聖戦ノ章

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聖戦ノ章

口上  第一受球(レセプション)押球(トス)撃球(アタック)などの排球(バレーボール)用語を、敢えて漢字とそれに付する仮名でもって表記しているのは、我が邦を取り巻く、昨今の風雲急を告げる情勢を(かんが)み発せられた、 「軽佻浮薄(けいちょうふはく)たる武国語(ブリティッシュ)氾濫(はんらん)如何(いかが)なものか」  とする連邦政府首相の私的談話を、私なりに重く受け止めたからである。  (いや)、賛意ではない。  精一杯の皮肉を込めているのだ。  友と排球(バレーボール)に対する精一杯の愛情と共に。 序幕(プロローグ)  蝉時雨(せみしぐれ)に全身が  ぐっしょりと、濡れそぼる  十二歳になった、私は  『MISAKI肆号公式球』を  ギュッと、抱きしめる  葬送の車列が  視界から、かき消える  ――ううっ  と、()らした私の声も  蝉時雨に、かき消える (授業『夏休みの出来事を詩にしよう』より)   壱 第一受球(レセプション) ――いけない、()()()()。  私は、右肘に走る鋭い痛みに貌をしかめる。 ――大丈夫(ドンマイ)(つな)がる  慨嘆(がいたん)する私に、(アカネ)ちゃんが声を投げ掛けてくるが、いや、なかなかに厳しい展開だ。  危機(ピンチ)である。  やらかした、と云って良い。  諸賢(しょけん)に急ぎ状況を概説すると、送球者(サーバー)が放った跳躍無回転(ジャンプフローター)送球(サーブ)によって、第一受球(レセプション)が、乱されたのだ。  敵に、文字通り狙い撃ちされたのは、このとき後衛右端(バックライト)を守っていた、私こと伊吹(いぶき)有衣(ゆい)。  本の虫ならぬ『本の蟲』を自認する――虫の文字が三倍な分、沼への耽溺(たんでき)ぶりも三倍な――(よわい)二歳以来の読書好き。(母上・談)  『文字通り』などと云う表現を、斯様(かよう)な危機的状況下ですら好んで使ってしまう辺り、重篤(じゅうとく)なる活字中毒症を疑われる十六歳の女子である。  そんな私が、或る理由から、四年程前よりとある球技(スポーツ)精励(せいれい)し、汗を流しているのだから青春というものは計り知れない。  眼前に広がる広漠(こうばく)たる大洋を前にして、さて私の羅針盤は何処(いずこ)を指し示しているのだろう。  情熱と言う名の疾風(かぜ)だけは、帆いっぱいに吹きまくっている事は、確かであったが――。  いや、失敬。  哲学などしている場合では、ない。  今しがた、そんな私が差し出した、真白き細腕に送球(サーブ)が吸い込まれた迄は、良かった。  否、(むし)ろ上々の首尾といって良い。  ()にも(かく)にも、身長六尺三寸(約一八九センチ)を超える、キャサリン・ワンジャなる亜弗利加(アフリカ)某国出身の、超高校級と云うよりは超弩級――予選での選手登録は禁じ手とした方が、世のため人のため、キャサリンを持たず、使わず、持ち込まず――と思える程の、強烈極まる上に、無回転ゆえに激しく空中で変化する球を捉えることに成功したのだから。  (しか)し、そんな私がなんとか返した球の弾道(コース)は、最善とは言い難かった。  前の競技(セット)で痛めた肘を無意識のうちに(かば)ったのか、想定したよりもやや手首近くで受けてしまった。  私の腕から勢い良く(はじ)かれた球は、腰よりやや低い高さで自陣(コート)を斜めに切り裂くや、限界線(サイドライン)へと肉迫する道を選んだのである。  