全力疾走

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 にこやかな笑顔を見せながら、私に握手を求めてきた。  肩が凝ってしまいそうなくらい重いボストンバッグを風太君に預けて、ガッシリとその手を握る。  お母様の手は血管が委縮しているのがわかるくらいに、冷え込んでいた。  息子の手術中というこの瞬間に、相当なストレスがかかっているのだろう。 「いつも、ご兄弟にはお世話になっております」  この空間に合わせるような細い声で、お母様に感謝を伝えた。  お母様は、首を横に振りながら「こちらこそ」と答えてくれる。  私はお世話されてばかりで、この兄弟にはまだ何にも返せていないのに……何て良いお母様なんだろう。 「あ、あの、匠さんは!?」  挨拶が終わった空気になってから、すぐに匠さんの容態を聞いた。  本当は開口一番にでも聞きたかったけど、さすがに自己紹介の方が先だった。  会話の波が一つ去ったところで、改めて今の現状について聞いてみる。  急に前のめりの姿勢になった私を見て、お母様は落ち着くようにして、もう一度長椅子に腰掛けた。 「栞さんも、隣座って」  お母様の横にあるスペースを手でちょんちょんとしながら、そこに座るように促してくれる。  二人が並んで長椅子に座ったのを見て、風太君はどこかへ歩いて行ってしまった。  まさか、匠さんたちのお母様と、二人っきりになるなんて。 「匠は、今も闘っている。栞さんと出会って、あの子も変わったのね」  微動だにしない手術室の扉を見つめながら、穏やかな顔で話してくれた。  私に出会って、匠さんが変わった? いや、変わったのは、私の方だ。  匠さんのおかげで、これからも生きてみようと思えたし、生きる希望も見つけることができたんだ。  それは間違っているということを、やんわりとした言い方で伝える。 「いえ、匠さんが私を変えてくれたんです。匠さんはいつでも前向きで、私に生きる意味を教えてくれました。匠さんのおかげで、私は生きたいと思えています」  お母様は目尻を垂らして、視線を私の方に移してくれた。  やんわりとした言い方を意識したのに、いざ話し出してみると率直に物を言う口調になってしまった。  的確に表現できない自分が恥ずかしくなって、見つめ合っていた目線を逸らす。 「匠から全部聞いたの。栞さんのことを」 「私のことを?」  逸らしていた目線をまた戻して、すぐに聞き返してしまった。  匠さんはお母様に、どんな風に話したのか。全部を聞いたと言っているから、私が一度死のうとした人間だということも、知っているのかもしれない。  匠さんが話した内容が気になって、お母様に強い関心を向ける。 「栞さんとの出会いから、今に至るまでの思い出を、楽しそうに話してくれた。そして、匠は最後にこう言ったわ」  もはや頷くこともしないまま、お母様の話に引き込まれていた。  やはり、私が自殺しようとした日のことから、包み隠さずに説明したらしい。  それを踏まえて、これまでの私たちが共有してきた時間の話を、匠さんがどうやって締めくくったのか。  唾を飲み込んだ音が聞こえた後に、お母様は口を開いた。 「俺、好きな人ができた……てね」
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