俺は廃嫡され幽閉されてしまうらしい

2/2
125人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
現れたキースは無言で俺の腕を掴むと自身が乗って来た馬車に俺を詰め込み、馬車を走らせた。家からの見覚えのある道のりから、向かう先は恐らく王族の所有する別宅の一つだろう。あそこは家から一番近い場所で、キースと俺の隠れ家のようなものだ。 彼は始終無言だった。声を掛けても何をしても返事がなく、肩を掴めばひどく強い力で叩き落とされる。彼は少し頭が足りていないが根っから素直で気の良い人徳者だ。自分の感情をコントロールできるし、それが怒りや悲しみによるものなら尚更のこと。こんな風に人や物に当たるのは大変珍しいことだった。 そうして、ようやく馬車が止まるとまた手を掴まれ引き摺るように歩き出す。 「おい、おいキース」 「…………」 「聞こえているんだろう、キース! 止まってくれ!」 「うるさいッ!!」 向かった先は案の定思っていた別宅で、ここには普段から使用人の姿がない。幼い頃、キースを引き摺って森の中を駆け回り秘密基地を作ろうとする俺を見かねた保護者たちが用意した簡素な家だからだ。それでも平民一人であれば住むには十分な広さがあり、定期的に手入れを欠かさないのか清潔感があった。 その森の中の小さな家は扉を開けるとすぐに居間があり、居間から続く扉はトイレとバスルームに繋がるもの一つきりだ。空間をパーテーションで区切ることで台所と居間が一つに収められている。 居間と呼ぶそこは寝室も兼用しており、手狭なそこは子供の頃二人で使っていた大きなベッドが床面積の大半を占めていた。 「俺がどうして怒っているかわかるか?」 「貴方は上に立つ者なのだからそうやって威圧せずちゃんと言葉に出せと何度も言ったはずだ」 「……お前、今の状況をわかった上で言う言葉がそれか!」 強く押されて身体がベッドへと沈む。子供の頃に使っていたそれは寝相の悪い俺に合わせて用意された特大サイズで、成人が近くなった今もなお二人で乗っても軋む音一つしなかった。 「俺というものがありながら他の男に色目ばかり使って! 少しは反省したかと思えば何を楽しそうにやってるんだ……!」 冷えたシーツが肌に当たり、居心地の悪さから身を捩る。それを逃げ出そうとしたと捉えたのか、キースが抑えるように上から覆い被さった。 じっと金の瞳に見つめられる。太陽と称えられた彼の容姿は逆光と己の長い睫毛とで影を作り、金色が少し翳っていた。 「……貴方は俺との婚約破棄を申し出た」 「それを父上やグランスティン家の意向を無視して話が進むことはないと言ったのはレオだろう」 「俺が、まだ貴方のものなのに他の男に抱き締められたことがそんなにも不安か?」 答えを確認するように慎重に口を開くと、小さくか細い声で「……そうだ」と肯定の言葉が返ってきた。 「何故?」 「それをお前が俺に言わせるのか? ひどいやつ、答えなんてとっくにわかっているだろう……」 「わからない。貴方が俺に廃嫡と幽閉を言い渡したとき、自分がおめでたい勘違いをしていることに気づいてしまったから」 元々俺たちの間に愛はない。 それは半分は本当で、半分は俺自身に言い聞かせていることだった。彼が俺に向ける感情は所有欲なのだと。自分は彼のことを恋愛という枠組みの中で好きだと言えないくせに、そう言い聞かせることで俺は自分の歪さを正当化してきた。 それでも俺は、彼が本気で俺と結婚をするものだと信じていた。婚約破棄を言い渡される瞬間まで、彼は俺のことを好きなのだと勘違いしていたのだ。 「俺は、本気で俺の人生丸ごと貴方に捧げるつもりでいたんだ。あのときは咄嗟に家の名前を出してまで拒んだが、自室に閉じ込められている間に頭が冷えた。考え直せば貴方がその結論に達するのは当然のことだと気づいてしまったんだ」 最初から烏滸がましい考えだったのだ。