しかも速い。  自暴自棄(じぼうじき)にも程がある。  本来――球の勢いを殺し、緩い放物線でもって――返球すべき相手である司令塔(セッター)海堂(かいどう)智美(ともみ)が、咄嗟(とっさ)に体を(ひね)りながら右腕を大きく伸ばし、跳躍受球(フライングレシーブ)を試みるも(わず)かに間に合わない。  もう、諸賢(しょけん)もお気付きの事と思うが、今、私達が興じているのは、排球(バレーボール)と言う球技である。  敵陣に返す前に球が床に落下してしまっては、(はなは)だマズい、マズいのだ。  だが、次の瞬間であった――。 弐 押球(トス) 「せい!」  白石怜奈(ミドルブロッカー)の細くて長い()()()前衛左端(フロントレフト)の位置から鋭い踏み込み(ステップ)と共に繰り出され、(ボール)を高く、高く、競技場の天井めがけ蹴り上げた。  怜奈(レナ)の『中段回し蹴り』が、炸裂したのである。 ――ほらね?  茜ちゃんの満足げな、かつ幼子(おさなご)(いつく)しむかのような声音が、耳元に響く。   「テーン!」  危機(ピンチ)を救ったのは、五尺六寸(約一六八センチ)の『長身』――との形容は、我が『月ノ和(ツキノワ)女子学園排球部』に限って成立する。何故ならこの値は、今大会出場四十校の平均値に過ぎない――を誇る愛すべき空手馬鹿、怜奈(レナ)。 「最後に戦場に立ってるのは、私です!」  なる、(ほとん)ど意味不明の()()を先日開かれた壮行会の席で披瀝(ひれき)し、講堂に参集した大多数の生徒及び教職員一同を茫然(ぼうぜん)の崖から自失の大海に叩き込み、一部の狂信的――熱狂的と云う表現では、生ぬるい――愛好者(ファン)達から割れんばかりの喝采(かっさい)を浴びた、強者(つわもの)である。  その怜奈が大声で呼ばわった「テン」なる符丁(ふちょう)は、我が校、否、我が郷随一の運動神経の持ち主にして得点王(エース)である天王寺(てんのうじ)小羽(こは)競技場名(コートネーム)である。  その命名に際して、普段呼び慣れている「コハ」ではなく、「テン」こそが相応(ふさわ)しいと声高に主張したのは、他でもない、この空手馬鹿であった。 参 回想―競技場名(コートネーム)命名の儀― 「だからさ、こう体の奥底が(たぎ)るような、熱い闘志って奴? 燃える闘魂って奴? そういうバッチバチの青春の活力って云う奴がさ、いまいち沸いてこないんだよ。コハ~じゃ」  この個人の主観てんこ()りの意見に、当人は、 「コハ……で、ええやン?」  と、長い睫毛で縁取られた大きな二重の瞳に(けん)を込めるや、発案者をチロリと(にら)みつつ、至極真っ当なる意見を私達の故郷たる月御門(ツキミカド)の言葉で述べた。  だが、『東亜無二』との呼び名が高いこの美少女の、憤懣(ふんまん)やるかたなしと言った表情がなんとも可愛らしく、また、彼女が口を開くこと自体、稀事(まれごと)であったので、 「小羽ちゃん、競技中だよォ? 呼び辛いよォ、コハ~じゃ」  と私が、成層圏における酸素分子濃度よりも遥かに希薄で、紙キレの如きペラッペラな根拠でもって反証を試みるや、状況把握力に富んだ生来の配球者(セッター)たる智美も、『これはイジった方が、面白かろう』と踏んだらしく、 「うん、不思議と力が脱け、意識が混濁するわね。きっと脳内に於ける神経伝達物質の分泌もしくは受容を阻害するのよ。コハ~じゃ」  と、トンデモ理論を持ち出して論戦に参加する。  