序章

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序章

朝一番を知らせる鳥の声が響き渡る。 「これで良し」 私は店の開店準備を終えたところだ。 「翠花(スイファ)お姉ちゃん、こっちも終わったよー」 「終わった……」 店先の掃除を終えた双子の妹たちが戻ってくる。 「ありがと、小鈴(シャオリン)夜鈴(イーリン)」 私がそう言うと、二人は嬉し恥ずかしと言った風にもじもじして、店の奥に入っていった。 「ごめんよ、翠花。私が手が離せないばっかりに、店の切り盛りを任せてしまって」 二人の妹にまとわりつかれながら、母も店先に顔を出す。 「良いって良いって。お母さんも朝早くから仕込みして疲れたでしょ。ちょっと座ってなよ」 「そうかい。何かあったら知らせるんだよ」 心配そうな母に「任せといて!」と胸を張る。 ここは紅狼国。その大きく広がる城下町の一角の、饅頭屋「福花」。 私は母と妹二人と一緒にこの店を営んでいる。 父は一年ほど前に他界した。 遺していったものはこの店と、多額の借金。 どれぐらいの金額かというと、私の代で返しきれるかどうか危ういくらい。 「ちょっとでも妹たちの負担を減らさなきゃね」 私は、フン、と気合を入れる。 「よーし。今日も頑張りますよ!」 おー! と拳を上げて、お客を呼び込むべく店の前に立った。 お昼を過ぎてだいぶ経った。 客足も落ち着いてきたので、せいろの様子を見つつ私も少し休憩に入る。 「ふー……」 今日はそんなに人出があったわけでもないのに、どっと疲れている。 お茶と妹お手製の成形に失敗したお饅頭を横において、腰掛に座る。 ダメダメ、もっと気合入れなきゃ。 パチンと両手で顔を叩いた。 この家の大黒柱は今や私なのだから。 家族を支えてなんぼ。弱音を言っている場合じゃない。 景気づけにお茶に手を伸ばした時。 「ちわーっす」 やる気もそこそこに、と言った挨拶が店先から聞こえた。 耳になじんだその声は。 「晧月(コウゲツ)? どうしたの、こんな時間に」 身を乗り出して店先を覗くと、そこには幼馴染の姿があった。 ボサボサの短髪は小さい頃から健在だ。 晧月の実家は、王宮御用達の宝石商。今となっては家の規模も格も何もかもが違うけれど、昔は小さな小間物屋さんでこの近所に住んでいた。 「休憩時間になったから、久しぶりにこの辺を歩こうかと思ってさ」 そう言って、遠慮なく私の隣に腰かけた。 「大富豪様がこんな店に通っているなんて、バレたらお説教ものよ」 「平気平気。親父もこのあたりに来るって聞いた時点で俺の行動なんて読めてるって」 脚を組んで、すっかりくつろいでいる。 「まったく……」 私は呆れながらもお皿にせいろから出した蒸したてのお饅頭を乗せて差し出した。 晧月はそれを受け取って、代わりに私の手に代金を握らせた。 「いいって」 私はそれを返そうとするけれど。 「見栄張るなよ。持っとけって」 こちらを少しも見ずにパクパクとお饅頭にかぶりつく。 ……もう、相変わらずなんだから。 私は立ち上がって、もう一人分のお茶も用意する。 その背中を、じっと見つめられると、なんだかむずむずするんだけど。 「はい、どうぞ」 「ん」 熱いお茶なのに、グイっと飲む。火傷しないのかしら。 「なあ、さっき親父たちと話してたんだけど」 「何?」 「お前……結婚とか、考えねえの?」 「……ゴホッ!」 うっかりお茶吹いちゃったじゃない。急に何なの? 「……まだ考えてないって言うか、借金が先って言うか……」 「お前、もう十七だろ。いい加減いき遅れるぞ」 「うっ……」 そうは言っても、こんな借金まみれの女と一緒になってくれる人なんているわけないし。 かといって借金を身寄りのない母と妹たちに押し付けるわけにはいかないし。 「……家のことがあるのに、自分だけ結婚とか考えられないよ。妹もまだ小さいし、うちは父がいないし」 晧月はため息をついた。 「もし、だけど。お前のうちの借金を全額返してやるから来いって言われたらどうする?」 「何言ってるのよ。そんな奇跡あるわけ――」 あり得ない夢妄想を笑い飛ばしてやろうと思って、晧月のほうを見た。 真剣な眼差し。何か言いたげな口元。 どうしたというのだろう。ただのもしもの戯言だというのに。 急に、この空間がとても居心地悪くなった気がする。 「……わからない。でも、ここを離れるなんて、今急には考えられないよ」 「そっか」 私は残ったお茶の水面を見る。 ――結婚かあ。 晧月の家でそんな話題が出たのだとしたら、近いうちに彼は結婚するのかもしれない。 大きなお家だもん。良いご縁があったら早めに、というのはわかる気がする。 