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第三話 クリスマス・キス
十
帝紀二六七六年十二月二四日午前十時五五分――。
帝国議会議事堂本館中央塔の塔屋――地上約六五メートルの高さにある、ピラミッドを連想させる特徴的な形状をした建造物――の上に、サンタクロース、トナカイおよびスーツ姿の白人女性からなる三人組が、『不法侵入』すると云う、前代未聞の事件が発覚したのは、本館中央塔を管理する貴族院管理部、在都キー局、帝都警察本部通信指令センターへ匿名で通報がもたらされた為である。
「嘘やァ、あらしまへン。この寒空やァ、早ォ、助けてあげなはれ」
通信指令システムが受信した通報者の声は、若い女性のものであったが、どこか他者へ命令しなれた、威厳を感じさせるものであることが、後に、官邸主導で秘密裏に行われた調査で明らかになる――。
一般的なビルや学校等の屋上とは異なり、議事堂本館の中を通って、この『さくらみかげ』と呼ばれる特殊な御影石をふんだんに使った急な勾配がある塔屋まで、直接登ることはできない。
屋外作業の為に設けられた開口部は、塔屋の遥か下にあるからである。
いったいどのような手段で、いったい何の目的があって、立法府の象徴へと、この三人は侵入したのか?
これらの謎は、帝国一億臣民の好奇心を大いに刺激し、侵入者らが帝国陸軍のヘリコプターによって救助――病院に搬送された後、『建造物侵入』の容疑で現行犯逮捕――される模様は、TV各局の情報番組にてLIVE中継され、雪がちらつき始めたイヴの午後を賑わせた。
そんな珍事件を経た、午後四時――。
弁護士Kは、帝都内の某ホテルにて開催されたある会見に参列していた。
この十月に、今季限りの引退を表明していた帝都タイタンズの投手、若月龍秋選手の引退会見である。
十一
「まず始めに、このような場を設けて下さった球団関係者の皆さま、そして足下が悪いなか集まって下さいました報道関係者の皆さま方に、感謝申し上げます。本当に有難う御座います」
深々と頭を下げる精悍な顔立ちをした青年を、三十人以上集まった報道関係者の最後列に陣取るカメラが、一斉に捉えた。
発光装置が発する眩いばかりの白色光と、さざ波のようなシャッター音が、レセプション・ルームに満ち満ちる。
その光景を弁護士Kは、有能なる秘書を伴い、会場の後方から眺めていた。
二人とも、頸から『STAFF』と書かれた認識カードをぶら下げている。
「十年ですよ。十八でプロ入りして、引退までが十年! 早過ぎますよ……。一昨年、昨年と二季連続最多勝利投手に輝き、今季だって、シーズン半ばに戦線離脱したのにも関わらず、十勝も上げてるんですよ? 十勝! なのに……引退だなんて」
秘書Mは、女雛を思わせる切れ長の瞳で正面を見つめながら、やり切れない、と言いたげに、そう呟いた。
「さっきまでは、『五年は、長すぎる!』って云ってたじゃない?」
弁護士Kもまた、視線を青年に据えながら、そう返した。
自分に諧謔の素養がないことは判ってはいたが、何事かを口にして、ガス抜きをしてやりたくなったのだ。
因みに、ここで云う『五年』とは、六時間ほど前に被告人Xが云い渡された執行猶予期間である。
「それはそれ、これはこれです」
秘書Mは、傍らに立つ長身の弁護士をチロリと睨んだ後、再び、正面へと貌を戻した。
「先生は、あの量刑は『妥当』だとおっしゃいますけど……やっぱ、厳しすぎません?」
秘書Mの問いに、女弁護士は、視線を正面の雛壇に据えたまま、きっぱりと断じた。
「交通三悪のうち、無免許運転と速度超過をやらかしてるでしょ? それに加えて、警官に対する暴行、セラフィムの所持。酒気帯び運転に関しては前歴多数と来たら……普通だったら『矯正施設』入り、実刑を云い渡されてもおかしくないわ。ギンちゃんの頑張りで――あの前代未聞の『更生・再生計画』で――ようやくもぎ取った『執行猶予』よ。五年。妥当ね」
「五年……妥当かァ……」
その『五年』は、婚姻関係が破綻し、養子縁組が解消された『元家族』が、『再犯防止と更生に向けた監督』と云う大義名分のもと、部屋は別とは云え同じマンションに住み、一つの職場で働く時間の長さでもある。
多感な少女が、大人の階段を駆け上がる長さでもある。
「五年なんて……きっと、アッと云う間よ」
弁護士Kは、この時点では、次のように考えていた。
崩壊した『元家族』が、再び共に生きる時間を『天の神様』によって与えられたのだ、と。
これこそが、未熟な人間には計り知れない『天の意思』、『天の采配』なのだ――と。
然し――。
五年後、彼女は、己の推察の『甘さ』と『浅さ』を噛みしめる事になる。
神の思し召しは、透徹としており、弁護士Kの浅慮を嘲うかのように辛辣であり、苛烈であったのだ。
だが、それはまた別の物語である。
十二
会見は、質疑応答に移り、引退の理由と決意した時期について、某スポーツ紙の記者が問うていた。
若月投手の左肩と肘の具合は相当に厳しいらしく、球団からは今季と同額の契約金の提示があったものの、
「結果が出せないならチームに居るべきではない」
と自ら判断し、契約更改の席で引退の意思を伝えた、とのことだった。
あの日、健気な姪と共に、元義兄の事件について親身になって話し合い、帝都拘置所にまで付いてきてくれた青年は、その直前に、自らの半生に『終止符を打つ』決断を下していたのだ――。
この事実を、少女から知らされたとき、弁護士Kは、えも云われぬ感情に襲われた。
――なァ? 龍おじさんって、オトコマエやろォ?
姪っこの、自慢げな口振りが、いまこの瞬間も、耳元でゆっくりと再生される。
質疑は三十分ほどで終わった。
タイタンズの球団旗を背に、青年は、感無量といった表情で立ち、今一度深々と参集者へと頭を垂れた。
その時――。
左手にある控え室のドアがそっと開き、大きな花束を抱きかかえるようにして持った、小さな人影が二つ、引退するエースへと近づいてきた。
「ギン、ユキ……」
それは、青年の二人の姪であった。
姉の方は、弁護士Kもよく知っている。
被告人Xの元長女――戦友ギンちゃんだ。
白い小袖に菫色の袴を身につけ、その上から銀色の千早を纏っている。
髪は、不思議な事にいつのまにか長くなり、後頭部の高い位置でひとつにまてめていた。
「おい……シロガネ・カノンだぜ……」
会場のあちこちから、そんな独白がおこるのを、弁護士Kは聞く。
妹の方は、淡い桃色と白を基調とした丈の短いドレスに袖を通し、下は白いタイツをはいている。
長い睫毛に縁取られた、二重の大きな瞳。
細く整った鼻梁。
緩やかな孤を描く眉。
この愛らしい二名のサプライズ・ゲストの登場に、オトコマエの叔父は、破顔する。
「龍おじさん、お疲れさまでした」
「おつかれさま」
姉妹から花束を受け取ったエースは、姉に何事かを囁かれるや、腰を曲げる。
透かさず――。
妹が、右手から。
姉は、左手から。
叔父の両頰にキスをした。
この日、雪が降り積もり、帝都は、十数年ぶりにホワイト・クリスマスを迎えた。
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