第二章

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第二章

私は化粧台に向かってため息をつく。 ここのところ、陛下は夜にいろんなお茶やお菓子を持ってきてくれる。 それは嬉しいんだけど……。 「太っちゃいそう……」 事実、顔やお腹まわりが丸くなっているような。 勉強ばっかりでろくに運動もしていないのも原因かもしれない。 今日こそは甘いものは控えよう。 そう決心しておしろいに手を伸ばす。 「おはようございます、お后様」 とそこへ女官が数人、部屋に入ってきた。 「お、おはようございます」 「まあ、こんな早くに起きられて、お召し物をお一人で着られたのですか?!」 「え? ええ……」 「お化粧もお一人で……私どもがやりますから……」 「自分のことくらいは自分でやりますよ」 「いけません! お后様は陛下に嫁がれたという自覚を持ってくださいまし! そんなことでは威厳も何もあったものではありません!」 鋭い叱責が飛ぶ。 「美雨さん……」 「上に立つ者とは、下の者をうまく使うものです。陛下の威光を損ねるような行為は一切厳禁です!」 女官の中でも飛びぬけて気の強い彼女は、言い方こそ強いが、本気で物を言ってくれる。 私としてはそちらの方がありがたい。 そんなわけで残りのお化粧を任せて、座っている。 「そうだ、これから陛下のところに行かないといけないのですけど」 「かしこまりました。共の者を二人つけます」 選ばれた二人がうやうやしく礼をする。 すごく申し訳ない気分になるけれど、これにも慣れろってことだよね。 お化粧を終えて立ち上がる。 そのまま、廊下に出ると、ばったりと出くわした。 「これはお后様。ご機嫌麗しゅう」 「泰然大臣こそ、おはようございます」 出会ったのは金泰然大臣。ふくよかな体に禿げた頭。愛嬌のある笑顔を絶やさない。 「今から陛下の元へ行かれるのですかな?」 「はい」 「ほっほっほ。仲のおよろしいことで。これで我々家臣団も一安心ですわい」 言うだけ言って、泰然大臣は廊下の奥に消えていった。 「ふう」 皆にからかわれつつも祝福されるというのは、なんだか変な感じ。 「……って、そんな場合じゃない! 行かなきゃ!」 私は陛下のもとに急いだのであった。 「失礼いたします、陛下」 「ああ、入ってくれ」 返事を確認して戸を開けると、陛下の傍に女性が立っていた。 ――うわあ、綺麗……! 私より一回り小さい体に、お人形のような愛らしい顔。白い肌はお化粧のそれじゃない。 「翠花には紹介しておこうと思ってな。明玉だ」 「初めまして、明玉。翠花です」 「……お初にお目にかかる、お后様。拙者、明玉と申す者。以後、よろしくお頼み申し上げる」 独特な喋り方だなあ。 「明玉は私の間諜のようなものだ。日々、市井の情報を集めてまわってもらっている」 「は。ご命令とあらば国の末端の村から戦場まで。どこへなりとも参ります」 ふえー、すごい。 私が驚いていると、明玉が陛下に向き直った。 「本日はいかがいたしましょうか」 「最近、城下でごろつきどもが不穏な動きを見せているとの情報がある。そちらを中心にまわってくれ。それから翠花の家も見てきてくれ。私との結婚が悪影響を及ぼしていないかどうかだ」 「……承知」 明玉は一瞬私を見て、頭を下げると窓から外へ飛び出していってしまった。 「はー……」 すごい身体能力。猫より身軽かも。 「翠花」 陛下が私を抱き寄せる。 「……あの、ありがとうございます。うちのことを気にかけていただいて」 「このくらい、当たり前じゃない。お嫁さんのお母様や妹さんも大事な家族よ」 その言葉に、思わずとくんと心臓が高鳴る。 「……お母さん、夜鈴、小鈴」 「あらあら、恋しくなっちゃった?」 恋しくないか、と聞かれれば嘘になる。 結婚式にさえ呼んであげられなかったのだ。 ずっと顔を合わせるのが日常だったのに、いきなり離れ離れになってしまって、心配しないわけがない。 「大丈夫よ。時間を作って、会いに行きましょう? ね?」 「……はい」 ぽろぽろと涙を流す私に、陛下はただ寄り添っていてくれた。 事件が起こったのは、その日の夕方。 真っ赤な太陽が沈んでいくのをぼんやりと見送っていた時だった。 「お、お后様!」 バタバタと忙しなく女官が一人飛び込んできた。 「どうしたの!?」 あまりにもただならぬ様子に、慌てて駆け寄る。 「陛下が、すぐに執務室に来るようにと、仰せでございます」 息も切れ切れにそう伝えてきた。 急ぎの用事? こんな時間に? 嫌な胸騒ぎを覚えつつ、私はその場を飛び出した。 