真顔でそんなことを云われると、常に冷静で、泰然自若(たいぜんじじゃく)の生きた見本の如きその為人(ひととなり)を幼き頃より知る私としては、最新の脳科学の成果を聞かされたかのような気分になる。  間違いなく、口から出任(でまか)せである筈なのに。 「んんー」  (しか)して小羽は、たったの二音節で不満の意を表す。 「ほら? 素敵じゃないテンって。天まで届けのテン。てんてん手毬(てまり)のテン……。毬のように弾んで、まるで天を舞うかのような、小羽の跳躍(ジャンプ)にぴったりよ。天下一品のテン!」  私の口から飛び出した、恐らくは大脳新皮質を経由しない、多分に脊髄(せきずい)反射的な言葉が、小羽にある変化をもたらした。  見る者を(とりこ)にする、黒曜石の如き深い光沢を有する瞳に、(ほの)かな光が(とも)る。 「……ん」  小羽は、僅か一音節で肯定の意を示す。  ()くして、競技場名(コートネーム)は、小羽(テン)怜奈(レナ)智美(トモ)(ユイ)に決定したのだった――。 肆 助走そして伸張  その小羽(テン)は、右腕を挙げて怜奈(レナ)に無言――この人は、肯定は「ん」、否定は「んんー」、どうでもいいときは「……」の二語と沈黙でもって日常を大過なく過ごしてしまう――で応じると、第三拍子(サード・テンポ)と呼ぶには余りにも冗長過ぎる球の軌道を瞬時に計算したらしく、前衛右端(フロントライト)の位置から大きく後方へと移動すると、助走を開始する。  その動きから、下手(アンダー)で受け、敵に好機球(チャンスボール)を返す気など微塵子(ミジンコ)の毛先ほども無いことを、私は知る。  競技得点(セットカウント)二対二で迎えた最終第五競技(セット)。  得点は、十四対十二。  私達『月ノ和(ツキノワ)女子学園』が、二点先導(リード)しているものの、ここで取られると、相手側は二点連取。  (いや)な流れに成ってしまう。  決勝点(マッチポイント)まで、あと一点。 ――ここで決めなァ、あかん  そんな小羽の心意気を、(りん)とした清冽な空気を放つ其の整った相貌から、私は、察知する。 ――左脚(アン)右脚(ドゥ)左脚(トロワ)!  小羽の助走に合わせ、私は心の中で数を(きざ)む。  最後の踏み込み(トロワ)で、彼女は、両腕を大きく()()()()()後背へと振り上げる。  右脚の(かかと)が、先に試合場(コート)の弾性床に接地する。  内股ぎみに合わせた左脚が、それに続く。 「行けェ!」  怜奈(レナ)が、再び叫ぶ。 「テン!」  智美(トモ)が、祈るような表情で声音を発する。  仲間達(チームメイト)が放つ、玲瓏(れいろう)たる想いが、小羽の小さな躰を貫き、彼女の背に見えざる翼を発現せしめる。 ――それっ!  そして――。  小羽は、下肢を爆発的に伸張させる。 ――飛べェ!  私は、ギュッと両拳を握り締める。 伍 飛翔(テイクオフ)  助走によって生じた勢力(エネルギー)が、跳躍(ジャンプ)力へと変換されると同時に、小羽は、翼のように背に回していた両腕を、天頂方向へと鋭く振り上げる。  次の瞬間――。  小羽は、飛翔し、一気に最高到達点に達する。  舞踏(バレエ)で鍛えた腹筋、背筋そして腸腰筋(ちょうようきん)が躍動し、五尺丁度(約一五〇センチ)の小さな躰が、三日月状に()り返る。  地上一丈一尺(約三・三メートル)の(そら)で、全身の反りと(ねじ)りから生まれた勢力(エネルギー)を、しなやかな肩の回転によって生じた遠心力と共に、(ボール)の真芯へと、彼女は、叩きつける。 ――行けェ! コハちゃん!  茜ちゃんの精一杯の声援(エール)が、私の耳元の直ぐ傍で響き渡る。 