俺は廃嫡され幽閉されてしまうらしい

1/2
前へ
/2ページ
次へ
俺は廃嫡され幽閉されてしまうらしい。何でも、多くの男を誑かした罪だそうだ。 「まったくもって身に覚えがない」 「本当か? せいぜい胸の内に手を当てて考えることだな」 「それを言うなら胸に手を当ててだし、胸の内には明かすか秘めるときに使うものじゃないか?」 「う、うるさい! 前々からお前のそういうところが小賢しいと思ってたんだ!」 「ええ……」 一流の教育と一流の血筋を以てしても、滲み出る残念さは隠しようがない。たった今俺に婚約破棄と廃嫡を言い渡した第二王子には、ほんの少しばかり頭が足りないのでは……と常々思っていたのだ。それが最悪の形で露呈した。 この馬鹿め。だが、たとえそれが事実であっても、婚約者であっても俺が彼へ罵倒を浴びることは許されない。権力とはそういうものだ。その歪な階級が彼を傲慢に、馬鹿に育てたと言っても過言ではないのだが。 この国の第二王子ことキースは、頭はいいが猜疑心が足りない分たいへん人に乗せられやすかった。 「それで、ええっと、詳しい罪状を教えてもらえるか? 身に覚えがないのだから埒が明かない」 踏ん反り返るキースに冷めた目を向けながら、もう一度彼の言う“俺の罪”の詳細を問う。 これが婚約者殿の単独行動であれば俺だって無視した。彼がよくする一人でに突っ走るやつ、取るに足らない戯れだと。しかし実際は、俺とキースを囲むギャラリーがいるのだ。その堂々たる面子がこの酔狂を止めないのだから、彼らは本気なのだろう。 キースのみならず俺を真っ直ぐ見詰める六つの瞳を順々に見返していく。 彼らは誰も口を開かない。この場においては口を開かないのではなく、開けないのだ。キースから許されない限り発言権は無い。しかしこの場に居座っているのだから、ご意見の一つや二つあるだろう。 「例えば……カルロス、教えてくれるか? 俺が何をした」 名前を呼ばれたカルロスは意外とばかりに目を丸くしてキースに目配せをする。許可を求められた彼は鼻で笑い「話してやれ」と尊大に言い放った。 「……俺は、レオナルド・グランスティンは魔性の男だと思っている」 レオナルド・グランスティンとは俺の名前だ。グランスティン家は国内でも指折りの貴族の名前で、俺はその一家の子息である。と言っても跡継ぎではない。義兄が既に名を継いでいるし、何も問題が起こらなければ俺は将来、キースと同じ名前になるはずだった。 何も問題が起こらなければ。 「カルロス、いくらキースが俺を廃嫡する、婚約破棄だと叫んだところで、国王陛下や当家の意向を無視して話を進めることはできない。俺はまだ第二王子の婚約者で、貴方の家より格式の高いお貴族様の御令息である……ということを忘れるなよ」 「……ッ」 「おい! なに脅してるんだ!」 「脅してなんかいない。事実だ。いくら子供同士の戯れでも、程度の超えた謗りは見過ごせないからな」 彼もそれは承知の上だろう。キースは馬鹿だが、その周囲に立つ人間はそうじゃない。むしろ権力者を傀儡にしてやろうと、姑息で狡猾で計算高い人間が周りを固めるものだ。 カルロスはキースの護衛として側に置かれた学友だ。腕っ節が強いだけでは護衛なんて務まらない。 「覚えていないだろうが、初めて逢った日……俺はレオナルドに介抱された。木の上に登って降りられないのだと言うから助けようとしたら顔を踏み台にされて、気を失った俺は気づけばあんたの太ももに頭を預けていたからだ」 「おい説明を端折るな、俺が好きで登った木から降りられなかった間抜けみたいだろう」 「事実だろうが」 「全然違う! あのときは木の上から降りられない猫がいたから助けただけだし、両手が塞がって降りられなかっただけだ!」 まるで俺と猫を挿げ替えたような事実のねじ曲げ方に思わず顔が赤くなる。きつく睨みつけると「ぐっ、そんな目で俺を見るな……」と呻いたままその場に蹲ってしまった。 「あの日から俺はあんたの太ももにばかり気を取られてしまうし、今もそのパツパツの太ももを揉みしだくて堪らない」 「気色悪い! おいキース、本当に彼の言うことを信用してここに来たのか?」 「レオナルドは計算高い人間だ。