第三章

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第三章

鳥が鳴いて、朝が来た。 私は身支度を整えて、陛下の執務室へ急ぐ。 廊下を歩いていると、あちらこちらからひそひそと話声が聞こえる。 「お后様の妹だって」 「まあ、子供一人のために陛下のお手を煩わせているの?」 「昨日陛下が止めるのも聞かずに王宮を飛び出したとか」 「どうせ陛下に媚びを売って探させてるんだろ」 ……軽率な行動がどういう結果を招くのか、身をもって知った。 「陛下も陛下だよ。あんな女に入れ込んで……」 陛下にまで飛び火してしまっている。 私のことは自業自得だけど、陛下をそんなふうに言うなんて、おかしいでしょ! 文句の一つも言ってやろうとそちらに近づいたとき。 「もが?!」 がばりと後ろから口をふさがれる。 見上げると、空燕さんが私を捕えていた。 「……くだらないおしゃべりは仕事が終わってからにしなさい」 いつもより数段低くて凄みのある声だった。 みんな慌ててそれぞれの仕事に取り掛かる。 「空燕さん……」 「あなたもです。こんなところで油を売っている暇があるならば、さっさと執務室に来なさい」 それだけ言うと、空燕さんは私に背を向けてさっさと歩きだした。 私はしょんぼりとその後に続く。 怒られるよりもこうして突き放される方がよっぽどこたえる。 「空燕さん」 「……何でしょう」 彼はこちらを振り向きもせずに言った。 「私を叱ってください!」 「……は?」 私はぽんと胸を叩いて、どんとこいの姿勢を取る。 「陛下の伴侶であるとかそういう遠慮はナシで。がっつり怒って欲しいんです!」 「……」 空燕さんがぴたりと足を止めた。 そしてくるりと振り向くと、ヅカヅカと私との距離を詰める。 「あなたはね、無茶が過ぎるんですよ! 何の武術も持たずに荒事の現場に突っ込んでいくなど! 私たちの面子までつぶす気ですか! それから、女性があんな所にいたらみんなが迷惑をこうむるんですよ! 周りのことも考えて行動しなさい!」 ガッと怒鳴られる。 そうだ。たくさんの人に迷惑をかけてしまった。陛下にも、空燕さんにも、警吏の人たちにも。 今回は大事なかったかもしれないけれど、次もそうとは限らない。 ――しっかりしなくちゃ。 バチンと思いきり自分で自分の頬を叩く。 空燕さんが驚いたような顔をしたけれど、これでいい。 気合は、十分だ。 「ありがとうございます、空燕さん」 ぽかんとする彼のわきをすり抜けて、私は執務室に向かった。 「翠花! なにそのりっぱなモミジは! 誰にされたの? 女官? それとも空燕?」 「何故私がやったことになるのですか」 執務室に入るなり、陛下が泣きそうな顔で私の頬をさする。 「だってここに来るまで一緒だったじゃない。疑って当然でしょ」 「私はお后様の望むままに物を言っただけなのですが」 「そうです。空燕さんは悪くないです。これは私が自分で――」 「自分で?! まだ妹さんのこと、責任感じてるの? 二人で背負おうって言ったじゃない」 「や、これは自己啓発というか、一念発起というか、とにかく気合を入れるためのそれなので」 ちょっと強くやりすぎたかもしれない。 「元気なのは良いけど、自傷はダメよ。女の子なんだから顔にモミジなんて厳禁!」 「……はーい」 「ううん、夫婦の戯れはそこまで。仕事の話をしましょうか」 空燕さんが割って入った。 「尋問の成果はどうだ?」 スッと陛下の視線が冷たくなる。 「今のところわかっているのは、二つ。あの二人を誘拐した理由が前々から人身売買のための商品として目を付けていたということ」 冷たい汗が背中を伝う。 「もう一つは、見つからなかった小鈴という子供は、昨日の昼過ぎに役人らしき男が購入していったということですね」 「考えられる線は二つ。