第一杯 神秘のドンブリ ~卵丼~

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「ここは……いったいどこ?」  アンネはきょろきょろ周囲を見回したが、知っているものが一つもない。さっきまで見えていた部屋の壁とは明らかに色が違う。テーブルと椅子が何故だか何セットも置いてある。鏡台がない。それに全体的に……狭い。  自分の部屋じゃないことだけは、わかった。  その問いの先は、先ほどから目の前に立ちながらおろおろして何も言おうとしない、見知らぬ男に尋ねることにした。 「ここは、どこなの?」 「へ? 俺に訊いてる?」  他に誰がいるのか、という言葉はかろうじて飲み込んだ。今答えをくれそうなのはこの男しかいない。  男はまだせわしなく視線を彷徨わせながら、おずおずと答えた。 「えーと……『ひいらぎ』っていう店です。開店前だけど」 「ヒイラギ……? 聞いたことないわ。じゃああなたは誰?」 「店長の『柊 要』といいます」 「『ヒイラギ カナメ』……?」  店の名も、人の名も、聞いたことのない響きだった。城下町に下りることは滅多にないが、そんな名前の店があったのか。 「店と言ったわね。何のお店?」 「はぁ……小料理屋ですけど」 「コリョウリヤ? いったい何のお店?」 「いえ、その名の通り料理を出す店ですが……」 「リョウリを……料理!?」    男の言う言葉がさっぱり理解できないアンネだったが、『料理』の言葉にだけはぴょこんと跳ねるように反応した。  男を訝るように見ていた瞳が、一気に輝きだす。曇天の空が、急にすべての雲を払ったかのように澄んでいく。無論、アンネは無自覚だが。  そしてこれも無自覚だったが、気付かないうちにどんどん男との距離を詰めていた。 「あのぅ……俺も訊いてもいいですか?」 「なに?」 「どちら様なんでしょうか? そしてどうして店の中に?」  本来なら王女であるアンネに対してあまりにも無礼な質問なのだが、アンネは全く気にしなかった。というか気にならなかった。  それに答えれば、この男は自分が望むものを提供するだろうかなんてことを考えている。 「名は……アンネ。姓は言えないわ。ここに来た理由はわからない。鏡が光ったらいきなりここにいたの」 「……は?」  アンネは捲し立てるように一気に答えた。自分の答えたことが一般的に考えて怪しさしか感じさせないなどとは夢にも思っていない。  一歩後ずさる男に向けて、アンネは一歩にじり寄った。 「さあ答えたわよ」 「は?」 「答えたのだから、料理を作って頂戴」 「え、何でそうなるんですか?」 「ここは料理を出す店なのでしょう。早く!」  要求をなかなか理解しない男に、アンネはじれったい思いでいた。 「そうですけど、店として開くのは明日からで……」  アンネがここまで言っているのに、男はまだ首を縦に振ろうとしない。もう一度言い募ろうとしたその時、別の抗議の声が鳴り響いた。  ぐぅぅぅぅぅぅ…………と。  ごまかしようのない音だった。やはりたくさん食べたと言っても、スープばかりでは無理があったのだ。 「……お腹空いてるんですか?」  アンネは小さく頷いた。 「6日ぶりだもの」 「6日!? そんな馬鹿な!」 「本当よ」  男は目を剥いて驚いているが、アンネにとっては日常だった。回復の魔術を使えば、6日ぐらい飲まず食わずでも生き延びることは可能だ。王女という立場ならば高位の魔術師を呼べるのだから猶更だ。腹は満たされないが。  それぐらい常識として知られているはずなのだが、目の前の男は何故か仰天し、同情の眼をアンネに向けている。  そして(空腹で)倒れ込むアンネにそっと手を差し出し、近くの椅子に導いた。 「わかりました。何か作ります。ちょっとだけ、待っていてください」 「……ありがとう」  颯爽と歩いていく後姿が、先ほどまでのおろおろした様子と一変したせいだろうか。不思議と、アンネはその後姿から目が離せなかった。
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