陸 撃球(アタック)  藍玉色(アクアマリン)櫻桃色(チェリーピンク)(あしら)った『月ノ和(ツキノワ)女子学園排球(バレー)部』の試合着衣(ゲームウェア)(まと)った華奢(きゃしゃ)な体が、くの字に折れる。  小羽の掌から放たれた衝撃(インパクト)を受け、時速二五里(時速約一〇〇キロメートル)を超える初速を得た直径七寸の『MISAKI伍号公式球』は、敵の三枚人壁(ブロック)(あざわら)うかのように、其の一寸ほど上の空間を貫き、攻撃境界(アタックライン)の真上、敵後衛陣の眼前に広がる、全くの無防備なる空隙(くうげき)に雷光の如く突き刺さった。  それは、『側部攻撃者(ウイングスパイカー)』と云う排球(バレー)用語をもじった、『翼有る狙撃手(ウイングスナイパー)』なる通り名を、後に報道陣(メディア)より贈られることになる彼女にして今大会最高高度からの『狙撃(バックアタック)』となった。  伍号公式球が床に衝撃を伝える 「ダンっ」  という鈍い音が、月城國(つきしろのくに)國立競技場第一体育館の中央試合場(センターコート)に響き渡たり、試合終了(ゲームセット)を告げる審判の笛(ビートホイッスル)の音が鳴ったとき、小羽の小さな躰は、(いま)だ宙に在った。  球技用弾性材が隙間なく敷設(ふせつ)された蜜柑(みかん)色の床に両脚で着地した小羽は、光の速さで駆け寄ってきた怜奈と、それにやや遅れて集まって来た私と智美に強く抱きしめられ、腕を取られ、揉みくちゃにされた。 「テン、テン、あーん、てーん」  『初等科六年男子』並みに単純なる中身とは裏腹に、涼しげで理知的な印象を見る者に与える端正な眉目を有する――故に回教(イスラム)原理主義者並みに過激かつ狂信的な愛好者(ファン)倶楽部が存在する――怜奈は、汗と涙と鼻水でもって見目麗(みめうるわ)しい相貌をぐっしゃぐしゃにしながら、涙声で盟友の競技場名(コートネーム)を連呼する。  我が『翼有る狙撃手(ウイングスナイパー)』こと小羽は、怜奈の汗で濡れそぼった背中を、幼児をあやすかのようにポンポンと優しく叩くと、長い睫に縁取られた大きな二重の瞳で私を見つめ、寡黙(かもく)な筈の口を開いた。 「有衣(ユイ)ちゃん……好第一受球(ナイス・レセプション)」  私の肩に、送球者(セッター)の智美が、長い腕を回してくる。 「うん。よく頑張った。()()()()()」  最後の返球が乱れてしまったのに、褒められてしまった。  ()()()()()()()()()()()()、嬉しい反面、気恥ずかしくもある。 「智美(トモ)ちゃん……好闘志(ナイスファイト)」  小羽は、私に続いて跳躍受球(フライングレシーブ)を試みた智美を賞賛する。  この子がこれ程多弁になるのは――と云っても未だ数語しか発してないが――数年ぶりのことなので、私も智美も驚嘆を禁じ得ず、共に互いの顔を公式球のように丸くした目で見つめ合う。 「テーン私にも(グズ)そういうの(グズ)なんか(へーくしょん)ちょうらい」  鼻を二度鳴らし、(くしゃみ)を一つかました怜奈が、子供のようにおねだりする。  小羽は、姉妹同様に育てられた幼馴染み二人を微かに見つめ、促す。  以心が伝わった私達は、声を揃えて、愛すべき空手馬鹿に激賞の言葉を贈った。  あの神速の中段回し蹴りに相応しい言ノ葉を――。 「怜奈……技あり!」 