それなりの地位の役人が下女として使うために買ったか、もしくは役人を隠れ蓑にして裏でさらに地位の高いものが糸を引いているか」 陛下が考えこんだ時、「ただいま戻り申した」と声が外からした。 「入れ」 「は」 窓からするりと部屋に入っていたのは明玉だ。 「急ぎお耳に入れたい話が」 「何かあったか」 「昨日の夕方から行方不明になっていた役人の死体が墓地に捨てられているのが発見されました」 「昨日の夕方、か」 「は。高利貸したちに人相書きを見せたところ、子供を買った男に似ている、とのことです」 「どこの家の者だ」 明玉は首を横に振った。 「めぼしい家の主たちに聞き込みましたが、誰も知らない、とのこと」 「そうか」 陛下は顎に手をあてた。 「わかった。今は考えるより手を動かすしかないな」 彼はそう言って会議を打ち切った。 今日の勉強を終えて、鬱々とした気分で部屋に戻った。 先ほど日が沈んで、とっぷりと夜になった。 とにかく今は情報を待つしかない、と頭ではわかっていても、焦りばかりがつのっていく。 戸を開けて中に入る。 いつものように足を踏み出すと、足元からくしゃりと音がした。 「ん?」 足をどけると、一枚の紙が落ちていた。 拾い上げて、裏返す。 達筆な文字が書かれている。 ……だけど、読めない。 生まれてこの方、必要最低限の読み書きしか習ってこなかった身としては、単語をちゃんと読めているのかどうかも怪しい。 それでも「小鈴」「一人」「城の裏庭」という単語は何とか拾えた。 言いたいことはわかった。 これは罠だ。 だけど、行くしかない。 現状他に手がかりもなし。虎穴に入らずんば虎子を得ずっていうじゃない。 怖くないと言ったら嘘になるけれど、あの子に怖い思いをさせたのは私だから。 そう決心した時、戸の向こうから足音が聞こえた。 急いで懐に手紙を入れる。 居ずまいをただしたところで、戸が開いた。 「翠花? 今いい?」 「へ、陛下。どうなされました?」 「ちょっと聞いて! 空燕ったら、超美味しいお菓子、隠し持ってたのよ! ずるいでしょ? というわけで分けてもらってきたから一緒に食べましょ」 え、ええ……。今大変な所なのに。 そうは思うものの、甘いものの誘惑には勝てず、陛下の強い勧めもあり、今日の夜のお茶会が開かれてしまった。 「んー! おいし! 翠花も遠慮せずにどんどん食べて!」 「は、はぁ」 今心はそれどころじゃないし、今すぐ裏庭に行きたいところなんだけど。 何て言って切り抜けよう。 「……どしたの? 元気ない?」 しょぼんと頭を傾けて陛下が言った。 「い、いいえ、そんなことは! んん、おいひいれふ!」 どうせ最後の晩餐だ。やけ食いしておこう。 「そう? なら良いんだけど」 陛下は特に気に留めた様子はない。 ど、どうしよう。何か画期的な言い訳はないの!? 「あ、あの、陛下」 「ん?」 「その、あの、私、お手洗いに……」 もじもじと口元を隠して、それっぽく言ってみる。 「あら、我慢しなくていいのよ? 遠慮なく行ってきて」 「ありがとうございます」 そそくさと立ち上がって、戸の方に向かう。 ――最後くらい、良いよね。 お茶を口に運ぶ陛下の横顔を目に焼き付けて、私は部屋を出た。 「はあ、はあ……」 廊下を駆け抜けて、裏庭へと抜ける。 流石王宮だけあって裏庭と言ってもそれなりに広い。 「小鈴! どこ?!」 暗闇に向かって呼び掛ける。 と、ぼんやりとした明かりがこちらに近づいてくる。 「小鈴!」 私はそれに向かって駆け寄った。 「おっと、そこまでですぞ」 相手の顔が見える位置まで近づいたとき、静止がかかった。 「……泰然大臣?」 明かりに照らされていたのは、禿げた頭にふくよかな体。その手には小鈴の首根っこがつかまれている。 「……!! その子を返して!」 「では、猫のようにおとなしくされていることですな」 泰然大臣がパチンと指をはじくと、後ろに控えていた男がぬっと現れて、私の手を後ろ手に拘束した。 