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「匠さん! 私、私……」
言いたくても、声が詰まる。ようやく、匠さんに安心してもらう時が来たんだ。
それを言ったら、匠さんはいつもみたいにクシャッとした笑顔を見せてくれるだろうか。
匠さんは私を信じてくれているはずだから、あまり驚きはしないかもな。
その先の反応を期待しながら、意気揚々と認定証を見せようとした時に、ドクターが私と風太君の腕を掴んで廊下に連れ出した。
突然話の腰を折られたので、状況が理解できない。
「な、何するんですか!?」
「申し訳ない、どうしても今話さなきゃいけないから」
ドクターの強い目力が、私を委縮させる。
その目の強さで、これから語られる内容の重みが、なんとなく量れた気がした。
物音が一つも鳴らない静かな廊下に、ドクターの落ち着いた低い声だけが、寂しく響き出す。
「こんなことを言いたくはないけど、おそらく今この瞬間が、匠君と話せる最後のチャンスだと思う。悔いの残らないように、声をかけてほしい」
私も風太君も、膝から崩れそうになるのを、必死に堪えているみたいだった。
ドクターから目を背けるように、真っ白な床に目線を落とす。風太君は私と対照的に、ドクターから視線を逸らしていない。
悲しみの表情はそれぞれ違うけど、私も風太君も、その受け入れ難い現実を認めたくないということは確かだ。
「弟君、親御さんは今どこへ?」
「両親は今、職場からこっちに向かっています。二人共遠い職場なので、まだ時間がかかりそうですが」
「そうか。だったら家族として、君が最後の言葉を交わすんだ。匠君に、今までの感謝を伝えてあげなさい」
え……? 私は、話してはダメなの?
俯いていた顔を即座に上げて、風太君に助言をしているドクターに念を送る。
それだけは譲れない、絶対に。
ドクターは、私と匠さんが歩んだこの一年を知らないから、そんな無情なことを言えるんだ。
なかなかこっちを見てくれないドクターに、我慢できずに声で主張してしまう。
「私にも時間をください! 匠さんと話したいことがあるんです!」
涙目で訴えると、ドクターは私の目の高さまで屈んだ。
困ったような顔をしながら、小学生に言い聞かせるみたいな口調で、優しく諭してくれる。
「いいかい。何よりも濃い時間を過ごしたのは、家族なんだよ。君にとっても大事な人かもしれないけど、匠君の最後の時間は、家族と過ごした方が良い。それが、匠君のためになる」
涙が次々と押し寄せて、頬を伝って床に落ちていく。
大人から言われるその言葉は、とてつもなく重い。
ワガママなんかは通用しない、まさに正論だと思った。
だけど、これは理屈ではない問題なんだ。
匠さんとの約束を果たせたことを伝えない限りは、匠さんを死なすわけにはいかないんだ。
分をわきまえるとか、大人ぶった振る舞いは……死んでもしたくない。
決して曲がることのない想いを、ありのままの私で、ドクターにぶつけた。
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