柒 翼有る狙撃手(ウイングスナイパー)  三日間に渡る激戦が繰り広げられた『全連邦高等学校排球選手権大会・月城國予選女子の部』は、創部以来初めて郷予選を突破し、國予選に駒を進めた私達『月ノ和(ツキノワ)女子学園』が、新設校ながら四大会連続の全連邦大会出場を狙う『帝栄(ていえい)高等学校』を、第五競技(フルセット)まで(もつ)れ込む大乱戦の末、撃破すると云う、(およ)そ、誰もが予想だにしなかった『大番狂わせ』のもと幕を閉じた。  《月ノ和》 《帝栄》  ○ 二五 ー 二二  ○ 二五 ー 二三  ● 三ニ ー 三四  ● 三七 ー 三九  ○ 十五 ー 一二  第一、第二競技(セット)を競り合いの末、先取したもの、第三競技(セット)から出現――出場では、断じて無い――した、あの黒き巨人キャサリン・ワンジャ嬢に(ことごと)()てやられ、粘りに粘ったものの二連続で競技(セット)を奪われてしまい、試合は、最終競技(セット)まで(もつ)れ込む大接戦となったのだ。  其れにしても――。  ()()()()()()良くやった、と云えまいか。  そう、四人。  此処で、諸賢(しょけん)に未だ伝えてない事実を一つ明らかにしたい。  勝者たる我が『月ノ和女子学園』の選手(メンバー)は、私達、一年生()()()()なのである。 【月ノ和女子学園排球部】  天王寺(てんのうじ)小羽(こは)(一年)     五尺丁度 翼有る狙撃手(ウイングスナイパー)  白石(しらいし) 怜奈(れな)(一年)     五尺六寸 愛すべき空手馬鹿(ミドルブロッカー)  海堂(かいどう) 智美(ともみ)(一年)     五尺五寸 沈着冷静なる司令塔(セッター)  香月(かづき) 有衣(ゆい)(一年)     五尺三寸 語り()攻守配球補(ユニバーサル)  昨年、『社団法人連邦排球協会』が主催する大会の規則(ルール)が一部改定され、中等及び高等学校に於いては、登録選手は「六人以上」とする文言が、削除された。  此れは、少子化の影響で部員獲得がままならない学校が増加しつつある現状を、同協会名誉総裁たる高島宮百合子妃殿下が大いに憂いていらっしゃる、との新聞報道を契機に、 「大会参加の機会を与える工夫を求める」  とする連邦政府の諮問機関(しもんきかん)からの答申が出され、実現したものである。  少人数登録校の参加を許可することで、競技の裾野を活性化させる意図があったものと推察されるが、この改定は、『勝利至上主義』に陥っている一部の――智美の言葉を借りれば、(きたな)らしい――学校関係者に対し、中学・高校に於ける『課外活動』の本来の意義を想起させる『対立命題(アンチテーゼ)』の提示でもあった、と私は、強く、強く信じるのだ。  ともあれ、この規則改定により、私達()()の大会参加が可能に成ったのである。  その地方予選に於いて、他の少人数登録校と同様に、 「初戦で散る」  と思われていた私達四人であったが、大方の下馬評を裏切る事となった。  此の大波乱――或いは、『下剋上』――を可能とした理由を考察するに、先ず第一に上げなくては為らないのが、小羽の存在であろう。  遮二無二(しゃにむに)なって私達が拾いまくった球を、多少軌道が乱れようがお構いなしに、小羽は、確実に仕留め、得点に結びつけて呉れる。  此の安心感たるや絶大で、結果として、私達は、失敗(ミス)を恐れる事無くのびのびと試合(プレー)に集中し、此処一番での好守が続出――接戦をものにする原動力と為ったのだ。  第二に上げるのは、此の『のびのび』に起因する怜奈の『無双状態』の発現である。  智美は、其の怜悧狡猾(れいりこうかつ)押球(トス)回しで、「発火した」(本人・談)怜奈の能力を最大限に引き出し、移動攻撃(ブロード)一人時間差(タイムラグ)速攻(クイック)などなどを自在に演出し、小羽を注視(マーク)する敵の裏をかき、翻弄(ほんろう)する事に成功したのであった。  