「……どういうつもりですか」 「どうもこうも。目障りなあなたに『失脚』していただこうかと、こういうわけで」 ニマリ、と口がゆがむ。 異様な不気味さが私を襲う。 「お探しの子供はこちらでお間違えありませんかな?」 これ見よがしに、小鈴を持ち上げる。 「……わかっているんでしょう」 「おっと、それもそうでございましたな」 ぐったりとした小鈴。早く助けてあげなくちゃ。 「なぜこんなことを。その子を陛下に渡せば出世は約束されたでしょうに」 「そんなちゃちな出世など、この私には不要でございますれば」 「ちゃち、ですって?」 「ええ。お后様には想像もつかないでしょうが、結婚というものは我々にとっては最重要事項ともいえることでございまして。すなわち我が血を継いだ実の子と陛下の血を結んだ御子が生まれることこそ、我が悲願。それでこそ家も安泰というもの。それをどこの馬の骨ともわからぬ小娘に総取りされてしまうとは、おお、なんということか!」 「……」 「さらに、陛下のいと尊い血に愚民の汚らしい血が混ざったとなればこれはもはや王家の恥。そのようなわけで、あなた様は何としても除かねばならぬのです。恨むならば、あなた様に形ばかりの愛などを囁いた陛下を恨んでいただければと」 その言葉に、カッと怒りが沸き上がる。 「……じゃない」 「は?」 「陛下のくださった愛は、形ばかりのものなんかじゃない!」 思わず叫んでいた。 「フン、下らぬことばかりの下賤な女など、この王宮には不要だ。ご安心召されよ。あなた様に代わって私が妹君を陛下に献上し、『うかつに出歩いて賊に襲われたお后様の亡骸』は秘密裏に我々が葬って差し上げましょうぞ」 泰然大臣が指を合わせる。 私を捕えていた男の剣が私ののど元にぴたりとつけられた。 勝ち誇った顔の泰然大臣。 私は諦めて目を閉じた。 その時。 「ぐあっ!」 うめきとともに後ろの男が剣を取り落とした。 と同時に、鉄臭いにおいがあたりに広がる。 「なるほど、そういうことか」 私の後ろから進み出て、泰然大臣との間に立ちふさがったのは。 「……へい、か……?」 まぎれもない。そのお声も、お姿も。 彼のものに相違ない――。 「へ、陛下。なぜここに?!」 泰然大臣の慌てた声が聞こえる。 「何、私の愛しい后が何やらそわそわとこんな夜に部屋を出て行ったものだから、夫として気になるだろう? ただそれだけだ」 平静なように聞こえるけど、怒気を隠しきれていない。 「さて、その子供は渡してもらおう。貴様には相応の刑を用意してやる」 「ふふ、ふふふ、陛下ともあろうお方が、立場の優劣というものをわかっておられませんなぁ?」 泰然大臣は腰からすらりと帯びていた剣を抜いた。 それを小鈴の心臓の位置に定めた。 「……っ小鈴!」 「そのやかましい小娘の首をあなた様のその手の剣で切ってくだされば、子どもは生きたままお返ししましょうぞ。さあ……さあ!」 「陛下、お願い! 私の首を切って! あの子のために!」 私は涙ながらに陛下に縋った。 泰然大臣の高笑いが響く。 しかし。 「――その必要はない」 「え?」 私が疑問に思うと同時に、闇の中を人影が舞った。 「陛下!」 明玉の声とともに、泰然大臣の首に細い縄がするすると巻き付き、締め上げる。 「ぐえっ!」 突然のことに泰然大臣は剣を取り落とす。 その隙を、陛下は逃さなかった。 「はあぁ!」 踏み込んだ瞬間、泰然大臣を袈裟懸けに斬る。 「うおお……」 小鈴さえ手放し、傷口を抑えて悶絶する。 「小鈴!」 私は妹に駆け寄り、抱き起こす。 ――大丈夫。息している。 安堵で力が抜けた。 「お、ねえ、ちゃん……」 「もう大丈夫よ、小鈴」 優しく微笑むと、小鈴はほっと息をついて、意識を失った。 早く、お医者様に診せなければ。 そう思った矢先。 「どけ、翠花」 冷たい声が降ってきた。 「陛下、何を」 陛下は剣の切っ先を泰然大臣に向けたまま、氷のような温度の声を放つ。 