今にして思えば、あのとき木から降りられなくなったというの自体俺の気を引くための虚偽だった可能性がある」 「なるほど、介抱する体で自分の身体を男に触らせたんだな? レオ……俺という男がいながら……」 頭を抱えてぶるぶると震えるカルロスの隣でキースが似たようにぶるぶると震えている。駄目だこいつら。馬鹿なら馬鹿で結構だが、護衛なんてやめちまえ。 カルロスの馬鹿が露呈したお陰で学友が共謀して婚約者の排除に出た可能性は消え去った。だが、代わりに浮上した貞操の危機を前に思わず両手で太ももを隠しながら会話をする羽目になる。丈の短いラウンジスーツじゃなく太ももまで隠れるフロックコートを着てくるんだった。 精一杯裾を伸ばしてみるが、伸縮性のないスーツの丈が伸びるわけがない。「恥じらう姿もいい……」と呟かれて思わず寒気がする。 「レオナルド、君が魔性であるという点は僕も同意見だな」 今まで静観していた男がまた一人、口を開く。キースの許可を求めず口を開いたのは、この男が隣国から遊学のために来ている王族の人間だからだ。 「ヴィンセント様? 俺は貴方と直接的な繋がりがないはずだが……」 「ヴィンセント様だなんて……他人行儀はやめて、どうかヴィンスと呼んで」 「はあ……?」 ヴィンス、ヴィンス。頭のどこかで近頃聞いた覚えのある愛称だな……と考えを巡らせ、一つの答えに辿り着く。 そういえば、最近文末に『君の最愛、ヴィンスより』と書かれた手紙が机やら教科書やら至る所に差し込まれる奇妙な出来事に見舞われていたのだ。 「レオナルド、君は僕と話すときいつも頰を赤らめるよね。そんな明からさまな態度を取られては、君がキースなんかよりよっぽど僕に気があると誤魔化すほうが難しいんじゃないかな?」 「はあ?」 にっこりと笑うヴィンセントの隣で「レ、レオ……俺というものがありながら……」とぶるぶる震えるキースはこの際置いておく。俺を責めるより先に自分が貶されていることに気づけ。 だいたいキースは知っているだろう、俺が赤面症だってこと。顔が赤くなるのは好意からくるものじゃない事くらいすぐにわかりそうなのに。 「性悪と噂されている君が僕にだけ優しいのが何よりも証拠じゃないかな?」 「俺のことをどう噂しようと構わないが、別に俺は貴方にだけ優しさを振り撒いた覚えはない」 「そ、そうだ! レオは婚約者の俺にも厳しい性格だった……婚約者の!俺にもだ!」 その婚約を破棄しに来た奴が何か言っているが無視した。ヴィンセントも気にならないのか「僕の国にお嫁に来てくれないかな?」と堂々と口説きにきている。それはもう少し気にしろよと思わないでもないが、俺の倍は騒ぐキースが即刻断りを入れるから口を挟む暇もない。 「行くわけないだろ! レオがねだるなら新婚旅行くらい連れて行ってやるがな!」 「キースってば相変わらず何言ってるかわからないなぁ。君、婚約破棄しに来たんだよ?」 「そうだ! それにグランスティン家を廃嫡されれば王族に嫁ぐなんて身分不相応だろう! ここは俺が引き取って……」 「「はあ!??」」 なんだお前ら仲良いな。 俺を置いて三人が盛り上がる姿は学園でもよく目にした光景だ。その度に俺は輪の中から爪弾きにされて、その輪を外側からぼんやりと眺めていたのだ。 いつもはこんなとき、よく庭園に行っていた。あそこは学園の敷地内であるにも関わらず荒れ放題で、誰も人が近寄らない。少し奥に進むと更に土地は荒れ果て人が誰も来ないから、入り口付近はそのままにして中のほうだけ片付けてある。本と椅子を持ち込んで、俺だけのスペースとして使っていた場所だ。 風に合わせて揺れる木々のざわめき、遠くの噴水が届ける水のせせらぎ、時折聞こえる鳥の鳴き声。誰の声も届かない空間は俺の憩いの場だった。あの場所が恋しい。 早く会話を切り上げたいと思った。だから言ってやったのだ。 「貴方たち、馬鹿じゃないのか?」 ■ それが相手方の逆鱗に触れ、今に至る。 馬鹿は俺もだ。彼らは馬鹿は馬鹿でも、この国で最高とも言える権力を持つ馬鹿なのだから。 俺は学園の寮から実家へと連れ戻されて軟禁されたのだった。 まったく不快この上ない。一つ一つの話の中には「そういえばそんなこともあったかもな」くらいの感想を抱くものもあったが、それが人生を破滅へ進ませる理由となれば笑えない。 救いがあるのは、自分の身内まで倫理が死んだ人間が存在していなかったことだろう。