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「すみませんでした」
……気が付けば、きっちり45度の角度で私に向かい、白い息を吐きながら、深々とお辞儀する川村さんの姿が横にあった。
「乱暴なことしちゃって。しかもご迷惑かけて」
「……よかったんじゃない。川村さん、裏稼業なんて向いてないんじゃないの?」
「……かもしれません。地道に職見つけて、地道に借金返します」
そう呟くと川村さんはもう一礼して、私に背を向けた。冬の風が、びゅうっと、彼のよれたジャケットを揺らす。
「川村さん!」
気が付くと彼の名を私は叫んでいた。夜の駅前の、喧噪の中、川村さんが、びくり、と振り返った。
「じゃあ、せめて今日は一緒に飲んで、みんな忘れようよ! 大丈夫、モバイルSuicaにお金たっぷり、あるから! 奢るよ!」
すると川村さんはにっこり笑った。そのとき、私は彼の笑顔を初めて見たことに気が付く。あいかわらずの冴えない中年男ではあったけど、それは、何かを振り切ったような、なかなかにいい笑顔であった。
その笑顔を残して、彼はまた一礼すると、煌々と照明が照らす、駅の改札の中に消えていった。
改札の人混みのなかに彼の姿が溶け去ったとき、私がなぜかちょっと切なかったの何故だろう。冬の夜の、寒風ゆえだろうか。それから私は、スマホの電源を入れ、会社からの着信履歴が延々と記録された画面を確かめながら、明日会社に出勤したら、なんと今日の出来事を報告すれば良いか考える。
……思いつかない。でも、明日には、なにか良い言い訳が、思いつくだろう。
明日には明日の風が吹く。
……願わくば、あなたにも、そうであるように。
そう、祈るようにちいさく呟いた私の声を、駅から響いてきた発車ベルのメロディが、軽やかに掠めていった。
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