠玉(エメラルド)金剛(ダイアモンド)……あらゆる鉱物、宝石に恵まれるよう誓約(うけい)を立てたからです。醜いという理由で娘を送り返したあなたは、目に見えぬものの価値を知らぬということ。『地下に眠る宝』を得ることは、けっしてないでしょう」  帝国が、地下資源に乏しいのは、この為なンやァ。 ――アホやなァ  そやなァ、ギンちゃんの云わはる通りや。  さてさて、このアホに追い出されてしもた、石長比売さまや。  もう、悲しうて、悲しうて……ひとりっきりで、毎日、泣いてお暮らしになった。 ――石長比売さま、かわいそうやァ  ところがや――。  この様子をなァ、天から、ずっとご覧になられていた一柱の神が、いてはる。  天の神様――。  月夜見(ツクヨミ)さまや。 ――天の神様!  そや。ギンちゃんが、お繋がりしたはる、天の神様や――。  月夜見さまはなァ、石長比売さまを、たいそうご心配されはってなァ、そのお気持ちはいつしか愛へと変わり、ついにお二方のあいだに一柱の、それはそれは美しい女神さまが、お生まれにならはった。 ――うわァ……  その女神さまは、名を『若竹香具夜比売(ナヨタケノカグヤヒメ)』さまとおっしゃる。  月夜見さまはなァ、石長比売さまに八夜八晩にわたり御光(ミヒカリ)を注ぎ、『大いなる御魂(ミタマ)』も共におつくりにならはった。 「若竹香具夜比売(ナヨタケノカグヤヒメ)よ。この御魂(ミタマ)をおまえに(さず)けよう。この御魂を(おおい)なる石に封じよ。そして、望月の夜に飛び出す分霊()――(タマシイ)のことやなァ――を宿し、子をなせ。その子らは、私と石長比売さまとの娘であり、お前の妹である」  香具夜比売(カグヤヒメ)さまはなァ、月夜見さまの仰せに従い、大きな大きな丸い玉石に、御魂(ミタマ)(ほう)じはった。  こないして迎えた、最初の望月の夜――。  月夜見さまのお言葉とおり、玉石から光り輝く四つの分霊()が、飛び出して来はった。  分霊()は、香具夜比売(カグヤヒメ)さまのからだに宿り、四柱の美しい女神さまが、次々とお生まれになったんや。  これが――  若月(ワカツキ)  霜月(シモツキ)  香月(カヅキ)  観月(ミツキ)  の家の始まりなんェ? ――へえ……そやったンかァ 「その子らにも分霊()を宿らさせ、子をなさせしめよ。その子らも、私と石長比売さまとの娘であり、お前の妹である。さらにその子らにも、さらにその子らにも」  こないしてなァ、月夜見さまを父、石長比売さまを母とする女神の姉妹は、世代を重ね、どんどん増えて行き、いつしか姉妹達の村は、町となり、国となったんや。  大和人(ヤマトビト)――帝国の人達のことやなァ――は、この美しい女達の国を(おそ)れ、こない呼ぶようなった。 ――月御門(ツキミカド)?  そう、月御門――(ツキ)(ミカド)や。  日の神の天子さま、つまりは帝国の()が及ばぬ『国』、云う意味やなァ――。 *   *   *  高次空間内でのギンの回想は、通常空間における時間の流れでいえば、文字通り刹那(せつな)――十のマイナス十八乗秒、すなわち百京分の一秒――で終わりを遂げた。  (ゲート)が、開く――。  蒼穹(そうきゅう)疾走(はし)る雪風の白い体躯(からだ)を、ギンは、眼下に見た。  理知的な思考が、ギンを出迎える。 (ギンちゃん、私の背中に飛び乗りなさい)  ギンは、地上五百メートルの冬空へとダイブした。 八  高次空間から、師走の帝都の空へと降下(ダイブ)したギンは、澄みきった初冬の大気を砲弾のように切り裂きながら、質量とエネルギーを司る力・(スミレ)を解き放った。  ギンは、自らの『運動エネルギー』と『慣性質量』を巧みに操り、天空を疾走(しつっそう)する雪風と相対速度(そうたいそくど)を合致させると、その、虎か獅子かと見紛(みまが)うほどに巨大化した体躯(からだ)の上で華奢(きゃしゃ)肢体(したい)をクルリと反転させ、背に(また)がった。 「かんにん、雪風。遅なってしもたァ、車は?」  ピンと(とが)った形の良い耳に薄い紅色の唇を寄せ、四カ月ぶりに会うツキノワオオカミの末裔(まつえい)にそう謝るも、彼女の目下の最大の関心事は、やはり五つ下の妹の所在であった。  