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第一章
「はあ……」
王宮へきて二日が経った。
連れてこられるなり、あれよあれよという間に豪華な服を着せられ、年中行事から作法までみっちりお勉強。
今日は結婚式と宴会。
目まぐるしすぎてついて行けない。
明日もお勉強漬けらしいと聞いて、げっそりしてしまう。
約束って何よ?
そもそもなんで皇帝陛下が一介の庶民の名前を知っているの?
疑問は多々浮かんでくるのだけれど、あの陛下を相手に強く出られないし。
でも、このままで良いわけない。
明日こそ聞き出して見せる!
意気込んで、今日はもう寝ようと明かりに向かう。
「翠花、起きているか?」
「はっ、はいぃ!」
陛下の声で伸ばした手が引っ込んだ。
「部屋に入れてくれるか?」
「た、ただ今!」
慌てて彼を部屋に招き入れる。
「すまない。もう眠るところだったか?」
「い、いいえ、陛下が最優先です!」
少し声が裏返った。
「お前を連れてきてから二日。ろくに話もできずじまいだったからな」
「……」
何を考えているんだろう。
「そう構えるな。愛しいお前に噛みついたりしない」
「いとっ……!」
そう。このお方はさも当たり前のように私に愛を囁くのだ。
だけど理由がわからない。それが気持ち悪くて仕方がない。
「……本当に忘れてしまったのか?」
余裕そうな笑みが崩れて、しょんぼりとなってしまった。
ヤバい。ご機嫌を損ねたら何されるかわかったもんじゃない!
だけど、どうしても思い出せなかった。
「も、申し訳ございません……」
「もう十年も前のことだからな。お互いにまだ小さかったし、覚えていないのも無理はない」
どこか悲しそうな陛下。じくじくと良心が痛む。
「あの日、父に連れられて町へ行って、迷子になったところをお前に見つけられた」
「迷子……?」
十年前。迷子。
――思い出したかもしれない。
あれはそう、雪がちらつく寒い日だった。
両親から遊んで来いと送り出されて、友達の家に行く途中だった。
道の真ん中で泣いている女の子がいたのだ。
「どうしたの?」
周りがどよめくのも気にせず、私は女の子に話しかけた。
「父さんが……はぐれて……」
ああ、なるほど、迷子になってしまったのか。
「泣いてちゃダメよ。ほら、私のお饅頭をあげるから」
私は手に持っていた友達へのお土産の中から一つ自家製のお饅頭を取り出して差し出す。
「……くれるの?」
「うん。食べたら、お父さん、探しに行こう」
「……うん!」
良かった。少しは元気が出たみたい。
「これ、温かくておいしいね」
笑顔でお饅頭を食べる女の子。
「でしょう? さ、行こう!」
私はその子の手を取って通りを走った。
「ねえ、名前は?」
女の子が私に問うた。
「翠花。あなたは?」
「……ごめん、名前、言っちゃダメなの」
「そうなの?」
子供心に不思議ではあったけれど、言えないものは仕方ない。
「あのね、大きくなったら、君をお嫁さんにしたいな」
女の子なのにお嫁さんとは、これいかに。
「面白そう。いいよ」
そう返事をすると、女の子はぱあ、と華のような笑顔になった。
「じゃあ、大人になったら迎えに行くから。待ってて」
「うん」
子供の口約束だ。深く考えていたわけじゃない。
その後、女の子は無事にお父さんに合流して去っていった。
そこまで思い出して、まさかと思う。
「だって、女の子の服着てたし……!」
「混乱させてしまったのならすまない。王族の風習で、小さい頃は女として育てられていたから」
「そ、んな……」
じゃあ、あの女の子は陛下で、迎えに来たあの人は先代の皇帝陛下!?
「わ、私、とんだ失礼を……!」
思わず地面に伏せそうになったのを陛下に止められた。
「翠花。私は嬉しいよ。こうして約束通り妻に迎えられたのだから」
だから、謝るなと?
