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終章
事件から十日が経った。
相変わらず王宮は事後処理に追われている。
陛下が書き物をする横で、空燕さんがせわしなく動き回っている。
私は陛下のご要望で執務室にいるけれど、膝の上など言語道断、と空燕さんにバッサリと言われてしまい少し離れたところに椅子を持ってきて座っている。
「空燕」
「は」
「……そろそろ翠花を補給したい」
「なりません」
ぴしゃり。容赦のない言葉が陛下を叩き切る。
「えー!? だってもうお天道様は真ん中まで来たじゃない!」
「ええそうですね。この仕事が終わらなければ、今夜のお茶会はなしになりますので、頑張ってくださいね?」
にっこり。有無を言わせない凄みも添えて、陛下の文句を封じ込める。
ぶうたれながら机に向かう陛下を尻目に、空燕さんは「ちょっと用事が」と言って部屋を出て行く。
「お后様もずっとお座りになられていては、体が痛むでしょう。気晴らしにいらっしゃいますか?」
「え? あ、はい」
勢いで返事をしてしまった。
「ちょ、空燕! 自分だけ翠花と! ちょっと! くーうーえーんー!?」
後ろから陛下の声が追いかけてきたけれど、全く気にも留めない態度で空燕さんは私を連れて出てしまった。
そしてやってきたのは中庭。
睡蓮が可憐な花をつけ、季節を感じさせる。
その一角に足を運ぶと、空燕さんは植物に自ら水をやり始めた。
「あの、ここは庭師さんが管理しているのでは?」
素朴な疑問を口にすると。
「ああ、ここは私が管理しているんですよ。好きな花を愛でたくて」
へえ。いろいろな種類の花が咲いていて綺麗。
「……お后様におかれましては、何やら心配事がおありのようで」
「……わかりますか」
流石空燕さん。千里眼とはかくのごとし。
「先日、陛下は私を殺すことについて『あの子の二の舞』とおっしゃいました。あの子とは誰なのでしょう」
空燕さんが一瞬驚いたような顔になって、それから神妙な顔つきになった。
「あなたもご存じかもしれませんが、少し前にこの国で内乱がありましたね?」
「ええ、存じております」
それは陛下が皇帝に着任する前。反乱軍が蜂起し、国内全土で争いが始まったのだ。
「その時、反乱軍を率いていたのは、陛下の弟君でした」
「……弟さんが」
「反乱と言いつつも、実態は陛下の即位に反対する勢力が弟君を担ぎ出した、いわば継承者争いだったのです。そこで陛下は弟君に打ち勝ち、今の座に就かれたのです」
だから、あんなに家族を大事にしようとしてたんだ。自分が家族を手にかけてしまったがゆえに。
「……悲しいものですね。権力者というのは最も自由に見えて、その実周りの都合に振り回されていくのが宿命なのですから」
「……いいえ、そんなことはありません。陛下は自らの意思で私を選んでくださった。魂の自由は誰にも縛れないのだと、そのように思いませんか?」
「お后様……」
「陛下に聞きました。私のために後宮さえも廃し、ただ私だけを愛すると決めたと。そのために反感を買っていることも重々承知のうえで、と」
だから、その愛に私も応えようと、そう思うのだ。
「ごめんなさい、つい長話を」
「……いえ」
さて、そろそろ戻らないと陛下が拗ねてしまう。
一歩踏み出したところで、ぬかるみに足を取られて、盛大に滑った。
「うわあ?!」
「お后様、危ない!」
間一髪のところで空燕さんに抱きかかえられて難を逃れた。
「す、すみません。不注意で……」
そう言った時空燕さんとごく至近距離で目が合った。
うわ、なんだか恥ずかしい。
姿勢を整えて、ありがとうございましたと言おうとしたその時。
「くーうーえーんー」
怒気を隠しもしない陛下の声が聞こえた。
「へ、陛下?!」
何で? お仕事してたはずじゃあ……!
「誤解ですよ陛下。何も起こっていません」
「嘘をつけ! じゃあなんでお前と我が后が頬を赤らめて抱き合っているんだ?!」
「陛下、私がいけないのです。足元も見ずにぬかるみを踏んでしまった私が……」
プンプンと怒る陛下を二人で宥めて、残りの半日が終わってしまった。
あなたを見ると高鳴る気持ち。
――これを恋というのかしら?
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