6人が本棚に入れています
本棚に追加
/51ページ
Phase1:Install
泉優愛・1
百合ヶ浦市立百合ヶ浦第二中学校。
東海地方のとある県に位置する海沿いの街。その高台に建つ校舎は常に海風にさらされており、錆びや外壁の劣化が目立つ、ごく普通の公立中学校だ。周囲は没個性的な住宅地ばかりで、目と鼻の先に美しい太平洋が広がっていることぐらいしか、特筆すべき環境はない。
校舎は四階建てで、隣に建つ二回りほど小さい建物が旧校舎。それに体育館と運動場、プールが設置されただけの、面白味に欠けた学び舎。夏休みを目前にした校内は熱気が充満しており、窓を全開にしても汗が止まらないほど。朝の涼しさなんてあっという間で、始業のチャイムが鳴る前から灼熱地獄と化していた。やかましい蝉達の鳴き声も、暑苦しさに拍車をかけている。
そんな学校の二年三組に在籍する少女、泉優愛。彼女は登校してからずっと、自分の机に突っ伏したままだった。他の生徒から声をかけられたら挨拶を返しているが、それ以上の会話には発展しない。とあるニュースのせいで、頭の中がいっぱいになっていたからだ。
そのニュースとは朝一番に聞いた、とある俳優の死に関する報道。しかも自殺。人気絶頂のさなかで自ら命を絶つ。兆候とおぼしき行動は今のところなかった、と報じられていた。
突然の訃報が与えた影響は大きかった。と言っても、亡くなって悲しい、という意味ではない。母がファンというだけで、別段好きな俳優ではないからだ。
ただ、高嶺の花の男が自殺した、という事実が重要だった。悩みのなさそうな人でも、人生を諦めて死を選ぶ現実がある。恵まれた何もかもを捨ててまで、死にたくなるなにかが。
――どんなに凄い人でも、死にたくなっちゃうんだ。
――じゃあ、あたしは?
それなら、自分のようなみそっかすな学生はどうなのだろうか。持たざる者の自分が「生きる」ことに、一体どんな意味があるのだろうか。漠然と考えてしまう。答えの出ない疑問が、脳内で渦を巻いてかき乱していた。
頭の足りない自分では答えが出るはずない、と理解していても、どうしてもその疑問に意識が向いてしまう。時間の無駄と言われたらそれまでだろうが、本人はそれなりに真剣に悩んでいる。哲学を学べば楽になれるだろうか、それとも余計にこんがらがってしまうのだろうか。どちらにしろ、ホームルームまでの時間でどうにかなる話ではなかった。
「おはよう、優愛……――って、どうしたの?」
「どうもこうもないって」
遅れて登校してきたのは、友人の黒野凛香だ。長い黒髪に赤いフレームの眼鏡。ちんちくりんな自分とは対照的に、すらりとしたモデル体型。そのクールビューティーさは中学生離れしており、凄腕のキャリアウーマンと言われた方がしっくりくる。白い夏用の制服すら、スマートなスーツ姿に見えてしまうほどだ。格好良いその見た目が、正直羨ましい。
凛香との付き合いは小学校に通っていた頃からだ。きっかけは忘れてしまったが、気付けば仲良くなっていた。見た目も性格も趣味も、何もかも正反対な凸凹コンビだが、ずっと楽しくやってきた仲だ。それはこれからも変わらないだろう。
「もしかして、氷室一真のニュース?」
「なーんで、自殺なんてしちゃったんだろーって」
「ま、誰だっていつかは死ぬものだから。元気出しなよ」
「そうじゃなくって。死にそうな理由がないじゃん、氷室一真ってさ。だって人生成功しまくりなはずだもん」
「ああ、そういう意味」
「うーん、ううむ……ダメだ。あたしにはさっぱりわからないなぁ」
「なんだ、お前。うーうー唸って。消防車かよ」
真面目に悩んでいるところに余計な一言を入れてくるのは、幼なじみの緑川晴樹だ。身長は優愛とあまり変わらないが、変声期を過ぎて声は低めのイケメンボイス。おまけにスポーツが得意で勉学の成績も良く、学校中の女子からの評価も高い人気者。昨年度のバレンタインデーでは、持ち帰れないほどのチョコレートをもらっていた。どこで差が付いたのか、馬鹿でモテない自分とは大違いである。
晴樹とは母親が親友同士という繋がりだ。赤ちゃんの頃から一緒に遊び合う仲で、まるで兄妹のように育ってきた。泣き虫なくせに無鉄砲な優愛は大抵守ってもらうばかりで、晴樹は姫を守護する騎士様のポジション。おかげで幼少期は友情と愛情を勘違いして、「お嫁さんになる!」なんて恥ずかしげもなく言っていたらしい。優愛にとっては完全に黒歴史であり、消し去りたい過去以外の何物でもなかった。
「うるさいなぁ、晴樹には関係ないもーん」
「何だよ、その態度は」
「晴樹はその辺の女の子とイチャイチャしていたらいーじゃん。あたしは人生について、深く深ーく考えているところなんだから……」
「意味わかんねえ」
幼なじみとはいえ立場が全然違う、遠い存在になってしまった。晴樹はみんなの人気者で、自分はクラスの底辺を漂うモブキャラ女子。一緒にいるだけで劣等感がむくむくと湧き上がってくる。それでもこうして絡んでくるのは、いわゆる腐れ縁なのだろうか。今でもこうして関わってくれるのは嬉しい反面、彼との差を痛感して悲しくなってしまう。そんな矛盾を抱えてしまい、葛藤に苛まれてしまう自分が嫌だった。
「そういえば……。自殺と言えばね、私の近所で大事件があったのよ」
「事件?」
「穏やかな話じゃなさそうだな」
思い出したかのように、凛香が話し始める。口調からして良くない事件なのだろう。だが、多感な時期は闇のある内容に興味をそそられるものだ。優愛も晴樹も、どんな出来事なのか気になってしまう。
「朝早くなんだけどね、うちの近くに救急車とパトカーが来たのよ」
「うんうん」
「確かに朝はうるさかったな」
「それでね、何事かと思って見に行ったら……陽葵さんの家の前で止まっていたのよ」
「陽葵さんって、うちのクラスの?」
「まだ登校してないみたいだぞ」
身近な人の話となれば、俄然興味が出てくる。そこに非日常的な要素が加われば尚更だ。怪談話は身近な内容ほど怖く感じるのと同様、退屈な毎日にスパイスを与えてくれるかもしれない。優愛は段々と前のめりになっていた。
「多分、今日は来ないと思う。だって陽葵さんのお母さん、自殺したらしいから」
「えっ」
最初のコメントを投稿しよう!