恋人を抱くように愛することができないくせに、自分はそのように愛されるつもりだったなんて。 「婚約を解消しよう。キース、これから俺たちはただの学友にすぎない」 だから彼は正しい。一度は認めなかった婚約破棄という言葉が地に足のついた計画であると気づいてしまった。彼の幸せを願うなら、ただ側に居たいだけの俺ではなくちゃんと愛してくれる相手と添い遂げるのを見守るべきだ。 これからはキース様と呼ばなければいけないだろうか。婚約者ではなくなっても幼馴染という間柄ではあるけれど、キースがそれすらも許さなければ俺たちは対等ではいられない。第二王子と公爵令息だ。 そして友達に戻ろうと言って恋人たちがやがて疎遠になるのと同じように、俺たちの関係もいずれどこかで必ず途切れる。 「なん、ど、して……」 「どうして? 貴方の望んだ結果なのに」 「ちが……ちがう……」 狼狽した声と力ない否定の言葉が一層哀れに思えて、もしかして彼は本当にそれを望んではいないのではないかという思いが浮かんだ。だが、そんなのは都合の良い幻想だ。 何も違わない。これがキースの望みでないのなら、誰がこの人を誑かしたというのか。 表情の固まったキースが俺を凝視しているのに気づいて、笑いかける。指の背で頬を撫でると、キースが背を丸めて俺を抱えにきた。吐息が耳にかかるほどの距離で見つめ合うと、翳っていた金眼にうっすらと水の膜が張り始めるのが見える。 「キース、貴方は良い選択をした。義兄への説得は俺に任せてくれ。幽閉は勘弁願いたいが、婚約破棄の理由を俺の不祥事にしてしまえばキースから取り下げるのは自然な話だ。それでも足りなければヴィンスに口添えを頼めば──」 「違うッ!」 キースは一際大きな声で叫ぶと、俺の肩をかき抱いて腕の中に閉じ込めてしまった。室内の温度とシーツで冷えた身体が彼の熱に覆われる。まるで家族に親愛のハグを施されたときのように、密着する肌の熱が心地いい。 「レオ、待ってくれレオナルド……ッ」 「キース……?」 「だって、こうすればレオも素直になるってあいつ(・・・)が……」 要領の得ない返事にもう一度「キース?」と呼び掛ければ、彼は顔を上げてこちらに目を向けた。薄い膜だった水分は水滴に変わっていて、俺の頬に落ちてくる。 「お前の家に行って、レオがいないと言われたとき……俺がどんな気持ちだったか考えたことはあるか」 「家……? すまない、ちょっとした不手際で閉じ込められてしまったんだ」 「今日ばかりのことじゃない、お前はいつもそうだ。レオはいつも、俺を置いて行く」 やがてぐずぐずと鼻を啜る音が聞こえ、もう一度顔を伏せたキースの頭が首筋に埋まった。襟に残る湿った感覚は涙だろうか。乾いた髪に指を滑らせ、指の股から流すように梳く。しばらくそのまま頭を撫でていると、落ち着いたようにキースが静かになった。 「泣くなよ、貴方はいつまで経っても泣き虫だな」 ズッと鼻を啜る音の合間に「そんなことない」と反論の声が返ってきて、思わず笑みがこぼれる。彼はいつもそうだ。感情が豊かで人の言うことを素直に聞くくせに、俺には少しだけ見栄を張りたがる。 人の言うことに素直に耳を傾けるのはキースの長所ではあるけれど、俺が側に居なくなったあとが心配だ。今のところ彼の周囲に悪意ある人間はいないが、ずっとそうだとは言い切れない。 そういえば、先程彼が口にしたあいつ(・・・)とは誰のことなのだろう。 「カルロスとヴィンスがお前に特別な感情を抱いているのは知っていた。あいつらは変わり者だけどいつも言葉が真っ直ぐで偽りがない。レオは誰のことも好きにならないから、放っておいても問題ないと思ったんだ」 『レオは誰のことも好きにならない』……その一言でわかった。彼はとっくに知っていたのだ。 キースが婚約破棄をすると言うのならそれでもいいと思ったのは、なにも俺ばかりが彼のことをそういう意味で好きになれないからではない。やっとこの人を解放できると、そう思ったから。 「気付いていたのか。