これは監禁ではなく軟禁だ。この国の第二王子……キースきっての命令とあれば即断で断ることもできず、取り敢えずやっとく?程度のパフォーマンス的に閉じ込められているに過ぎない。 しかし「悪いけどちょっと自室に閉じこもっててくれ、必要なものがあれば使用人に届けさせるから」と申し訳なさそうに俺の部屋に外側から鍵を取り付けた義兄は知っているだろうか。その鍵は義兄しか持たず、彼が不在の今は扉を開けられる人は存在しないのだと。 俺はそのことを知っていたが、義兄が今朝から2、3日ほど領外へ視察に出掛けたのだというのは知らなかった。小一時間前に知らされたあと使用人たちにそれとなく鍵の在り処を聞いてみたところ、どうやら俺は本当に監禁されてしまったようだと発覚したのだ。 彼らも悪意があってのことではないのだろう。当人である俺よりも慌てふためいていた。今も部屋の外では俺の名を叫ぶ使用人の声が聞こえている。 「レオナルド様ー!」 「聞こえている、大丈夫だ。最悪出たくなったらバルコニーから出るから」 「駄目ですからね! 危ないので絶対やめてください! ここ3階ですよ!」 3階の窓から目の前の木へ壁伝いに移動するのは経験があるから大丈夫だと思うのだが。それを知られれば過保護な義兄から説教が来そうなので使用人に説明するのはやめておく。 そういえば、あのとき助けた猫は元気にしているだろうか。猫は高所から落ちても平気だと聞いたことはあるものの、俺の腕に爪が立つくらい必死にしがみ付いて離れない猫を落とす真似ができるはずもなく、降りられず困っていたのだ。 そんなことを思い出していると、窓にコツンと何かがぶつかる音がした。小石をぶつけたような音だ。 「レオナルド!」 「……カルロス?」 どうして彼がここに? 彼が俺の家へと訪れるには当主である義兄へ先触れが必要で、義兄の不在時に、それも庭から来るなんて以ての外だ。何より俺は監禁されている以上、客と顔を合わせられる状況ではない。 何か裏があるのでは。もっと言えば馬鹿(カルロス)を背後から手引きしている第三者の可能性を危ぶみ、窓の影に隠れて様子を窺う。彼はもう一度焦れたように「レオナルド!」と叫んだ。そうして周囲を見渡して先ほどより大きな、拳大の石を拾うと振りかぶり……って、 「待て待て待て! ちょっと待て!!」 「なんだ、いるじゃねえか!」 流石に窓を割られれば使用人の誰かがすっ飛んでくるだろう。そうなればカルロスの言い訳なんて無視される。飄々とした男に「まずその石を捨てろ!」と叫べば見もせずにその辺に捨てた。放るように投げ出された石が花壇に投げ込まれ、植えられた花を潰す。喜々とした彼は俺の表情が固まったのに気づいていないようだった。 「レオナルド! 俺と逃げよう!」 「意味がわからない。帰れ」 「心配するな、今度はちゃんと受け止めるから俺の腕に飛び込んで来いよ!」 「会話が通じてないのか……?」 もう一度踏み付けてやろうか、と手摺に足を掛けたところではっと我に返る。煽られると乗せられやすいのが俺の短所だ。 「だいたい、何から逃げるというんだ」 「何もかもだ! 大丈夫! あんたのことは俺が守ってやる!」 要領の得ない会話に嫌気が差す。確か、そうだ。前も似た状況でイライラして彼の言う言葉に従って木の上から飛び降りたのだ。梯子を取ってこいと言うのに飛び込めとうるさいから。両手が塞がったまま地面へダイブするのはなかなか勇気がいるもので、俺だってちゃんと彼の腕の中に飛び込むつもりだった。 だが予想に反して俺の身体能力は高かったようで、気づいたときには彼の顔面と肩を踏み台にして地面へと着地していた。 驚き叫んで俺の腕から離れて行った猫が逃げ去って、俺は情けない顔で気絶したカルロスを見下ろし途方に暮れたのを覚えている。そのまま、顔を踏みつけた罪悪感から近くのベンチで彼が目を覚ますまで一緒にいたのだ。 カルロスは「覚えていないだろうが」なんて言ったが、俺は大抵のことは忘れない。 「あんたは俺の名前なんて知らないと思っていた」 「はあ? 言っておくが俺はキースの学友の名前と顔なら全員頭に入れている。本来俺はそういう役目だ。婚約者なんて言うが、あれは幼い頃のキースが遊びの延長でやった口約束だからな。俺は本来、宰相候補なんだ」 キースは俺よりも海馬が少し小さいみたいだから、もう覚えていないかもしれない。