「『それ』に慈悲をくれてやる。日が昇るまで痛みに苦しむのは辛かろう」 「……! いけません、陛下!」 私は小鈴を抱えたまま、泰然大臣と剣の間に割り込んだ。 「何故だ。それはお前を殺そうとしていたのだぞ」 「……然るべき処遇は、然るべき場で決められましょう。あなたが手を汚せば、多くの国民が悲しみます」 「……」 「私も、そのようなことになれば悲しい。どうか、剣をお納めください」 「良いだろう。お前がそこまで言うのなら。……明玉、捕えて連れていけ」 「はっ」 明玉は縄で泰然大臣を縛り上げると、間もなくやってきた衛兵に引き渡した。 従者と思しき男も連れられていく。 「陛下」 空燕さんがやってきた。 「子供を連れていけ。医者の手配も急ぎせよ」 「は、既に王宮の医者が待機しております」 「急げ。何をされているかわからん」 「御意に」 私は促されて、空燕さんに小鈴を預けた。 辺りはあっという間に片付けられて、私は陛下と二人で取り残される。 「……」 気まずい。殺してくれとまで頼んでしまったためか、非常に場の空気が悪い。 「翠花」 「は、はい」 陛下は特大のため息とともに、私の方を向いた。 「部屋で待つように。話がある」 ですよね。 着替えてくる、と言って戻っていく彼を私は追ったのだった。 そんなわけで部屋で待つ。 まあ、怒られるよね。当然だよね。 あのひやりとした声を忘れられない。あの声で怒られるのか……。 もう今の時点でだいぶしんどいけれど、これも自業自得なのでどうしようもない。 と、キィ、と戸が開いた。 びくりと肩が震える。 振り返れば、怒りをたぎらせた陛下の顔がある。 ――そう思っていた。 実際に目に映る彼の顔は、ひどく悲しそうで苦しそうだった。 「……翠花」 「どう、して」 どうしてそんな顔をしているの? 私は陛下の頬に手を添えた。 陛下は私の手を取ると、甘えるように、何かを確認するように、その身を預ける。 そして、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。 私はぎょっとして、急いで陛下の涙を袖で拭う。 「……良かった。生きてる、生きてる……」 そんな言葉の後、私はグイと引き寄せられて、陛下に強く抱きしめられる。 「陛下、私――」 「バカ、本当、バカ。妹のために自分は死んでも良いって、本気でそう思ってたの? 翠花を大切に思ってるお母様や妹たち……アタシが悲しむとしても?」 「そ、れは」 「やめてよ。殺してくれだなんて。もう二度と言わないで。そんなことになったら、あの子の二の舞になっちゃうじゃない……」 誰のことを思い出しているのだろう。 陛下の声はかわいそうなぐらい震えている。 じくじくと胸が痛い。 どうしたらいいだろう。何を言ったらこの震えは止まってくれるのだろう。 「陛下」 私が呼ぶと、陛下は俯いていた顔をゆっくりとあげた。 「私の事、この身も心もすべて、髪の一本、爪の先まで、陛下のものにしてください」 私があげられるものなんて、これぐらいしかないから。 それで陛下が安心するのなら、安いものだ。 だけど陛下は不満そうな顔をして、指で私の額をパチンとはじいた。 「痛った……!」 これは痛い。ひりひりする。 「何もわかってないじゃない。アタシは、翠花にもっと自分を大事にしてほしいのよ。私のために自分を捧げるとか、そんなことを望んでるわけじゃないの。女の子じゃない。もっと自分を高く見積もるべきよ」 「陛下……」 「ああ、可愛い。そんな献身的なところも好きだけど、自分を簡単に捨ててしまうところは嫌いよ。見ていて心臓が持たないわ」 限界までギュッと抱き寄せられる。 私はもう胸がいっぱいで。 「翠花はアタシが守る。誰にも渡さないわ」 力強いその言葉が、私の涙腺を壊したのだった。
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