陛下は立ち上がると私の向かいから隣に移動する。
そして優しく私の肩を抱くと、耳元で囁いた。
「……今日は閨を共にしてもいいか?」
「良いわけないでしょう?! そそ、そういうのは結婚してから」
「もうしているが?」
「そうだった!」
全然実感がなくて頭から抜けがちだけど、結婚したんだった! 今日!
ということはそういうことも……?!
「だ、だってまだ一日と経っていないし、それに……」
って、陛下に物申してどうするのよ、私!
いろんなことが頭の中をぐるぐるして、言葉にならない。
でも、陛下が望まれるならやるしかない。
女は覚悟と度胸よ、翠花……!
私はぐっとこぶしを握る。
「……ぷふっ」
そんな私を尻目に、陛下はお腹を押さえて笑いをかみ殺している。
「な、何がおかしいんですか」
「ごめ……すまない、百面相するお前がとても愛らしかったんだ」
流石にそれは噓でしょ。
「そんな目で見てくれるな。本当に愛らしいと思ったのだから」
そんなこと言いつつ、まだ笑っている。
「……何にせよ、もうお休みになられたほうが良いですよ? お体に触ります。それに、せっかく綺麗なお顔なのに、隈なんて作ったらもったいない……」
思わず女目線で物を言ってしまった。
しまった、気分を害されたかもしれない。
そう思って陛下のほうを見やると、ぱあぁと音がしそうなほどお顔が崩れていた。
「ヤダ、そんなこと気にしてくれてたの? 嬉しい……!」
ん? 何だ今の。
陛下から女性のような言葉遣いが聞こえたような。
「陛下……?」
恐る恐る覗き込むと、顔を真っ赤にして手で目を覆っていた。
「すっ、すまない、私も疲れているようだ。お前の言う通り、早めに休むことにするよ」
そう言って、そそくさと部屋を出て行った。
もう呆然とするしかない。
――案外、面白い方なのかもしれない。
何が何やらわからないけれど、とりあえず私も休むことにした。
翌日の午後。
「陛下、あの、これは……?」
私はなぜか陛下のお膝にて、彼の執務を見守っている。
「もちろん、お前が私の近くにいてくれた方がはかどるからだが?」
また平然と言ってのけた。
しかし先ほどから陛下の手は私をあやすのに忙しそうで、ちっとも仕事は進んでいない気がするのだけれど。
「陛下、仕事に集中してください」
ぴしゃりと言い放ったのは林空燕書記官。
陛下の執務を完璧に補助する超人だ。
陛下とは幼馴染の関係で、小さい頃から一緒だったと聞く。
「お后様も、甘やかしてはいけませんよ! ビシッと言ってやりなさい」
「そ、そんなことを言われましても……」
「私にがつがつ意見するのはお前だけで十分だよ空燕。まあ、我が后の可愛い我儘ならいくらでも聞いてしまうがね?」
うう、慣れないなあ。陛下は私を甘やかして、どうしたいのだろうか。
陛下の右手が筆をとっている間、左手は私の頬をするりと撫でる。
何だか、だんだんいたたまれなくなってきた。
「……時に陛下、昨夜はお后様のお部屋にいらっしゃったそうで」
空燕さんがなぜか仕事に関係ない話題を振った。
「それに何の不都合が? 愛する后と新婚初夜を過ごしていて何が悪い」
「いえ、茶菓子どころかお茶も持っていかれなかったそうで。お后様への配慮が足りていないのでは?」
「あらやだ、すっかり忘れてたわ。とっておきの茶葉を買っておいたのに」
「それどころか睡眠妨害までして。女性への気遣いがなっていませんね」
「ああ、お肌に良くないものね。次は気をつけなくっちゃ」
「……という男なのですよ、お后様?」
「えっ」
陛下の口から素っ頓狂な声がこぼれた。
うっかり膝の上の私を忘れていたらしい。
「あの……陛下」
「わあああ! ち、違うの、違うのぉ!」
筆を放り出して私を遮る。
「これはその、昔女官に囲まれて女として暮らしてた名残というか! でも、女の子って強い系の男に憧れるんでしょ? だからちょっとでも男らしくしないと翠花に嫌われるって思って……!」
