蟲毒

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 自分の命や危険を天秤にかけて何かを成し遂げようなどとは思わない。そんな事は綺麗ごとだ。中嶋からすれば、そんなものはやりたい奴がやってれいばいい。特殊な事情を抱えた者なら、自分にしか出来ないこともあるだろうという意見があるかもしれないがそんなものは「希望」や「理想」だ。こうなればいいな、こういう事ができたらいいな。そんなもののために自分の人生を棒に振るなど冗談ではない。 「考えてみりゃ、俺引っ越さなくていいじゃん。原因消えたし」  腕の痣も佐藤がどうにかしたと連絡をしてから綺麗になくなった。黒いものが消えたのならあの部屋を出る理由がない。 「あ、そういえばそうですね。良かったじゃないですか、変な宗教が近い場所とかネコ屋敷の近くじゃなくて」  何事もなかったかのように小杉も明るく言った。今回の件はこれで終了だ、もう自分達には何も関係ない。  あまりにも白々しいが現実じみた会話を皮切りに「雑談」を終了し、仕事モードへと切り替わる。まるで待っていたかのように一華が戻り、その後調査を続けた結果ターゲットの男性は同じ音楽サークルの女性と浮気をしていたことがわかった。  「何故か」解散してしまった音楽サークルだったが、その後も二人は密会を続け女性宅に行く姿も写真に収めた。証拠を依頼人に提出し、今回はこれで終了となった。  佐藤には礼と、もうちょっとマシな呪い返しをしておけとメールをしておく。何せニコニコ笑いながら……いつもと変わらぬ笑みを浮かべながら黒い塊を持ち主に返した後消滅させていたのだ。それを黒い塊視点で見ていたものだから中嶋は佐藤に殺されるような感覚に陥った状態で目が覚めた。一華に具合はどうだと聞かれて最悪だと答える以外にないほどに。  これでしばらく平和だと疲れた体を引きずって家に戻った。普段あまり酒は飲まないが今日は飲みたい気分だったのでコンビニでビールを買った。しかし部屋に入って目が据わる。  部屋に残った手形はそのままだったのだ。霊的な気配はないがどうやら染みとなって残ってしまったらしい。窓や風呂場などは擦れば落ちるようだが、天井は張り替えが必要かもしれない。賃貸なんだから勘弁してくれ、とがっくりと肩を落とした。  疲れた体に鞭打って泣く泣く部屋の掃除を始めた。せめて寝る時くらいは気持ちよく寝たいので窓についた手形だけでもしっかり落としておこうと拭いていると、隅のほうに小さく「たすけ」という文字が見える。  殺されて吸収された人のメッセージだろう。中嶋は霊が見える人間だと気づいて気力を振り絞って助けを求めたのかもしれない。  今となってはどうしようもないし、そもそも死者に対してできる事などない。助けを求められた時点ですべてが手遅れだったのだから。 「……」  無表情のまま、無感情のまま。中嶋は残っていたメッセージを綺麗に拭き取った。 ・蟲毒・END 幽霊と探偵 to be continued
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