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しかし海藤は、FightもFlightもする前に、消えることになった。
垂水との約束の3日前の深夜、海藤の入院していた病院で非常ベルが鳴った。
本当に火災その他の非常事態が起こったのか、それとも人為的にただ鳴らされただけなのかはわからない。
確かなのは、海藤の病室に誰かが入り、ベッドに眠る海藤を押さえつけ、二の腕に何かを注射した、ということだけだ。
そしてまた、海藤はこの地獄に舞い戻ってきてしまった。
顎を上げ、空を見上げた。
垂水のタブレットの中にいた砂子みちるは、自分とおそらく永遠に戦う機会を無くしたあのバーチャル上の人格は、
来ない敵を待ちながら、今もファイティングポーズをとっているのだろうか。
治療は未遂に終わり、結局、海藤の中には、砂子みちるが存在し続けている。
さらに運が悪いことに、
今、彼女が求めるものは、自分のすぐ隣にいる。
「―――砂子は……」
ずっと黙っていた矢島が口を開いた。
「お前ん中の砂子みちるは、俺に向かって走ってきて、何をするつもりなんだろーな」
「―――え」
海藤はきょとんと矢島を見下ろした。
「やろうと思えばいつでもできただろうに、あいつは一度も俺を殺そうとしたことはなかった。
だから別に、ビビることはねぇと思うんだよな」
矢島は膝に頬杖をつきながら唸った。
「――――」
「もしお前の中の砂子が目覚めて、俺に突進してきたら。そん時は優しく抱きしめてやるから心配すんな」
「―――矢島君……」
「それに今のお前を見て、砂子を連想しろってほうがよっぽど無理があるんだけど」
そう言うと矢島はふっと鼻で笑った。
「なんか顔も細長くなったし、目つきも悪くなったし、髪はぼさぼさで野暮ったいし。全っ然、かわいくねえ」
「―――え」
海藤が茫然と見つめる中、矢島は笑いながら立ち上がった。
「安心しろ。お前はもう、ただのダサいおっさんだ」
「おっさんって……。君とひとつしか年変わらないんだけど……」
「へえ、そうだっけ?ならもともと老け顔なんじゃねぇ?」
パンパンとジャージの裾を払い、軽く伸びをすると、矢島は出入り口に向けて歩き出した。
「でもま、砂子のことは迂闊に口にしない方がいいぞ。疑い深いアホが紛れ込んでるから」
「あ、うん……」
海藤はまだ狐につままれたような気分で、去っていく矢島の後ろ姿を見つめた。
―――笑い飛ばしてくれた……のか?
その事実に胸が熱くなる。
脳裏にバーチャルで作った砂子の姿が浮かぶ。
14歳のまま成長を止めた華奢な身体、小さな顔ゆえに目立つ大きな目、筋肉のない細い手足。
確かに、今の自分とは似ても似つかない。
しかし、
もし彼女が自分の中でまた暴れ出そうとしたら。
選択肢は一つだけだ。
「俺は……戦う!」
あのとき答えられなかった垂水の問いに、今なら胸を張ってそう答えられる。
海藤は車椅子に座ったまま、密かにファイティングポーズをとった。
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