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エピローグ
澄み渡る青空を、真っ白なわたぐもが、自由気ままに流れている。
抜群の解放感と共に手を伸ばしてみても、それに触れることはできない。
触れることはできないはずなのに、不思議と遠い距離にある存在だとは思えなかった。
寂れた五階建てのビルの屋上で、深呼吸をしながら太陽の光を浴びると、グングンと成長していく気になれた。
「樺山ー! そろそろオープンするぞー」
「待って、もうちょっとだけ」
匠さんがいなくなってから、三度目の春。
今年無事に大学を卒業した私は、そのままサロンを経営することになった。
もちろん、場所はここ。
匠さんが遺してくれた『フットリラクセーションサロン・イフ』を、私が再出発させる。
「ったく、こんな屋上で何してるのかと思ったら、空気を吸ってたのか」
「うん、風太君も深呼吸してごらんよ。気持ち良いよ」
「いいよ俺は。それよりも、記念すべき最初のお客様、もう来ちゃうぞ」
風太君は、私が匠さんのサロンを引き継ぐと伝えた時から、パタッと就活するのをやめた。
兄貴のサロンを守ることができるなら、俺にも手伝わさせてほしいって、照れながら言ってくれたのだ。
経営学を学んでいたこともあって、準備はすんなりと進められた。
あとは、心が冷えてしまったお客様を、私の手で温めてあげるだけだ。
「じゃあ、戻ろっか!」
相変わらず古びた非常階段を、風太君と一緒に降りる。
普通に降りているだけなのに、カンカンという金属音が、大袈裟に鳴り響いていた。
最初にここに来た時は、匠さんに引っ張られる形で、この階段を下ったはずだ。
今はあの時とは違って、自分の足で踏みしめることができている。
懐かしむ気持ちを胸に抱いたまま店の前に回ると、すでに最初のお客様が、扉の前で待機していた。
「あれ! お母さん!?」
店の前で、店内を覗くように背伸びしていたのは、間違いなく私の母だった。思わぬ来客に、腰を抜かしてしまう。
予約の処理をした風太君の方を見てみると、したり顔をしながら、笑いを堪えるのに必死になっていた。
「風太君、知ってたの?」
「ああ、電話で事情を聞いたんだ。娘を驚かせたいって」
「風太君、ありがとうね。サプライズ大成功よ」
匠さんと風太君の話は、母に何十回と聞かせていた。
それが理由なのか、こんなに自然な感じで風太君と呼んでいるなんて。
二人で口裏を合わせて、私にサプライズを仕掛けるまで仲良くなっていたとは。
その点も込みで驚いていると、母は笑うのをやめて、私の目を真っ直ぐ見ながら言葉をくれた。
「大学の勉強も、セラピストの勉強も、よく頑張ったわね。サロンオープン、おめでとう」
まるで花束を渡すように、胸にグッとくる称賛の言葉を送ってくれた。
私はこの言葉を聞くために、ここまで頑張ってきたのかもしれない。
風太君もただの笑顔から、優しく見守るお兄さんのような表情に変わっている。
「正確に言うと、リニューアルオープンだけどね。匠さんのサロンから変えた部分ないし」
「どっちも一緒じゃない。とにかく、オープンできて良かったわ」
会話をしながら中へ案内すると、母はサロン内を興味深そうに見渡した。
サロン内の造りは、匠さんのこだわりをそのまま再現してある。
私のエッセンスを取り入れたら、間違いなく変な方向に進んでしまうだろうから、あえてそうしたのだ。
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