アワアワと言い募る陛下。
何だか可愛いと思ったら、罰が当たるだろうか。
「あの、陛下。私は陛下の話し方を気にしたことはありませんから……」
「違うの、本当に、違うのぉ……」
泣き出しそうな陛下と、してやったりと笑う空燕さん。
二人の力関係を見た気がした。
「その、最初はびっくりしましたけど、それだけですから。どうかお顔をあげて……」
困った。どうにかして元気づけたいけれど、何も思いつかない。
「えっと、お仕事が終わったら一緒にお庭を見てまわりませんか? 綺麗な花が見ごろだと聞いておりますが」
「……行く」
すんすんと鼻を鳴らしながら、再度執務に取り掛かってくれた。
「お后様も、陛下の扱いが上手くていらっしゃる」
「あはは……」
ぶっちゃけ、今思いついたことを言っているだけなんだけど。
その後、すごい勢いで仕事を片付けた陛下と執務室を飛び出して、彼に肩を抱かれながら庭を散策してまわったのだった。
その夜も、陛下は私の部屋にやってきた。
「戸を開けてくれるか。手がふさがっていてな」
言われるままに戸を開けると、確かに陛下の両手はお盆でふさがっていた。
その上には見たこともないものが。
形状を見る限り食器みたいだけど。
陛下は手ずからそれを机に並べると、急須のようなものでお茶を注ぐ。
華やかな香りが部屋に広がる。
「わあ……!」
「良い香りだろう。異国と貿易している西の国の商人から仕入れた逸品だ」
さあ、と勧められるがままに一口。ちょうど良い温度で口いっぱいに香りが広がる。
「何だろう……お花、みたいです」
「当たりだ。これは茶の木の葉ではなく、別の植物の花を使って淹れたものだよ」
陛下の口調が戻っている。
格好をつけたいと思ってくださっているのかしら。
――何てけなげなの。
私はくすりと笑うと、陛下に笑いかけた。
「私と二人の時は、普通に話していただいて構いませんよ?」
「……だが」
「もちろん、陛下がお嫌なら仕方がありませんが」
陛下は長い溜息をつかれた。
え、私、変なこと言った?
「もう。そういう包容力を見せられると負けちゃうわ」
じゃあ遠慮なく、と言った陛下はふにゃりと子供のように笑った。
――そのおかわいらしさたるや!
きゅーんと胸が鳴る。
「ん? どうしたの?」
「な、何でもございません」
心臓がまだバクバクと言っている。
こんなこと、初めてだ。
「この食器もかわいいでしょ? ティーポットと、ティーカップ、っていうんですって」
うきうきと嬉しそうに陛下が食器を並べる。
「てぃー……?」
「西国ではお茶のことを指すらしいの」
へえ。なるほど。
「お茶はご婦人のたしなみだけど、アタシも好きでこっそり茶葉を買っちゃうのよね」
「私もお茶は好きですよ。こんなオシャレなお茶はお饅頭には合わないですけど」
「そうね。今度お饅頭にも会う茶葉をご実家にお送りさせてもらうわ」
それ、御下賜品じゃないですか。母が飛びあがる姿が目に浮かぶ。
「あの、つかぬ質問なのですが」
「ん?」
「どうして、陛下は私をお后に迎えようと思ったのですか?」
「どうしてって……」
陛下は考えるそぶりをした。
ややあって、口を開く。
「もらったお饅頭が美味しかったこととか、握った手が温かかったとか、元気づけてくれたこととか、いろいろあるけれど。でもやっぱり一番は『あなたこそアタシの傍にふさわしい』って思ったからよね」
……こんな直球な答えが返ってくるとは。
顔が熱い。胸の底から熱が湧いてくるみたいだ。
「そんなに照れなくてもいいじゃない。可愛いんだから、自信持ちなさい」
「は、はい」
やっぱり、陛下の笑顔は目の毒だ。
私は花の香りに意識を傾けた。
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