俺の欠落に」 「欠落とは思っていない……ただ、少し寂しい」 「すまない。愛してやれなくて」 自分がそういう人間であると気づいたのはいつの頃からかはっきりとは思い出せない。ただ、キースにだけは知られてはいけないと、言うまいと心に決めていたのに。 俺の懺悔をどう受け止めたのか、キースはまた少しだけ泣いた。怒りに任せてここへ連れて来たときとは違い、今度は怒鳴ることも俺に怒りをぶつけることもせず、ただ静かに。 「違う、レオは気付いてないだけだ。レオナルド・グランスティンは俺のことを愛している」 「貴方に別れを告げられてあっさり手放してやれるのに?」 俺は自分の情の希薄さを知っている。執着の薄さに自覚がある。それを矯正するつもりはないし、しようとしたところで無理だ。 「そんな薄情な奴に愛などあるか」 キースの視線が宙を彷徨う。反論に困り、次の言葉を探しているようだった。それでも、決して逃がさないとでも言うように雄弁な手のひらが俺の腕を掴んで離さない。 やがておずおずと口を開く。キースは昔から俺より気の弱いところはあったけれど、決して御し易い性格ではなかった。周囲に流されず場の空気に飲まれず、最後まで周りの言葉に耳を傾けながらよく考えて、自分の意見をはっきり言う。俺は彼のそういうところを、王の器だと惚れ込んでいたのだ。 「手放せと言われればあっさり手を離してやれるそれを愛と呼ぶか薄情と呼ぶかは個人の自由だ。レオは自分のそういうところを薄情に思っているだろうが、俺はそれをレオナルドが俺にくれた愛だと思っている」 「俺のために、婚約破棄に同意したんだろう?」それはまるで知っている答えを確かめるように、一字一句が俺の耳に届く。 「わからない。俺とキースはずっと一緒にいて、もうずっと昔から家族のように近しい存在だ。これは恋愛とは呼べないんじゃないか?」 今度は俺が困る番だった。眉尻下げた俺にキースは少し目を見開いて、やがて瞳が柔らかな形に変わる。泣いたあとだから、彼の目尻は少しだけ赤くなっていた。 「レオが素直になってくれないのは意地悪でも意固地になっているでもなく、自分でわかっていないからなんだな」 「わかっていない?」 「レオ、お前は俺のことをどう思う?」 「大切な人だ。我が王、俺の人生を丸ごと捧げる価値のある人。きっと俺は貴方なしでも生きていけるけれど、貴方の側にいられたら楽しい人生を送れると思う」 俺の偽りのない言葉に口元を綻ばせ、全身に迸る喜びの感情を逃すようにキースが俺の顔に頬を寄せた。 唇が引っ付きそうなほどの近くなり、それでも決して距離がゼロになることはない。一定の長さを保ちながら肌と肌が触れ合う。まるで子供の頃を思い出す距離感でごろごろとベッドの上で戯れると、今に至るまでに離れていた心の距離が縮まるようだった。 「レオナルド、お前は本当に俺のことを好きじゃないのか? 俺に恋していないとはっきり言えるのか?」 「俺だって恋くらい知っている」 キースはじっと俺の顔を見つめていた。何も取り漏らすことのないように、言葉のみでは伝わらない感情まで全てを逃さないように。 「のぼせ上がってその人のことしか考えられなくなって、相手のためなら無敵の気分になれることだ」 知っていると言っても全部本で学んだ知識だが、それでも不足があっても間違いはないだろう。 恋とは、恋愛とはふわふわとして心地いいもののように扱われているが、気分がいいのはのぼせ上がっている本人だけだ。 「だが、そこに相手の気持ちは組み込まれていない。善意の押し付けが存在するように、恋愛感情というのは好意の押し付けだ。俺はキースにそんな自分本位の感情を押し付けるつもりはない」 「自分本位か。なあレオ、俺はお前に恋をしているんだが、俺はそんなにも自分本位に見えていたのか?」 恋をしている。そんなことずっと前から気づいていた。俺を追いかけて必死で木に登り、川でびしょ濡れになって、怯えて泣きながらカブト虫を捕まえた思い出もある。 ずっと昔から、彼は俺を喜ばせようとしてくれた。 