桜の花びら

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桜の花びら

 柔らかな風は春を歓迎しているみたいで、私からしたら残酷だ。  とうとう迎えてしまった春に、抱えきれないほど膨大な憂鬱さを感じる。  それでも、私はやらなければならなかった。  匠さんとした約束を果たすために、毎日のように試験対策を繰り返す日々。  もう、絶対に失敗することはないだろうっていうくらいに、自信はついている。  大学受験を失敗した時みたいに、自分が嫌になって、どん底に沈むような経験は二度としたくない。  長い長い春休み期間、資格試験の勉強で忙しいとはいえ、匠さんが入院している病室には毎日通った。  匠さんが眠っているベッドの隣で、黙々と教材の知識をインプットしている時間だってあった。  日に日に弱っていく匠さんだけど、私の頑張っている姿はしっかり見届けてくれているはずだ。  匠さんと共に過ごす春休みは、飛ぶように早く感じる……。  ーー運命の日は、不思議と緊張しなかった。  失敗は許されない試験なのに、待ちに待ったという気持ちの方が強くて、自然体で臨むことができた。筆記も実技も、特に目立ったミスはないと思う。  通信講座で対策した通りの問題が出たし、匠さんが教えてくれたような施術もできたはず。  これだけ手ごたえのある試験になったのは、胸ポケットに忍ばせておいた、お守りのおかげかもしれない。  ずっとこの日のために努力してきたから、終わってみると案外あっさりとしていて、壁を乗り越えた気にはならなかった。  何はともあれ、私のために闘ってくれている匠さんのために、一刻も早く合格の知らせが欲しい。  試験が終わった日から満足に寝れた日はなく、逸る気持ちのままで過ごしていると、生きた心地はしなかった。  『リフレクソロジー・プロセラピスト認定証』という、プラスチックのカードが届いたのは、試験の日から一週間が経った後のことだ。  認定証が入っていた分厚い封筒には、合格通知在中と書かれていた。  間違いなく合格したんだと、実感した瞬間だ。  新品の認定証を手に持ってみると、宝物を携えた感覚になった。  リビングで流れているテレビからは、桜の開花情報が聞こえてくる。  私はすぐに着替えて、匠さんの待つ病院まで走った。  右足、左足と、脳が指令を出さずとも動くみたいに、体がどんどんと前に進んでいく。  ピカピカの認定証を握りながら、少しでも早く匠さんのもとへ着くように、がむしゃらに走っていた。  さっきテレビで言っていた通りに、桜は綺麗に開花している。  私を応援するかのように、沿道に生えている桜の木が風で上下に揺れていた。  薄いピンク色をした花びらが、私の視界を楽しませるように舞っている。  この日を迎えたくなかったはずなのに、どうしてこんなに華やいだ気分になれているのだろう。  多分その裏側で、この日を待ち望んでいた自分がいたからかもしれない。 「匠さん!!」
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