何故、これ程――胸から尻までの長さは、優に二メートルを超えている――まで大きくなっているのか? といった疑問は捨て置き、犯人の行方を問う。 (いや、キッチリ三秒。遅くはないさ。サンタの車は、私の二百メートルほど真下だ……。いまは、『一般帝国道一七号線』を、法定速度を守って北上中。ひと目があるからこれ以上は高度を下げれないが……なあに、私の鼻からは逃げれやしないよ。だからギンちゃん、安心しなさい)  雪風は、顔を背に回しながら状況を簡潔に説明した後、小さな騎手の心情を(おもんばか)るかのように、そういたわりの『思考』を発した。  その頸輪に輝く石の色は、かあさんと同じ、鮮やかな紅色(クレナイ)である。 (久しぶりだね、ギンちゃん。百合ちゃんの珍寿のお祝い以来だから、四カ月ぶりか? もう立派な淑女(レディ)だな。その巫女装束(みこしょうぞく)も良く似合っている) 「へ? ミコショウゾク?」  雪風にそう水を向けられたギンは、己の体に視線を走らせる。 「あれ? なんやのン……これ?」  白絹(しらぎぬ)小袖(こそで)に菫色の馬乗袴(うまのりばかま)。その上から(まと)うは、銀色に光輝く千早(ちはや)。  足元は、革の短深靴(ショートブーツ)。  髪も、かつてのように、いつのまにかに伸びていて、後頭部の高い位置でひとつにまとめて、下ろしている。  まるで(シロガネ)カノンが、和装のコスプレをしたかのような出で立ちである。  もしこの場に、『セブン・アイランズ』社の広報担当さんがいたら、小躍りして喜んで、販促物を作るべくスタジオへ強制連行するに違いない――。  少しだけ心に余裕が出来たのか、ギンは、そんな他愛ない想像を巡らせたが、直ぐさま現実へと思考を切り替えた。  『コスプレ』と云えば、先ほどから気になることがあったのだ。 「ねえ、雪風。サンタさんとトナカイが、犯人なの?」  ギンは、事件の経緯について雪風に尋ねた。 (ああ、学生ボランティアを名乗って、突然、訪ねて来てね。『高齢者施設にお菓子を配る予定だったが、先方の都合で中止になった。ついては、子供達にプレゼントさせて欲しい』との説明で教職員を信用させ、園内に、まんまと招じ入れられたんだ。そのとき子供達は、園舎の外にいたもんだから、運動場はたちまち狂喜乱舞(きょうきらんぶ)の大騒ぎさ)  雪風は、詳細な目撃情報を語りだした。  百合子さん姉さんから、 「銀音(かのん)が、かたァつけはるよって、手出し無用」  と言い渡され、情報収集に徹していたらしい。 (サンタが、興奮状態の子供達に囲まれる。大人を含めて、外に居た者全員の関心が、一斉にサンタに集中した……)  トナカイは、菓子が入った大袋をサンタに渡すと、用は済んだとばかりに輪から離れる。  誰一人として、そんな動きを注視する者は、居ない。  一方、外国籍と思しきサンタさんは、子供達に名を名乗るよう誘導する。 「お名前は、なんてゆうのですか?」 「マエハラショウタです!」 「ショウタくん、ショウタくん……」  サンタさんは、幼児が告げた名を繰り返しながら、大袋の中に手を入れ、お菓子を探すフリをする。 「ああ、ありました。はい、ショウタくん。メリークリスマス!」  子供達にしてみれば、自分の為に特別に用意されたプレゼントを貰ったと思うことだろう。  教職員の誰もが、児童心理を巧みに突いた演出だと思ったに違いない。  (しか)しながら、ギンは、その裏に隠された真意を正確に見抜いていた。 「氏名と顔を確認する為……?」 (ああ、私もそう思った。それこそが、今日の訪問目的だったのではないかな? つまりは、調査段階。あの真っ赤な帽子の中に、カメラが隠されていたとしても、私は驚かない)  トナカイは、砂場の側で、喧噪(けんそう)を見守っている一人の幼女に気付くや、近づき、話しかける。  幼女とは、他ならぬユキポンだ。 (トナカイが、ユキちゃんに話しかける。音声は聞こえなかったが、おそらくは人相と名を確認したのだろう。そして、目標(ターゲット)とする幼女を見つけた。周囲を目ざとく見渡し、誰からも見られていないこと、車まで至近の距離であることを確認するや、千載一遇(せんさいいちぐう)の好機とばかり……犯行に及んだ)  ユキポンは、昨年末よりサンタさんの存在を信じていない。  