「賢いレオのことだ。婚約破棄がどれ程グランスティン家の深刻なダメージになるか測れないわけじゃないだろう。それでもお前は受け入れると言った、俺のために」 「今まで貴方がくれた献身が俺の薄情と同じものだと、そう言いたいのだな」 「相手のためを思う行動が何の本位かなんて、相手の受け取り方次第だということだ」 「レオナルド」キースが俺を呼ぶ。金色に煌めく瞳と視線が交わる。肩を抱いていた手に抱き上げられ、ベッドの上で向かい合わせになって座り込んだ。 「難しく考えるな。俺がどうしたいかなんて考えなくていい。ただレオがどうしたいかだけ聞かせてくれ」 「……俺は貴方と同じ感情は持ち合わせていないし、きっと今後も応えられることはないだろう。俺自身その欠落に気づいているし、分かり合えない以上いつかまた俺は貴方のことを傷つける。キースが愛し合うことが幸せの形だと言うのなら、俺は貴方を幸せにできない」 貴方が俺から離れていくのなら止めるべきではない。それで互いが幸せになれるのならそのほうがいいに決まってる。 軟禁され、閉ざされた部屋の中で何度もそう思った。今でもそう思っている。それなのに。 「それでも、キース。貴方は俺が王と定めた人だ。周囲に流されず場の空気に飲まれず、最後まで周りの言葉に耳を傾けながらよく考えて、自分の意見をはっきり言う。その上に立つ者としての素質を俺は買った」 キースが俺の前に現れたとき、嬉しいと感じてしまったのだ。 「俺は誰かに身を焦がすようなものを感じないし誰とも交わりたいと思わないけれど、選べるなら、誰かと一生を添い遂げるのなら貴方がいい」 俺の告白は彼に耳にどう届いたのだろう。過不足なくちゃんと伝わっただろうか。 伏せていた目を上げると、キースは柔らかく微笑んだ。 「レオナルド。お前が俺のことをそんな風に思ってくれているのなら、それは一つの愛と呼べるんじゃないのか。お前が俺に感じるものが親愛だろうと友愛だろうと、情と名付くその感情は愛に違いはないだろう」 「でも……俺はわからない。キースは俺とこの先キスができなくても、手を繋げなくても、心と身体で交わることができなくても本当にそう言えるのか?」 それができないから出した答えが婚約破棄ではないのか。 そこまでの言葉を飲み込んで、金色の瞳をじっと見つめる。俺の力強い眼差しにキースは何一つ怯むことなく微笑んだ。 「お前がしたくないことを俺は無理強いしない」 「キースはいつも俺に優しいからな」 「レオもたまには俺に優しいだろ。なあ、婚約を破棄すると言ったこと、許してくれるか?」 「貴方が俺から離れたいのなら言う通りにしよう。このまま婚約者を続けたいならそのように。言ってくれキース、貴方は俺に何を望む?」 したくない人と無理に繋がろうと強要するのは酷いことだけれど、繋がりたい相手にやりたくない自分の考えを強いるのも同じくらい酷いことだ。 「いずれ貴方が望むものも全部、全てがやりたくない訳ではないからな」 俺が人と肉体的接触に乗る気じゃないのは、そんなことをしなくても満足しているからだ。手を繋がなくとも唇を合わせなくとも見つめ合わなくとも、ただ側にいられればいい。 けれどキースがそれをしたいというのなら俺も前向きに検討しなければならない。今すぐではなくとも、手順を踏んで、いずれは。 キースは頬を赤くした俺の言葉を噛み締めるように間を置いて、努めて冷静な口を開いた。 「例えば、どこまで?」 「わからない。教えてくれるか? 好き同士の二人はどんなことをするんだ」 「じゃ、じゃあ……こういうことは?」 手のひらが鏡に手をついたように合わさって、握り込まれる。指と指の間に隙間なく肌が密着して伝わる人の身体の熱が心地いい。 「手を繋ぐくらいどうってことない。ハグならさっきもしただろう」 空いた手を彼の背中に回すと、キースが身を固くしたのがわかった。 「キスはしたことがない」 「頬になら昔はよくしていたぞ」 「あんな子供の戯れじゃない。