調子に乗った空手馬鹿(せんとうみんぞく)を止める事は、何人(なんぴと)たりとも不可能なのである。  第三としては、少人数登録校に適用される事に為った、 ・前衛/後衛の区別、設けへんよってな ・せやから、自由に攻守に参加しィ ・位置循環(ローテーション)もやる必要あらへんェ?  とする特別規則(ルール)の適用の影響も大きい。  この規則改定は、翼有る狙撃手(ウイングスナイパー)こと、我らが小さな天使――人型決戦兵器(リーサル・ウエポン)――による『空爆』を常時可能とし、勝利を引き寄せることに大いに貢献したのであった。  体格に言及するならば、私達の平均身長は、五尺四寸に()たない。  月城國予選に出場した四十校の平均値より三寸、決勝で対戦した帝栄より五寸も低い、最低身長、最低登録人数、しかも全員一年生と言う『ちびっ子若年軍団』である。  そんな、大穴が大本命を制した――或いは、幕尻力士が横綱から金星を勝ち取った――快挙に、女子排球界および帝栄の指導者層は、震撼(しんかん)したに違いない。    其れこそが、私達が、あの十二歳の夏の日に、円陣を組んで、果たそうと誓いあった『戦争目的』であった。  私達は、大人達の鼻っ柱に正拳を叩き込んだのである。  さて、決勝戦を終え、國立体育館がある國府(こくふ)から(さと)へと向かう、帰りの汽車の中でのことである。  箱型椅子席(ボックスシート)に収まるや、テンこと小羽が、私に語り出したのだ。  (アカネ)ちゃんの声を聞いたと。 扒 十六歳の夏、箱型椅子席にて 「有衣ちゃん……あんなァ……うちなァ……声がなァ……聞こえて……来てン」  口火を切ったのは、私の正面に座る寡黙な筈の撃墜王(エースアタッカー)であった。 「ん?」  声と云われて、私は、ある予感に駆られる。 「最後のなァ……一本……決めるとき……『行けェ! コハちゃん!』……て……耳元で……あれって……茜ちゃんの……声やったわァ……間違い……あらへン」  小羽の常に見せない独白に、智美、怜奈、私の三人は、沈黙のまま互いの貌を忙しく見つめあい、確信を込めて肯きあった。  やはり――。 「みんな、聞こえてたんだね。茜ちゃん、応援に来てくれてたんだよ。第一受球(レセプション)も、何度も、何度も、助言(アドバイス)してくれた……」  私は、膝の上に乗せた公式球を両掌で包み込むとように抱えながら、あの日の記憶を映し出す鏡の中に、飛び込んだ。  十二歳の誕生日を迎えた、あの夏の日の記憶に――。 玖  十二歳の夏、箱型椅子席にて 「この(ボール)……ひとりぼっちに、なっちゃったね」  葬儀の帰りに乗り込んだ汽車の中だった。  私は、茜ちゃんのおばさんから形見分けとして渡された『MISAKI肆号公式球』の、吸い付くような触感の皮革をそっと撫でながら、沈黙を破り、そう呟いた。  私の心の海には三角定規の形をした波濤(はとう)が立ち込めていた。  その波間には時折、巨大な蛇が蜷局(とぐろ)を巻いたかの如き渦が生じ、激しい回転運動と共に様々な感情を、深い深い海の底からい(すく)い上げ、ざぶんざぶんと撹拌(かくはん)することを繰り返していた。  大切な人への思慕。  二度と会えない事への哀切。  そして理不尽なる人生への忿怒(ふんぬ)――いくつもの、これまで経験したことがない激情が、立ち込め、ない交ぜに成り、新たな波を生みだしては激しく私を揺さぶり、十二歳の心の羅針盤は、行き場を見失い、狂ったようにグルグルと回り続けていた――。  