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夏休みの宿題が消えた――
「明日から学校なのに、いったいどうして?」
寺の娘、トワにとって、夏休みはお盆と重なるからなかなか忙しい。それなのに、書き終えたばかりの読書感想文が綺麗さっぱり消えていた。
もっとも、ほとんどの学生は夏休みの宿題は面倒だと思っている。その中でも、厄介な宿題が感想文だと言ってもよいだろう。時間をかけて本をよむという作業の他に、内容をまとめなければならないからだ。真っ白な大海原のような原稿用紙に向かって、面白以外に何を書いたらよいのか、トワはさっぱり思いつかなかった。それに、課題図書が趣味に合わないと、読むこと自体が苦痛である。同じ読みものでも、ラブコメや漫画ならすらすら読めるのに、じっくり考え込むような物語は、わずらわしいとさえ思うのだった。
したがって、やりたくなくて、ずるずると後回しになっていた宿題を、やっとの思いで完成させたばかりなのに、それが消えたとなると非常に厄介だった。
「もしかして、間違えて捨ててしまったのだろうか?」
トワはありもしない記憶を絞り出そうとした。だが、どう考えても自分に落ち度はないと思い至る。
「危うく記憶を作り上げてしまうところだったよ。 どうして、こうなってしまったのだろう。もう、わけがわからない」
もしやと思い立ったトワは、他のワークブックも開いてみた。すると、計算した数字も、調べた英単語も消えてなくなっている。
「いったいどうして? 今からやり直すだなんて、ぜったいに無理! 」
宿題は汗水たらしたアナログだ。データなどではないのだから、消えてしまうなんてありえなかった。
「いったい、これは何だ?」
誰かが悪戯をしたとしか思えなかった。だとしたら、いったい誰がこんな真似を?
――まさか、
もののけの仕業だろうか?
家はお寺さんをやっている。身近なところで様々な怪現象が起こるから、可能性はなきにしもあらずだ。例えば、玄関の戸が勝手に開くと、翌日は決まって葬式の依頼が入るとか、あるいは先日のできごとだが、コレクターから持ち込まれた西洋人形の供養ため、御本尊のある祭壇に祀ったのだが、朝になると必ずといって板の間に落ちているなどといったことは日常で起こっていた。
もしや近くにいて、困った様子を面白がって、視ているかもしれない。腹を立てたトワは宙を睨みつけた。
「どうやら、悪さした者を召喚するしかなさそうだ」
すると、タイミングを推し量ったように携帯電話が鳴った。
「はいーー」
『俺だよ、俺』
電話口から男の声がする。
「どなた様って?」
『だから、俺様だって』
俺を繰り返し、まるでオレオレ詐欺のような電話にトワは警戒を強めた。
「ははーん、もしや私の宿題に悪さしたのはあなた?」
『まさか。それどころか喜んでもらいたいものだぜ』
電話口の男は悪びれない態度だった。
「ええい、怪しい奴!」
トワは念をいれる。古くから家に伝わる念仏を唱えた。
「私の部屋にいでよ!」
ポンとポップコーンのはじけたような音とともに、真っ白いジャンプスーツを身につけたロカビリー男が出現した。
「ジャーン俺様の名前はI。――I am ME!」
リーゼントヘアスタイルの男が、袖口のフリンジをじゃらつかせながらウィンクするさまは、まるでアメリカのロックスターのエルビスのようである。令和の中学生が、なぜ伝説の歌手のプレスリーを知っているのかといえば、祖父の安斎住職が大のアメリカンロックマニアだったからだ。
「とにかく私の宿題を元に戻して」
「戻して困るのはお嬢さんの方だぜ」
「困るってどういう意味よ。私の宿題を消しておいて、これ以上に困ることなんかない」
「へっ?」男は素っ頓狂な声を出した。「消した? いやいやまさか、消したとはなんだ?俺は消したりなんかしない」
消した、消さないで押し問答が続く。トワは消したと思っているし、ロカビリー男は違うという。話は平行線で全くといってかみ合わない。
「俺様はトワのために入手した完璧なる答えを宿題に反映させたのだ」
どうやらロカビリー男は、かなりのポンコツだったようだ。そういえばそのプレスリーみたいな装いも、どこかちぐはぐだった。
「おまえ誰だ?」
「俺は宿題にお困りのお子様たちの救世主様だ」
ポンと煙をあげた男は、艶やかな長い銀髪をなびかせ、少女漫画出てきそうなイケメンに変化した。
「いや、それも違う。おまえは宿題を消した悪しきもののけだ!」
トワが呟くように古の念仏を唱える。すると、こんどはジャンプスーツが床にばさりと落ちた。中から小さな真っ白い小鬼が這い出てきた。
「とうとう正体を現したか。私の宿題を元に戻して。さないと……」
トワに恐れをなしたようだ。小鬼は『ヒッ』とひきつった悲鳴をあげながら、縁側から逃げてしまった。結局のところ宿題は一からやり直し。トワは二日間の徹夜で、なんとか宿題をやり終えた。
二学期が始まってしばらくたったある日のこと。縁側にキノコやクリ、アケビなど山の幸がごっそり置いてあった。それから毎日、まるで貢物のように置かれるようになった。
住職は言った。
「おそらく、宿題を消した真の正体は裏山の狸じゃろう」
「狸ですか?」
言われてみれば、トワに思い当たるふしがあった。落ち葉を掃除していた時のこと。野犬に追われる狸を見かけて、犬を追い払ったことがあったからだ。
「もしや、あの狸でしょうか?」
「わしはそう思う。恐らく、恩返ししようとして、誤ってトワの宿題を消してしまったのかもしれないな。貢物は、その詫びの印。そろそろ狸を許してやりなされ」
それから住職はこうも言った。
「わしのジャンプスーツを知らんかね?」
トワは「あ……」と、いったきり口をつぐんだ。話を聞けば住職が若いころ、コピーバンドとしてぶいぶいいわせていたときに着用していたものだという。母親と一緒になって、ゴミとして処分してしまったことは心の内に留め、そっとしておくことにした。
(了)
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