絵画に恋す

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絵画に恋す

 今どこにいますか? 先月は東北にいると聞きました。もう寒いですから、今は南の方でしょうか? 確か寒いのは苦手だと雑誌のインタビューで仰っていましたよね。ですがいつか一面の雪景色を描きたいとも仰っていました。ええ、よく覚えています。何せその質問をしたのはわたくしですから。となると、まだ同じ場所にいらっしゃるのでしょうか。  ですがまあ、大事なのは先生の居場所ではございません。いえ、私の想像の糧にするという意味ではとても有難い情報ではありますが。それよりも先生が今何を考えどんな絵を描いているのかを知りたいのです。  SNSの更新通知が来ました。おや、今は東京のアトリエに戻られましたか。これから新しい絵を描く、ですか。次は人物画を描いてくださいますか? それとも、また風景画でしょうか? いえいえ、先生が何を描かれたとしても不満はひとつも御座いません。わたくしは先生の描かれる絵が大好きなのです。たとえ絵を描いていなくとも、健康で充実した生活を送ってくださればそれで良いのです。先生にはまた人物画を、できることならばあの『異性装自画像』を再び描いていただきたいなど、そんな我儘は申しません。わたくしは先生の良きファンでありたいのです。それ以前に、たった一枚の絵画にのみ執着するわたくしには先生と何の接点も御座いません。当然何かを願う立場にも御座いません。ですがわたくしが魅せられたその絵画を「無かったこと」にはなさらないでください。それはあまりにも寂しいですから。  『異性装自画像』は確かに先生の描かれた絵画のひとつで、作品として世に公開され個展で展示されました。たとえ個展に足を運んだ殆どの者が主役となる方の絵を傑作と呼び、こちらには目を向けなくとも、この作品はわたくしを含め一部の人々に愛されました。否、あちらの作品を傑作だと褒める者達も、こちらの作品があってこそあの個展という空間であったと認めるでしょう。  先生がこの作品を嫌っているわけではないことは当然存じております。ですがもうこの作品は過去になってしまっている。先生や周囲の方々、他のファンの皆様は最近完成した作品や代表作、今描いている作品、そして未来のことばかりお話しになるところを、わたくしが『異性装自画像』についてお聞きしても良いものか考え、ネット上のコミュニケーションの場と言えどいつも尻込みしてしまうものです。ましてやもう描かないだろうと仰っていた人物画の話をして場を白けさせてしまうのも申し訳ない。だからわたくしは密かに想いを燻らせているのです。ええ、何処にも漏らしません。この想いを独りで墓場まで持っていけば誰の迷惑にもならないでしょう。  それでもいつか、この作品を完成させた直後のように、この作品への想いや描くに至った経緯、製作中の裏話などを話してくださる日が来ればと期待しているのです。ほんの少し、ぽろりと名前を出してくださっただけでもわたくしは飛んで喜びます。比喩ではありません。その場で小躍りいたします。それだけ嬉しいのです。時が流れるほど、作品が増えるほど、わたくしの「唯一」は先生の「数あるうちのひとつ」となるでしょう。そう考えただけでも涙が出るほど悲しいものです。  もしわたくしが愛したのが『異性装自画像』ではなく他の作品だったとしても、わたくしは同じ感情を抱くでしょうか? それともこの作品だからこその感情なのでしょうか? できることならわたくしも他の作品にも魅せられたいものです。ですが今のところ、それは叶いません。この『異性装自画像』という作品に、正しくは長い黒髪と白いワンピースを着てじっとこちらを見つめる絵画の中の先生に、わたくしの心は奪われてしまったのです。わたくしは文字通り先生の絵画の虜になりました。わたくしの手元にあるのは本物ではなくレプリカですが、それでもこの世で最も美しい。先生にはいっそのこと、異常者だと笑っていただきたいものです。笑ってくだされば、わたくしの心は深く傷つきこの想いを断ち切ることができるでしょう。ですがわたくしの名も顔も知らない先生にそのようなことができるはずがありません。  先生の対談が掲載された新たな雑誌が届きました。そうですか。次に描かれるのもやはり風景画ですか。人物画はもう描かないと断言してしまいましたか。遠回しにその件には触れるなと仰っているように聞こえましたが。そうですか。  わたくしは自室に飾った『異性装自画像』を見つめました。じわりと目頭が熱くなり、やがて視界が滲んできました。生暖かいものが頬をつたいぽたぽたと床に落ちても、わたくしは動く気になれませんでした。もう、私の愛する作品はここに残っているものだけなのです。そもそもの話ですが、レプリカがあるとはいえ絵画は一点ものがほとんどですから、どの作品に関してもそれは当然です。ですが先生の風景画はカレンダーになりました。ポストカードにもなりました。しかしわたくしの愛する絵はあれっきりです。  わたくしはひとつ思いつきました。もうあれっきりになるのなら、わたくしが代わりに描けば良いと。わたくしが絵画の中の先生を描き続ければ良いのです。そうすれば、この作品に新たな物語が生まれます。新たな一面を見ることができます。馬鹿だ阿呆だと言われても構いません。いえ、誰にも言わずひっそりと描くのですから、誰もわたくしを嘲笑しないでしょう。勿論世に出すつもりは微塵もありません。ただわたくしがわたくしのためだけに描くのです。  そう決意してから、わたくしは寝る間も惜しんで描きました。初めは歪な先生が生まれました。それでも諦めずに描きました。十年も経てば遥かに理想に近づきました。けれどやはり、この悲しみは癒えません。  個展で出逢ったあの日、なぜ無理をしてでも本物の作品を購入しなかったのかと今でも悔やんでおります。せめてそれさえ傍にあれば、わたくしはもう少し心穏やかに生きることができたでしょう。ああ、本物の絵画の中の愛おしい人、そしてわたくしが愛した作品を生み出した先生、今どこにいますか?
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