恋人同士のキスだ」 「どんなもの?」 「例えば……こんな風に」 握られた手と反対の手で顎を掬い、キースの唇がひたりとくっつく。張りのある柔らかな肉は少し湿っていて、吐息が唇にかかりようやくその近さを実感できた。 「……どうだ?」 「嫌な気持ちにはならない。ただ、兄弟同士でキスをしているような気分になるな」 「……レオ、まさかお前、グランスティン家の当主と……」 「違う、ものの例えだ。だが比較するに義兄にキスをされるというのとも違う気がするな」 これが義兄の唇であったなら、叩き落とすところだ。兄弟仲は悪くない自負があるが、こういう接触があるとなれば話が別である。 好意があれば相手のことをよく知りたい、繋がりを深めたいという感情は生まれるだろう。だが、近すぎた相手とこうした繋がりを持つのが必ずしも心地良いものとは限らない。 「わからないな。もう一度していいか? 今度は俺から」 キースが返事をするより先に唇を押し付けた。肩が跳ね上がったが、特に抵抗されることなく二度三度とそれを繰り返す。 心地良いものかはわからないが、少なくとも嫌悪感は生まれなかった。 「キスにはな、もう一つ先があるんだ」 キースの舌が下唇を舐め、開けろと乞うように割れ目を掠める。怖くなって、口を開けてはいけない気がして声を出せないままキースの服を掴んだ。それだけで意志の疎通は十分だった。 「レオとこうしているだけ幸せだ」 唇が離れ、代わりに深く抱き締められる。 「お……」 俺も。そう返そうとした唇が止まった。何故か扉の前にとても騒がしい気配を感じたからだ。 「レ、オ、たゃーーーーーッッッ!!!」 そいつは濁流か隕石かのごとく唐突に現れ、その場の空気を完全に破壊していった。 「なッ……セシェル!? どうしてお前がここに……!」 「どうしてはこっちの台詞だよ馬鹿王子! レオたゃとの婚約破棄するって言ったのに何レオたゃ連れ出してんだよふざけんな!」 「レオ……たや……?」 セシェルと呼ばれたこの男のことなら知っている。今年に入って平民でありながら俺たちと同じ学園へと編入してきた、一風変わった経歴の持ち主だ。 何でもお忍びで街へと降りたどこぞの伯爵家の当主をそうと知らないまま助けて、それに甚く感動した当主が彼を引き取ると申し出たのだとか。保護者はおらず天涯孤独の身でありながら明るい性格で、誰も彼もがこの男のことを気に入っていると聞いたことがある。 そういえば、俺の大事にしていた庭園では頻繁に彼の姿を見掛けた。一度顔を合わせたとき向けられたねっとりとした視線に苦手意識を持ってしまい、絶対に見つからないように逃げ回っていたのだが。 「お前! ここをどこだと思っている! 誰の許可なくここに入って……」 「うるせー! そもそも廃嫡幽閉ルートはメンヘラ王子が何としてもレオたゃを処刑台に立たせる最悪ルートなんだよ! 信頼していた王子に裏切られて傷心してるところを慰める俺の計画が……計画が……ッ!」 「何で監禁されてるはずの部屋に居ないんだよー!」と森に木霊するほどの声量で叫ぶセシェルを前に困惑する。彼は一体何の話をしているんだ。 「レオ、奴にお前は不味い。俺の後ろに隠れていろ」 「そういう訳にもいかないだろう。おいセシェル、俺に何か用か」 「あっ」 キースが俺を背に隠そうとしたが、自国の王子を盾にして隠れる国民がどこにいる。それが伴侶ともなれば尚のこと。 立ち上がりセシェルとキースの間を遮るように立つと、セシェルが何とも形容し難い声を上げる。難しいが、文字に直すなら「ミ°ッッッ」といった発音だった。 「レレレレオたゃ……ガチ生レオたゃじゃん……やっばああああ……俺今日保存用の袋とか何も持ってきてねえよ……つか俺の名前呼んだ?そんなんもう結婚じゃん。俺たち結婚してたわ。結婚記念日だし命日だわ。もう死ねる。幸福の絶頂地到達した。あーやっべ俺今汗だくじゃん死んだ。不潔な男だと思わんでください…………え、ていうかえ?何でここいんの?王子と二人で?