幼馴染が何だか遠くに感じた。 「翠花、俺さ――」 彼がずいっと私に向かって身を乗り出した、その瞬間。 「きゃあああ!」 母の悲鳴とガシャンと大きな物が落ちる音。 「な、何?!」 慌てて外に出ると、母が地面に転がされていた。 その横にはお饅頭を温めていたせいろが無残に落ちて、中身も飛び出してしまっている。 「お母さん!」 駆け寄って抱き起す。 「ほー、お前がここの娘か」 「顔はそこそこ。チビとまとめればそれなりには売れそうだな」 私を品定めする男の声が聞こえて、キッと睨む。 「あんたたち……」 「おっと、恨むんなら金借りた親父さんと返せなかったお袋さんを恨むんだな」 男がひらひらと手を振る。 言わせておけば……! 「翠花!」 晧月が割って入った。 「おうおう、お坊ちゃん。勇気は結構だが……今話があるのはそっちのお嬢ちゃんなんだわ」 「ふざけん……がっ!」 何か言う前に晧月は男の拳をまともにくらって地面に転がされた。 「晧月!」 駆け寄ろうにも、男たちが邪魔してそちらへ行けない。 「さ、一緒に来てもらうぜ」 片方の男がすでにとらえていた妹たちをちらりと見せる。 二人とも恐怖で固まり、大きな目を見開いて私を見つめている。 男の手ががしりと私の腕を掴む。 「翠花……!」 母の悲痛な叫びもむなしい。 ああ、私売られるんだ。 そう覚悟を決めた時。 「ぐわあ?!」 妹たちを連れていた男が急に叫び声をあげて地面に倒れ伏した。 「お、おい、どうした……ひぃ?!」 見ると、肩から大量の血が流れている。 「どうなってやがる」 私を捕えた男があたりを見回すと、その目の前に誰かが立ちふさがった。 「――その娘はここに置いて行け」 凛とした声が通りに響いた。 服から、高貴な方だと分かる。サラサラの御髪に切れ長の目。 「……帳、蘯漾、陛下」 晧月が溢した。 その名前って、まさか。 「ひ、『氷帝』、帳蘯漾(チョウトウヨウ)陛下だと?!」 この国で、最も偉い人の名前じゃない! 「そのまさかだ。私はその娘に用がある。大人しく置いて行けば良し。さもなければ」 陛下は冷たい視線を男に向けたまま、剣を男ののど元に突きつけた。 「ひっ、ひぃ!」 男は情けない声とともに私の腕を離すと、連れの男とともに一目散に逃げていってしまった。 騒ぎが収まると、皆思い出したようにその場でひれ伏す。 「蘯漾様、お怪我は?」 侍従のような人が陛下に歩み寄り、陛下に確認する。 「ない。……今の男どもを追え。悪辣な高利貸しと見た。根城を見つけ次第、引っ立てろ」 「は」 短く答えて、侍従の人は去って行った。 その場に、私と陛下が取り残された。 帳蘯漾陛下。『氷帝』の名にふさわしく冷徹で冷酷なこの国の主。 即位からたった半年で、武力制圧による治安の改善と様々な制度の統制を成し、国の畏敬の念を一身に集めるお方。 え、ちょっと、どうしよう。 「あの、ありがとうございました」 膝をつき、礼をする。 これで合っているのかどうか、庶民の私にはわからないけれど、周りの人の見よう見まねでも多分伝わるでしょ。伝わることが大事。 そう思いながら頭を下げていると。 「顔を上げよ」 陛下は私にそう命じた。 「は、はい」 恐る恐る顔を上げると、陛下は私に手を差し出していた。 「――迎えに来た。翠花」 ……え? 呆然とする私の手を取って、陛下は私を立ちあがらせる。 「約束を、果たしに来た」 や、約束? 陛下と? そんなもの、覚えがない。 「お前を、我が后として迎えよう」 一瞬、周りがしんと静まり返った。 次の瞬間、わっとお祭り騒ぎになる。 「さあ、我が后。こちらへ」 陛下が私を軽々と抱き上げた。まさか、この状態で連れていくつもり?! 「お、おお、お戯れを、陛下! 人違いでは――」 「まさか。お前で違いない」 陛下は鉄の仮面のように表情をピクリとも動かさず言った。 もう、訳が分からない! 「お待ちください、陛下!」 その行く手に、晧月が立ちふさがった。 陛下が足を止める。 晧月……何を! 「そのような町娘、陛下の伴侶として何もかもが足りておりません。何故その娘を!」 ああ、そんな、陛下にご意見するだなんてとんでもないことを! だけど陛下は少しも表情を変える事無く、フンと鼻で笑って言った。 「地位名誉など、些事。私は私の愛するものを迎えるだけだ」 膝をつく晧月の横をするりと抜けて、馬車に私を乗せて、自分も乗り込んだ。 最後に見た幼馴染は。 ギリ、と歯を食いしばって、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
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