何故なら、他ならぬとうさんが、枕元にプレゼントを発見し、驚喜する末娘へ、真実を――サンタクロースとは、偉大なる父であると――語り聞かせたからである。 「あちゃあ……ユキポン、めっちゃ()()()()()はるからなァ、サンタさんと、とうさんには……」  五歳の幼女の頭の中では、その後の『十二万円窃盗(せっとう)事件』やら、『離婚』やら、本物の『刑事裁判』やらを経て、  サンタさん = とうさん  とうさん  = ダメなひと  サンタさん = ダメなひと  といった公式が、揺るぎなく存在していた。  これを、『アイザック・ユキポンの定理』と云う。  ユキポンにとってクリスマス・イヴとは、大好きな歌を歌い、もっと大好きなケーキを食べるイベントに過ぎない。 (今回は、その辺の特殊な事情が、サンタ達に有利に働いたな。トナカイが、事を成し遂げると、サンタは大袋を教職員に渡すや、そそくさと幼稚園から立ち去った。おそらくは、車内から指示が出たのだろう。以上が、三分前に発生した事件のおおよその経緯だ。白昼堂々の誘拐劇……行動は大胆すぎるくらい大胆だが、つまりは、イレギュラーなる()()の要素が、過分にはたらいている)  雪風の指摘は、極めて論理的だ。  そしてギンは、ある言葉にひっかかる。  それは、先ほどからムズムズと心の奥底で感じていた違和感を惹起(じゃっき)する。 「()()……」  かあさんの打合せが終わった途端、百合子さん姉さんから電話が入った。  これは、偶然か?  百合子さん姉さんから『石』を授けられた途端、妹の『思考』を捉えた。  これは、偶然か? (天の神様が、引き寄せはった……?)  そんなギンの考察を断ち切るように、雪風は、今後の行動についてギンに問う。 (さて、このまま尾行()けて背後関係を突き止めるのが上策だと思うが……ギンちゃんの考えは?)  優秀なる作戦参謀(さんぼう)意見具申(いけんぐしん)に、ギンは、迷うことなく即答した。 「かんにん、雪風。私は、ユキポンを、先ずは助け出したい。それが、最・最・最優先」  得たいの知れない者達の側に、いつまでも妹を置いておけない――そんな姉としての感情が、雪風が説く戦略的な視点よりも、勝った。 (ふむ……承知した。では、具体的な行動に移るとしよう)  雪風は、自らの考えに拘泥(こうでい)すること無く、ギンの意思を尊重(そんちょう)した。  ギンは、ひとつ肯くと左掌を天に向かって突き上げた。  手首の石が、眩いばかりの菫色(スミレ)の光を発し、その霊光は、ギンと雪風の全身を包み込んだ。 (おお……)  雪風の驚嘆の思考が、ギンの頰を撫で上げる。 (雪歩(ゆきほ)、いま、助ける!)  ギンは、天穹(そら)()ぎはらうように、左腕を勢い良く振り下ろした。  『質量』と『エネルギー』を司どる力・(スミレ)が解放され、サンタ達が乗る車両にのしかかる此の惑星の重力に、『干渉』を開始した。 九 (雪歩(ゆきほ)ちゃん……、ユキちゃん……)  雪歩――ユキポンは、彼女を呼ばわる声に(いざな)われ、眠りから覚醒(かくせい)しつつある。 *   *   *  夢の中でユキポンは、IQ九億八千万の天才アイザック・ユキポン博士として、悪の帝王サンタ・クロースとその忠勇なる(しもべ)たるトナカイに捕らえられていた。  自らが、疾走(しっそう)するソリの荷台の上に寝かされていることは判るのだが、トナカイが放った魔法のせいだろうか、体が全く動かない。 ――吾輩(わがはい)と、したことが!  ユキポン博士は、自らの不覚を、かあさんの()の言葉ではなく、帝国標準語で恥じた。 「お菓子が重くて一人じゃ運べないんだ。手伝ってくれないかなァ?」  そんなトナカイの言葉を真に受け、(あふ)れんばかりの親切心と小さな背中を、あの赤鼻の(ケダモノ)に見せたのが失敗だった。  (トナカイ)は、卑怯(ひきょう)にも無防備なる背後から、禁断の昏睡魔法(こんすいまほう)を仕掛けて来たのである。  朦朧(もうろう)とする意識の中で、有能なる助手にして太陽系最強のエスパーたるギンちゃんに、危機を知らせた気がするが……今となっては、その記憶すら曖昧(あいまい)なユキポン博士であった。 ――なんとゆう失態(しったい)であーるか!  ユキポン博士が、自らの甘さが招いた致命的な失策に慨嘆(がいたん)したその時――不意に、彼女の名を呼ばわる声が、響き渡った。 (雪歩や、雪歩や……) ――ユリちゃん?  その声は、この八月にお会いした、百合子さん姉さんことユリちゃんのものだと直ぐに判った。  しかし、体が動かない為、その美しい姿を確認することはできない。 (さァ、雪歩や。これ使(つこ)て戦いなはれ)  ユキポンは、虹色に輝く石をはめた魔法のステッキを、いつの間にか左掌にギュッと握りしめていることに気が付いた。  (ベニ)  (アカネ)  山吹(ヤマブキ)  (ミドリ)  (アオ)  (アイ)  (スミレ)  石は、まるで生きているかのように明滅し、その度に、虹を構成する七つの色へと変じるのだ。 (さァ、雪歩や。変身しなはれ! やり方は、わかったはるな?)  ユリちゃんに促されたユキポン博士は、力強く肯いた。  そう――。  ユキポンは、『そのやり方』を()()()()()。  ミツバチが、誰に教わった訳でもないのに、蜜の在処を仲間に伝える『8の字』ダンスを踊れるように――。  超能力研究の大家は、明滅を繰り返す石に向かって強く念じ、そして、鋭く叫んだ。 ――魔法少女見習いユッキーナ!  ユキポン博士の体は、たちまちステッキから放たれた七色の光に包まれると、ソリの荷台から空へとフワリと浮き上がった。  園児服が、いつの間にやら淡い桃色と白を基調とした戦闘服(コスチューム)へと変わっている。  異常に気が付いた悪乃帝王(サンタクロース)とトナカイは、ユキポンが漂う地上五メートル程の空中を、悔しそうに睨み上げる。  天才アイザック・ユキポン博士が、魔法少女見習いユッキーナと同一人物だと知り、驚いているに違いない――ユキポン博士はそう確信し、ほくそ笑む。 ――さァ、覚悟するのであーる  ユキポン博士こと魔法少女見習いユッキーナは、左手に握った魔法のステッキを、空を切り裂くような勢いで振り下ろした。  その瞬間――。  ステッキの先端から(ほとばし)る菫色の光条が、サンタとトナカイを包み込むや、二人の大柄な体は、弾けるようにして天空の高みへと舞い上がった。  それは、重力を制御することで、月の世界に相手を強制的に連行してしまうユッキーナ最大最強の技であった。 ――二人とも、懲役二年六カ月! ――市中引き廻しの後、お尻ペンペンであーる!  サンタとトナカイは、月に(ましま)す『天の神様』の元へと悲鳴を上げながら旅立って行った。 ――これにて、一件落着であーる  その姿が小さな点に変わるまで空を眺めていたユキポンは、再び、彼女の名を呼ばわる声を聞く。 (雪歩(ゆきほ)ちゃん……、ユキちゃん……) *   *   *  雪歩が目覚めたのは、園舎内にある休憩室のベッドの上であった。 「ああ、良かった……どこか、痛いところとか、ない?」  年長さんの担当教諭が、まだ夢見ごこちの雪歩にそう問いを発する。  先生が語るに、サンタさんらが帰ったあと、雪歩の姿が見当たらないので(あわ)てて園内を探したところ、程なくこの休憩室で眠っている彼女を発見した、とのことであった。  魔法少女に変身し、悪漢二人を退治した雪歩は、心身ともに気力が充実しており、どこも痛くはないし、気分が悪い筈もない。 「今からクリスマス会始めるけど、出れる?」 「うん!」  元気よく返事をした雪歩は、上体を起こそうと、マットレスに掌をつく。そして、違和感を感じた。 (あれ?)  雪歩は、両掌を開いて凝視する。  その細く、小さな指に、雪のように白く、長い毛が、数本絡まっていることに、雪歩と先生は、ほぼ同時に気が付いた。 「ん? なんやろ?」  思わず、かあさんの国の言葉が出る。 「動物の毛みたいね……ユキちゃん、白いワンチャン、なでなでしたんじゃない?」  先生の問いに、雪歩は、「んー」と沈思した後、応答をした。 「ない、ない、ナッシングであーる」
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