ベッドの上に?ハ???悪夢か???」 彼はぼそぼそと一人で何かを喋っていたが、ギギギと音がしそうなほど首を傾げて「事後?」とだけはっきりした口調で聞いた。 「そんなことを聞かれる筋合いはない」 「ア゛ッッもうそれはお察しくださいの答えだろおいまじかよ……そんな、どのルートでも可哀想な目に遭うレオたゃを救えるのは俺だけなのに、俺だけなのにぃ〜〜〜……ッ!」 「ッ、危ないレオナルドッ!」 キースが叫んだとき、俺は既に向けられたナイフを躱してセシェルの身体を床に叩きつけていた。悪いが、俺はカルロスには劣っても常人より身体能力が高いつもりだ。鈍臭いやつが森の中を駆けずり回れるはずがないからな。 「動くな。自分のしたことがわかるか? 今キースのいる場でにナイフを振り回したことで貴方を引き取った家ごと破滅させる理由としては十分だ」 「えっ声近っ!? ここここの背中の温もり、レオたゃが今俺の上にいる!?」 「会話が成り立たない。違法の薬に手を出していないだろうな……?」 背中に圧を加える度に痛みとは違った声を上げるセシェルの声が段々と気持ち悪い甘さを帯びてきた頃、もう一度家の外が騒がしくなって扉が激しく開いた。 「無事かレオナルド!?」 「ごめんキース、セシェルに逃げられちゃったー」 カルロスとヴィンスは俺と、俺の下で呼吸を荒くするセシェルと狼狽えたまま棒立ちになっているキースの間に視線を行ったり来たりさせながら困惑の声を絞り出した。 「どういう状況?」 「おい聞けよ二人とも! キースがレオたゃ食った!」 二人が現れてからセシェルの威勢が良くなり、俺の体重では足りず押さえつけている身体が浮く。後ろに転げ落ちそうになったのをキースが受け止めた。 「ぐっ……お、おめでとうと……言うべきか……」 「わーついにやったんだ。僕は二番目でも三番目でもいいよ」 「食ってない! あと二番も三番も無いし全部俺のものだ!」 カルロスは目に見えてショックを受けながらも祝福の言葉を口にし、ヴィンスは飄々として依然変わりない。その発言の意味は深く考えないことにして、俺は素直に所感を口にした。 「ええっと……貴方たち、随分と仲が良いんだな?」 沈黙が場に落ちて、四人の瞳が一斉に俺から外される。否、セシェルだけは俺のことをねっとりとした視線で見つめていた。 キースとセシェルの間に何やら面識以上の繋がりがありそうなことは二人の様子から察しがついたが、残り二人が揃えば何となくその答えが見えて来る。 「婚約破棄、計画したのはその男か?」 これは問いかけだが、ほとんどもう確認だった。 「そこにいる伯爵家に引き取られた平民が、王子二人を誑かし学友まで利用して公爵令息である俺を貶めようとしたと?」 「僕もキースもわかった上で利用し利用されたのだけれど」と言うヴィンスを一瞥し黙らせる。賢いことは良いことだ。 今回の件は既に義兄の耳に入っているし、陛下の元へも届いているはずだ。大きくなってしまった事を丸く収めるには納得のいく理由と責任の所在が必要になる。少なくとも今、その両方を得られる機会が巡ってきた。 「俺……俺! この世界の人間じゃないんだ! 何やっても不幸な目に遭うレオたゃを救いたくて、その一心で……!」 「貴方さっき俺にナイフを向けてきたよな」 俺の言葉を聞いてカルロスが慌ててセシェルを拘束した。狂人がナイフを振り回したその場にはキースもいたのだから当然だ。 自分の身に何が起こるのか理解できたのか、声を震わせ涙を浮かべるセシェルを冷めた目で一瞥する。俺が説得できないと判断すると彼はよく通る声で叫んだ。凄まじい変わり身の早さに目を見張る。 「レオたゃが俺以外で脱処女してんのにこんなクソゲー続ける意味ねえだろうが! ゲームの世界でリセットボタン押して何が悪いんだよ! 俺のものにならねえんなら殺すし誰かに殺されるくらいなら俺が殺す!」 「言ってることが滅茶苦茶だな」 「レオナルド、彼は面白いけれど多分頭が、その……ね?」 