そんな状況で不意に口を()いて出たのが、先の台詞であった。 「それ……茜ちゃんが、いつも枕元に置いてた球ね?」  四人掛けの箱型椅子席(ボックスシート)には、私の正面に小羽、右隣に怜奈、斜向かいに智美が座っており、そんな三人の中で真っ先に口を開いたのは、頭の回転が速くて機転が()く、智美だった。 「うん……これがあると、撃球(アタック)決めた夢が見れる気がするの、なァんて云って、笑ってさ……。それくらい、茜ちゃん、排球(バレー)が、大・大・好きだった……」  茜ちゃんは、私達の幼馴染みで年齢は三つ上。  背がスラリと高い、排球に励むお嬢さんだった。 「……茜ちゃん、よく言ってた。排球(バレー)は、一度でも床に球を落としたらそれまで。落とさないように、みんなで一つの球を繋いでゆくのよ……そんな球技、他には無いんだからって。それが、とっても楽しいんだから……て。茜ちゃん、排球をとっても、とっても愛してた……」 「うん、よく覚えてるわ。その後必ず、誰か始めてくれたら嬉しいなァ、て続くのよね……私達一人ひとりの顔を、こう覗き込むようにしながら」  智美は、顔をぐっと差し出す真似をしながら、懐かしむように語った。 「いっつもさ、『排球は、究極の団体競技』なんだからねって言って、自慢してたよな……。いつかなんて――『怜奈ァ、ええ蹴りしたはるやないかァー、排球、始めへんかァー』ってさ、もう滅茶苦茶(メチャクチャ)言い出して」  続いて言葉を発したのは、肘掛けに乗せた右腕で顎の辺りを支えるようにして座っていた怜奈だった。  そんな(はす)に構えたような立ち振る舞いや、男の子みたいな喋り方は何時(いつ)ものことだったが、その日は、何だか()ねた幼児のように私には見えた。 「あんなアカラサマな勧誘もないわよね? そしたら怜奈、『いや、人、蹴ってたいから、いいっス』って」  怜奈の口マネをした智美が、クスクスと笑う。数日振りに見る彼女の笑みだった。 「小羽も誘われてたよな? ほら? 小羽って二重跳びで連続三百回跳べるだろ? それを教えてやったらさ、『そらァ、排球やるしか、あらへんやないかァーい』って、下手くそな月御門(ツキミカド)の言葉で、なんでもかんでも排球に結びつけて……なァ、小羽?」  怜奈が、小羽に水を向ける。  豪放磊落(ごうほうらいらく)(てら)いながらも、無 口な小羽を話の輪に入れようと、話題を振り、(いざな)う。  そんな細やかな気配りが出来るのが、我が愛すべき空手馬鹿、怜奈と云う少女だった。 「ん」  怜奈の問いかけに、小羽は、長い睫毛に縁取られた二重の大きな瞳で私を見つめるや、あろうことか次の()()()()()()。 「有衣(ゆい)ちゃん……あんなァ」  一同、身構え、固唾(かたず)を飲む。  見つめられ、名を呼ばれた私は、呼吸すら忘れる。  この子が、肯定の「ん」、否定の「んんー」意外の言葉を発するのは、滅多に無い(まれ)ごとなのだ。 「茜ちゃんがなァ……この(ボール)……繋いで欲しい……()うたはるわ」 「え?」  その意外すぎる内容に、私達は、困惑した。  小羽は、煙るような睫毛の間から瞳を凝らして、怜奈を、智美を、そして再び私にへと視線を移した。  車窓から差し込む七月の午後の陽射しが、その神々に仕える精霊の如き、凛とした空気を(かも)す相貌を照らす。 「この()の中になァ……茜ちゃん、今……居てはる」  小羽は小声で、しかし確信に満ちた口調でそう断言すると、さらに衝撃的なひと言を発した。 