第一杯 神秘のドンブリ ~卵丼~

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『タマゴドン』と、要は言った。アンネにとっては初めて見る料理だ。  タマネギとタマゴと呼んでいたものはかろうじて見たことがあるし、おそらく口にしたこともある。だがこんなにも甘く芳ばしい香りを放つところを見たことがなかった。  黄色くとろっとしたタマゴと、美しい宝石のような半透明な色に変わったタマネギが、溶け合うように絡まり合っている。そして、重なり合ってほくほくと立ち上る湯気が嗅いだことのないいい香りを鼻孔に運んでくる。  何よりも、このとろりとしたものの下には、あの魅惑の白い食べ物が詰まっている。  スプーンを握る手に、自然と力が籠った。 「い、頂くわ……!」 「ど、どうぞ」  アンネの力みが伝わるのか、要までが身を固くしていた。  スプーンですくうと、先ほどのお粥よりも弾力があった。『ゴハン』とタマゴがすんなりとスプーンに乗る。すると崩れた箇所から、茶色く甘い煮汁がゴハンに沁み込んでいる様が見えた。  この甘い香りは、魔術なのだろうかと思えるほどに引き寄せられる。スプーンに誘われるように、するりと口に滑り込ませた。 「……っ……んんっ!?」  狭い口内に、味と食感が爆発的に広まった。  熱い、甘い、ちょっぴり辛い、柔らかい、甘い、辛い、ふんわり、甘い、そして何より…… 「美味しい……っ!!」  一度そうとわかってしまうと、もう止められなかった。  アンネはもう一度スプーンに山盛りすくい頬張り、飲み下すとまた一杯にのせて頬張る。一言も発せずに、それを繰り返した。  はじめ、言葉に詰まっていたアンネを見て、飲み下すための水を用意していた要だったが、恍惚の表情を浮かべて次々口に放り込んでいく様を見て、安堵の表情を浮かべた。次いで、頬の緊張がゆるんでいった。 「良かった……!」  要がそう言うのと、アンネが最後の一口をごくんと飲み込むのは、ほぼ同時だった。  食べることに夢中になっていたアンネは、ようやくいつものテーブルマナーを踏襲していないことに気付いた。 「……ナプキンはどこにあるの?」 「え? あ、あぁ……少々お待ちください」  要は慌てた様子で奥に入っていき、数分して戻って来た。差し出したものは、ナプキンのような真っ白で折りたたまれた布ではなく、何故かほかほかと湯気の上るふんわりとしていそうな布を丸めたものだった。 「これは何?」 「おしぼりです。気付かなくて申し訳ない」 「ふぅん……?」  よくわからないが、使っていいらしい。  受け取ると、とても温かくて、指先からじんわりと温まっていくのがわかった。広げて、ほんの少し口元を拭うと、我知らず息をついた。 「本当に、美味しかったわ。これは……ゴハンというの?」 「そうですね。ご飯の上に、色々な具材をのせて食べる、丼という料理です。他にも色んな種類の丼料理があるんですよ」 「他にも!? ねぇあなた、このゴハンというものをいつも食べているの?」 「え? そうですね、だいたい毎日食べてます」 「毎日!?」    アンネがわなわなと震えるさまを、目の前の要はきょとんとして見つめていた。どうしてそんな顔ができるのかわからなかった。  こんなに美味しいものを毎日食べるのが普通だというのだろうか。 「あなた……このゴハンというものを、どうやって手に入れているの?」 「どうやってって……店でいつでも買えますが?」 「う、嘘よ! こんなものが流通しているなんて聞いたことがないわ」 「そう言われましても……」  困ったような顔をする要の様子を見るに、嘘ではないらしい。だが信じられなかった。  これほど美味な食材、料理が王族であるアンネの元に今まで一度も運ばれてきたことがない。いつもディーターが気を利かせてスープばかり出していたという実態を差し置いても、だ。  それとも自分が(ディーターのせいで)口にしていないだけで、父や兄弟たち、重臣たちは食べていたのだろうか。  アンネが眠っている間に、自分たちばかり美食を貪っていたということだろうか……。 「許せない」 「え?」  丼の器を持ったままぷるぷる震えるアンネを、要がまたもきょとんとして見つめた。
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