「来たか」 執務室に入ると、空燕さん、明玉、陛下が揃っていた。 「明玉、ことの子細を頼む」 「は」 明玉は一礼して、報告を始めた。 「本日朝。お后様のご実家に伺ったところ、双子の姉妹がいなくなっていることがわかりました。遊びに行くには早すぎる時間から姿を消しており、付近の家に聞き込みを行いましたが皆一様に姿を見ていないと答えます」 「そんな……!」 「落ち着け、翠花。……続けろ」 「は。また、先日検挙された違法高利貸しの件ですが、残党が散っているとの情報が」 「つながるか? 空燕」 「他に二人を攫いそうな者というのも思いつきません。手早く捕えて吐かせるしかないでしょうね」 「わかった。空燕、人を出せ。徹底的に叩き潰す」 「御意」 空燕さんが急ぎ足で執務室を出て行った。 「明玉、敵の根城はつかんでいるか?」 「は」 明玉は懐から町の地図を取り出すと、陛下の前に広げた。 そして、一点を指さす。 「そこか」 私も場所を確認する。 場所がわかるや否や、私も執務室を飛び出す! 「翠花!」 陛下の声が追いかけてくるけれど、じっとなんてしていられない。 私は勢いで王宮を駆け抜け、外へ出る。 もうあたりは薄暗くなっているけれど、まっすぐに大通りを駆けて行く。 ――待ってて、二人とも。 息が切れても、足が震えても。私は必死に走る。 けれども、目的地は遠くて。 とうとう足が完全に止まってしまった。 涙がこぼれる。 「はあ……はあ……!」 こんなことしている場合じゃないのに。 今もあの子たちは怖い目に合っているというのに。 私が助けないでどうするの! 涙をぬぐって立ち上がる。 と、目の前にひらりと人が降り立った。 「お后様」 明玉だった。 暗くて表情はわからないが、声にとげがあることはわかる。 「王宮にお戻りください」 「……ごめんなさい、それはできないの」 「妹君は必ずや我々が取り戻してごらんに入れましょう。さあ、お戻りを」 「妹の無事を知らずに帰れないわ」 しばし、見つめ合う。 「ねえ、お願い。そこをどいて」 「……なりませぬ。お戻りを」 「二人は私のせいで誘拐されたかもしれないのよ。それを人任せにして座して待つなんて、私にはできない」 「……それでも、あなたを危険にさらせませぬ。どうか陛下の元へお帰り下さい」 ああ、時間がどんどん過ぎていく。 一刻も無駄にはできないというのに! 私はすう、と息を吸い込むと、体当たりするように私は明玉を押しのけて走り出した。 「きゃ……」 明玉が驚いた声を出したけど、構っていられない。 お願い、間に合って……! 必死で走り続けて、何とか到着した。 もう派遣された人が踏み込んでいるらしく、辺りは大騒ぎだ。 転んだ時に作った傷がずきずきと痛む。けれど、そんなことはどうでもいい。 「夜鈴ー! 小鈴ー!」 二人の名前を呼ぶ。 かすかに「お姉ちゃん」と呼ぶ声が聞こえた気がした。 「今助けるから!」 私は混乱の中に足を踏み入れる。 暗くて周りはよく見えない。 「誰だ?!」 驚愕の声が上がるけど、私は無視して二人を探す。 月明りが窓から差して、一瞬あたりを照らす。 「夜鈴!」 見つけた!床に倒れている夜鈴を助け起こす。 「な、なめやがって!」 きらりと何かが頭上で光った。 「お姉ちゃん!」 夜鈴が叫ぶ。 ――斬られる! 夜鈴を庇った、その直後。 キン、と金属同士のぶつかる音が聞こえた。 「何ぃ!?」 驚愕の声。と同時に「ぐあっ」とうめいて、人影が倒れ伏した。 「翠花!」 月明りに浮かぶその人は。 「陛……下?」 何故ここに。そう問う間もなく、私たちは乱闘の間をぬって外へ転がり出る。 「陛下! お后様!」 明玉の声が私たちを呼ぶ。 「怪我は?」 陛下が私に言った。 「あ……私なら大丈夫です。それより、この子を」 「お姉ちゃん、ダメだよ!」 私は泣き止まない夜鈴を陛下に預けて、再び建物に入ろうと立ち上がった。 「待て、翠花」 「だってまだ小鈴が中に……!」 私の腕を掴む陛下の手から逃れようともがくけれど、大きな手はしっかりと私を捕まえて離さない。 「そこの者。もう一人子供がいるはずだが」 陛下が問う。 「は、我々が踏み込んだ時、建物の中にいた子供は一人でしたが」 「え!?」 「……一足遅かったか」 陛下が苦虫を噛み潰したような表情になる。 あの子は、小鈴は!? まさか、まさか! 「いっ……いやああああ!!」 最悪の想像が駆け巡る。 「落ち着け、翠花! 誰か、馬車をまわせ!」 「は、はっ!」 あわただしく誰かが駆けていった。 「私が、私が目を離したばっかりに。小鈴……!」 「お前の責任じゃない。