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両親はスリップしたトレーラーにぶつかられて、車ごと海に投げ出されてしまった。
あの時、私がぐずぐずしなければ。
あの時、私がお土産を買ってもらうよう言わなければ。
凛子はこの1年間、その罪悪感に潰されそうになる度に、とにかく指を動かして、頭の中を音符で埋め尽くした。入試の曲は美しく光が舞うドビュッシーから、ブラームスやベートーベンの重い曲に変更した。
仁が弾いていた曲も、ラフマニノフの前奏曲に変わった。
それは金木犀の甘い香りと、あの日の叫び声をずっと纏っているようだった。
二人は音大の試験に合格した後、家から寮に移り住み、実家は空き家状態になった。
『不動産屋に相談して、売るか取り壊すかしようと思うの。凛子ちゃんたちが帰りたくなったら、うちに来ればいいのよ』
母方の祖父母は空き家になったことを知って、手続きを進めようとしている。電話口の優しい声に、凛子は唇を噛み締めた。仁がピアノを弾かなくなり、姿を消したのはその頃だった。
背中のリュックで、財布と仁からの便りと白餡のたい焼きが跳ねている。角を曲がると、吹き付けてきた風に、強烈な金木犀の香りが混じっていた。
凛子は数ヶ月ぶりに自宅の門を開け、ドアノブを引いた。
鍵は開いていた。
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