しれっと腰を抱くヴィンスの手を払い落とすと、今度は逆側から腰を引かれて大勢を崩す。手をついた先を見上げるとキースが心底疲れた顔でため息を吐いていた。 「確かに計画を立てたのはセシェルだ。レオは絶対に俺のことを好きなはずなのにいつまで経っても距離が縮まらないのを悩んでいたら、いい計画があると話を持ち込まれた。カルロスとヴィンスと違ってあいつは邪なのを隠さないから、レオには会わせなかったんだ」 「全然レオたゃに会えなかったのってやっぱお前の差し金かよ! この計算高王子!メンヘラ王子!イケメン王子!」 「最後のは褒めてるじゃないか」 「まあ、普段は悪い奴ではないんだ。ただレオナルドが絡むとおかしくなる」 「そうそう。人の私物を盗んだりね」 ストーカー行為の犯人だった。それだけで俺としては害のある人間として遠ざけるには十分だ。 しかし、キースが何も反応しないあたり、そもそも彼はヴィンスのしたことも盗難の件も知らないのかもしれない。俺自身人に知られるのが恥ずかしくて隠していたから知らなくても無理はないが。 「まったく……レオが性悪だとかいう根も葉もない噂だって目を瞑っているのに、どうしてお前を好く人間は後を立たないんだ!」 「仕方ないよレオナルドは可愛いもの。この国には珍しい黒髪にキースとお揃いの金の瞳。国民を照らす太陽と月だものね」 「え? 太陽と月というのは二人の王子のことを指す言葉じゃないのか?」 煌々と輝く金髪をした自国の王子と、月夜の光を彷彿とさせる銀髪をした隣国の王子。国民を照らす太陽と月。 耳にしたことのある噂をそのまま口にすると、俺の言葉にキースとヴィンスは一瞬顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。 「自国の王子を太陽と持ち上げておきながら隣国の王族を比較して落とすような例え、俺が許すはずがないだろう」 「学園で王子の婚約者であるレオナルドを知らない人はいないし、影で月の君とか月の人と呼ばれているのだけれど……まさか本人がそれを知らないなんて」 「それも全く耳に入っていない訳ではなく、微妙に噂の内容が歪められてるな。誰かが情報操作したとしか思えない」 「誰か、ね」 二人の王子に見下ろされたセシェルがぐぬぐぬと唸っている。 「邪魔な王子二人くっつけて消す作戦が……レオたゃに王子への不信感抱かせる布石だったのに……!」 「何の後ろ盾もない成り上がりの平民だと思っていたけれど、ここまで計算通りに事を動かすのは案外脅威だなぁ」 「感心している場合か」 腰を掴んでいたキースの手に力が入る。耳元で名前を呼ばれ振り向くと、唇に温もりを感じた。温もりはすぐに離れたが、ぽっと熱が籠もったように顔中が熱くなる。セシェルの悲鳴もヴィンスとカルロスの感嘆の声も気にならなかった。 「俺にはレオナルドしかいない」 「心配せずとも気にしていない。俺は貴方のものだ」 「お前はいつも逞しいな。俺ばかりが女々しく心配してしまう……本当に、何処かに閉じ込めて置きたくなるくらいには」 光の当たり具合なのか、キースの金の瞳が翳る。 「貴方の望むままに。と言いたいところだが、一日足らずで飽きたんだ、きっと耐えきれない。実際に幽閉されてしまえば俺は自死してしまうかもしれないと思ったくらいだ」 「……そうまで言われてお前を飼い殺すことはできないな。そもそも、レオに籠中の鳥は似合わない」 「もう二度と俺を置いていかないでくれ」絞り出すように続けられた言葉は何よりも俺の心に響くもので、好きだと言われるよりもずっと、俺の望みに叶うものだった。 俺は貴方なしでも生きていけるけれど、貴方の側に居られればそれは素晴らしい人生になる。 「どこにも離れて行くものか。貴方を連れ回すのは昔から得意なんだ」 外野の騒がしい叫び声を聞きながら、今度は自分から唇を押し付けた。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!