大丈夫だ、必ず生きて連れ戻して見せる」 陛下はそう言うけれど、もしももうこの世にいなかったら。 それはもう不可能じゃないか。 私は泣きわめきながら、その場に倒れ伏したのだった。 「……落ち着いたかしら?」 「……」 あれから、陛下に抱えられて自室に戻ってきた。 夜鈴は別の馬車で家まで送り届けられることになったと聞く。 「小鈴……」 すっかり意気消沈した私を見て、陛下がため息をついた。 「今回のことはアタシの責任よ。まさか、『氷帝』にここまで悪辣な嫌がらせをしてくるとは思っていなかった。自分の風評に胡坐をかいて大丈夫だと決めつけていたツケね」 「そんな、ことは……」 「無理しなくていいのよ。アタシのせいにしちゃいなさいな。その方が楽にいられるのなら」 「そんなこと、できません」 陛下の優しい言葉に甘えそうになる自分を戒める。 「でも、気持ちのやり場がなくて。ああすればよかった、こうすればよかったって、そればっかり」 たらればなんて想像するだけ無駄だと知っていても、後悔の念は残りくすぶっている。 陛下は少しの間私を見つめた後、そっと肩を抱いた。 「あなた、本当にいい子ね。アタシのせいだって詰ってくれてもいいのに、それもしてくれない。責任を自分だけに抱え込んじゃったら、良くないわよ」 「でも」 「アタシたちは夫婦よ。誰が何と言おうとね。あなたは無理矢理だと思っているかもしれないけれど、アタシが怖くて一緒にいるのかもしれないけれど、それでも一緒に歩んでいきたいから」 陛下、そんなふうに思っていたんだ……。 「……そんなことはありません。最初は怖かったですけど、私に歩み寄ろうとしてくださっているのは、知っていますから」 これは、私の嘘偽りのない本心だ。じゃなきゃ、今こぼれることはない。 「……あーもう、可愛すぎ!」 「え? ちょ……」 ずいっと陛下が身を寄せてくる。 ギュッと抱きしめられて、ちょっと気恥ずかしい。 ――男の人って、こんなにたくましいんだ。 何だか、変な思考に飛んでしまいそうだ。 「アタシのお嫁さんが世界一可愛い……! もう離さないんだから!」 「へ、陛下。お戯れを……」 「えー。……やはり、こちらの方が良いか?」 「そういう問題ではありません!」 ずざっと後ずさると、残念そうな陛下と目が合った。 「……うん。そっちの顔のほうがずっと素敵ね」 「陛下……」 元気づけようとしてくれたのかな。 「妹さんのことはアタシに任せて。今日はもう休んで頂戴」 「はい……っ!」 「どうしたの?」 大丈夫です、とは言えなかった。 いつの間にか足をひねっていたみたい。 今になってずきずきと痛みだしてしまった。 「ちょっと見せて」 陛下が膝をつき、私の足をすくいあげる。 「ひどい……パンパンに腫れてるじゃない。よくこんなので歩けたわね」 陛下の顔が悲痛に歪む。 「……擦り傷だらけ。必死だったのね」 「……」 「こんなになってまで駆けつけて妹を助けようとしたのね。偉いわ。良いお姉ちゃんね」 でも無茶はダメよ、と言われて、止まっていた涙がまたあふれてきた。 「陛下、いらっしゃいますか」 廊下から空燕さんの声がする。 「ちょうど良い所に。空燕、水桶持ってきて。あと包帯も」 「は?」 訝しむ空燕さんを、ほら早くと急かす陛下。 「仕事ならすぐ戻るから。早く」 「はいはい……」 呆れながら来た道を引き返していく空燕さんを見送って、陛下が戻ってきた。 「本当は一晩一緒にいてあげたいんだけど、急いで妹さんを探さなきゃでしょ? 今捜索にあてる人たちを手配してるところだから」 「それなら、私も何か――」 させてください、と言いそうになった口を陛下は指一本でとじさせた。 「何かしたいと思うなら、今は休んで。元気になったらいっぱい手伝ってもらうから」 「……は、い」 「よろしい」 ややあって、包帯と水桶を女官が運んできた。 陛下はそれを受け取ると、私の足をつけて、傷に包帯を巻いていく。 「へ、陛下。そんなこと自分で」 「いいのいいの。こんな時ぐらい甘えてちょうだい。アタシも剣術稽古でよく足をひねっていたから、慣れてるし」 うう、恥ずかしいけれど、陛下がそうおっしゃるなら。 「これでよし。お水でよく冷やしたら、痛みが出ないうちに寝るのよ」 「はい、お休みなさい、陛下」 「お休み、翠花」 そう言い残して去っていく陛下。 その背中に少し寂しさを感じる。 ――なぜだろう。 まだ半月ほどしかいっしょに過ごしていないのに、寂しい、だなんて。 「……寝よう」 明かりを消すと、私は布団にもぐった。
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