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「それにしても、こんなに上手にできるなんて思わなかったわ。リフレクソロジーを教えてくれた、匠君のおかげね」
「え? ま、まあね……」
母に匠さんの話をされると、毎回ドキッとしてしまう。
匠さんからリフレクソロジーを教えてもらっていたけど、三年前に天国に逝ってしまったということは伝えた。
だけど、それ以上の深い話をしようとは思わない。
自殺しようとしていたところを止めてくれたことや、匠さんのおかげで変われたことは、内緒にしている。
もちろん、そんな匠さんに恋心を抱いていたことも、教えていない。
私と匠さんの関係性に、あまり踏み込んでほしくないから、匠さんの話は早く切り上げるという癖がついてしまった。
あの恋は、私の胸だけにずーっと刻み込まれている。
「匠君から受け継いだサロン、大事にしなさいよ」
両足への施術が、もうまもなく終わろうとしているところで、母からの激励の言葉が飛んできた。
私はその言葉をガッチリと受け取って、一生懸命働いていくという決意を顔色に出す。
覚悟を決めた顔が母の瞳にも映ると、安心するように「ふぅー」と一息ついて、優しく笑いかけてくれた。
「栞なら、大丈夫よね。私の心配なんて要らないはずだわ」
「うん、頑張るからね」
そんな和やかな雰囲気の中で、施術は終了した。
母の足裏は、施術前に比べてだいぶ柔らかくなっていると思う。
母もそれを実感しているのか、嬉しそうに足首を回している。
私は、この表情が見たかったんだ。
お疲れの体を、私の手で温めてあげることができれば、こんなにも幸せそうな顔が見られるのだ。
その顔を見るために、匠さんの分も、これから頑張っていこう。
「うわ、足が軽いわ。また来ようかしら」
「ありがとう。でもわざわざサロンに来なくていいよ。家でやってあげるから」
「何言ってんの。あなたはプロなんだから、きちんとお金を払わないといけないでしょ」
「律儀だなぁ」
店の前でお別れをしたところで、また数時間後には家で顔を合わせることになる。
これからも、母とは一緒に暮らしていく予定だ。
ここまで育ててくれた恩返しを、ゆっくりとしていけたらいいと思っている。
そのためには、サロンを軌道に乗せないといけないし、セラピストとしての腕も上げなければいけない。
まだまだ先は長いけど、この先の人生が、楽しみで仕方なかった。
「じゃあ、帰るわね。今日は美味しいもの作って待ってるから」
「はい、気をつけて帰ってね」
母の後ろ姿が見えなくなるまで、手を振って見送る。
足が軽くなったのを体現するように、早足で歩いていった。
弾むように帰った母を見ていたら、ようやく親孝行ができた気がして、気持ちが楽になった。
人通りの多いこの大きな道だけど、裏路地に入ると、一気に廃れた雰囲気が醸し出される。
高校を卒業しようとしていた頃に、偶然出会ったこの寂れたビル。
あの頃の私は、裏路地を歩くのがお似合いだった。
暗い闇に染まる勢いだった私を、匠さんが明るい表通りに誘ってくれた。
今となっては、もうあんな気持ちで屋上に行くことはないだろう。
匠さんが天国で笑ってくれるように、多くの人の心を、リフレクソロジーで救っていきたい。
この『フットリラクセーションサロン・イフ』で、たくさんの人の心を温めていきたい。
もし叶うのであれば、私が死ぬその時まで、このサロンを続けたいと思う……。
〈完〉
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