「うち……舞踊(バレエ)……辞める。排球(バレー)……やりたい」 「小羽……」  私は、込み上げて来る激情に流されまいと、ギュッと肆号球を抱える腕に力を込めた。 「責任感強ォてェ……自分に、めっちゃ厳しうてェ……そんなうち達の、大好きな、大好きな茜ちゃんが……死んでしもたンは、排球のせいやァ……あらへんと思うのン……」  小羽は、まるで自分自身にも言い聞かせるかのように、音節を切りながら、慎重に言葉を選び、(つむ)ぐ。 「茜ちゃんが愛しはった排球……おじさん、娘の(かたき)みたいに否定しはる……うち……それが悲しうてェ……イヤやねン。茜ちゃん、絶対そないなこと、望んでへん。せやから……球を繋ぎたい。茜ちゃんが愛した排球を、体験してみたい。茜ちゃんと繋がってたい!」  小羽は、そう云うと私の膝の公式球の上に、小さな掌を重ねた。 「小羽……」  無口な筈の幼馴染みの常に無い激白に、私達三人は、口を閉ざしたまま、お互いの貌を忙しく見つめあった。  答えは、一つであった。 「小羽の云う通り、排球のせいじゃない。でも、その排球を『歪める』大人達がいる。茜ちゃんは、そんな大人達に、ある意味、()()()()のよ? それでも、始めるんだったら、小羽――」  智美が、肆号公式球に載せられた小羽の左掌の上に、身を乗り出して、自らのそれを重ねた。 「どうせなら、そんな(きたな)らしい排球、ぶっ(つぶ)してやらない?」  智美の、普段なら絶対使わないであろう物騒なもの云いに、怜奈が、嬉々とした表情で乗っかってきた。 「うし! やろう! 鼻っ柱に、正拳ぶち込んでやろうぜ!」  怜奈が左腕を伸ばし、智美の掌の上に己が其れを合わせる。  ぶっ潰すとか、ぶち込むとか、そんな乱暴な言葉を殊更(ことさら)二人が使う真意に、私は、想いを寄せた。  それは、無口な小羽が、真っ先に『参戦』を表明したことと無縁では無いと思われた。  そうなのだ。  私達は、腹を立てているのだ。  古今無いほどに。  (はらわた)が煮えくりかえるほどに。  茜ちゃんが愛する物を穢し、茜ちゃんを追い詰めた、大人達に。 「うん……繋ごう、四人で」  私もまた、小羽、智美、怜奈と重なった掌の層の上に、左掌を載せる。  十二歳の夏――。  箱型椅子席で円陣を組み、掌を重ね、誓い合う――それが、私達の排球の始まりだった。 終幕(エピローグ) ――左脚(アン)右脚(ドゥ)左脚(トロワ)!  小羽の助走に合わせ、私は心の中で数を刻む。  最後の踏み込み(トロワ)で、彼女は、両腕を大きく()()()()()後背へと振り上げる。  右脚の(かかと)が、先に試合場(コート)の弾性床に接地する。  内股ぎみに合わせた左脚が、それに続く。 「行けェ!」  怜奈(レナ)が、叫ぶ。 「テン!」  智美(トモ)が、祈るような表情で声音を発する。  仲間達(チームメイト)が放つ、熱を帯びた細波(さざなみ)の如き想いが、彼女の背に見えざる翼を発現せしめる。  そして――。  小羽は、下肢を爆発的に伸張させる。 ――飛べェ!  私は、ギュッと拳を握り締める。  連邦体育館中央試合場(センターコート)の宙に、藍玉色(アクアマリン)櫻桃色(チェリーピンク)(あしら)った『月ノ和(ツキノワ)女子学園排球(バレー)部』の試合着衣(ゲームウェア)(まと)った華奢(きゃしゃ)な体が、高く、高く、舞った――。 《完》  「第四回新星ファンタジーコンテスト追放/下剋上」参加作品です。
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