だが、忘れてしまっているならそのほうがいい。 本人だって覚えてもないのに言われたら気まずいだろう。むかし俺を女の子と勘違いして一目惚れした挙句、お姫様なんて呼んで婚約者にこぎ着けたなんて。あいつの都合のいいように改竄された記憶の中では俺が無理やり婚約者の座に収まったことにされているのだろうが、そのくらいは目を瞑ってやる。 「俺のことは気にするな。貴方は今まで通りキースの学友になっていてくれればいい」 「どうしてあいつのこと庇うんだ? キースはあんたを捨てたのに」 何を勘違いしているか知らないが、元々俺たちの間に愛はない。キースのあれは子供特有の独占欲が成長して所有欲に変わったようなものだし、年を重ねるうちに引っ込みがつかなくなったものだろう。 キースが婚約を破棄したいと言うのなら俺は大歓迎だ。俺から破棄することはできないが、彼から破棄することはできる。あとはキースの気が済むまで家に閉じこもっていればいい。そう考えれば何も不満に思うことはなかった。 「まさか……他に約束した相手がいるのか?」 愕然とした声を出すカルロスに呆れてものも言えない。少なくとも国王陛下からも正式に認められ受理されるまでは、俺は第二王子の婚約者だぞ? それを裏切るような真似、できるわけがない。そもそも、俺は。 「あのな、俺は誰のことも好きになれない。そういう人間なんだ」 「じゃあ……じゃあ今好きな人はいないということか!?」 「ポジティブだな」 キースのことも別に嫌いではないが、きっと恋愛感情となると今後も好きになることはないだろう。俺は恋愛という枠に収まる感情が理解できない人間なのだから。 わざわざ他人にそのことを話す気はない。カルロスはそんな人間もいるのだという発想がないのか、また喜々として「早く俺の腕に飛び込んで来いよ!」と叫んでいた。 まあ、そろそろ部屋からは出ようと思っていた頃だ。ちょうどいい踏み台があるに越したことはない。 「!! レオナルド!」 バルコニーの手摺に足を掛け、勢いよく飛び出す。目の前の木に飛び乗った。やったのは子供の頃以来だが、今の体格でやると流石に木が揺れる。下から「危ないだろう!」と悲鳴じみた叫びが聞こえたが無視した。 「おい、あんまり騒ぐと使用人がすっ飛んで来るぞ」 「おてんば過ぎるぞ……!」 「何だ、キースの影に隠れて何もできないお坊ちゃんだと思ったか?」 懐かしい。昔は同じことを何度もやって、そのうち「これ以上するならあの木を切り倒すからね」と義兄に脅されてから控えていたのだ。確か枝で顔に傷を作ってしまったせいだが、今回は腕だからバレやしないだろう。 「カルロス! そこを動くなよ。気を失ったらまた膝枕くらいしてやる……よっ、と!」 「え……あ、いっ言ったな!? 聞いたからな!??」 足元でドッと鈍い音がする。 「あっ!? うわ、」 「ぐッ……この、程度……ッ!」 狙ったわけではないがまたカルロスの肩に踏み乗ってしまった。だが、元々彼は頑丈で俺よりよっぽど身体能力の高い人だ。キースの護衛が役割の学友なのだからそうでなくてはならない。 肩に留まった一瞬の間に足首を掴まれずり落とされ、彼の腕の中へと閉じ込められる。 「今度は受け止めたぞ」 「ありがとう。だが残念だったな、膝枕はお預けだ」 「くっ……また頼む」 さり気なく太もも揉む手をやめたら考えてやるよ。 ■ 俺だって考えなしな訳ではない。義兄は2、3日の視察だというから、折角なのでその間家出でもしようと思っただけだ。 なにせ俺が自由に行動を許されたのはキースに出逢う前、ほんの子供の頃までだ。それまでは木登りも虫取りもお手の物で、川で遊ぶのが好きだった。 その頃にはもう父親代わりであった義兄に「もう少し大人しくしなさい」と毎度小言を言わせるくらい困らせたものだが、あの人だって使用人たちに内緒で汚してもいい服を用意してくれたり、絶対にお行儀よくしていなければならない日以外は寛容だった。強く止める気はなかったはずだ。キースに気に入られてしまって以来、毎日がお行儀よくしていなければならない日になってしまった訳だが。 そんなことを思い出しながら森を歩き、私有地から少し先の公有地に入る。 公有地と言ってもまだ森の中だ。まさか知り合いと顔を合わせるとは思うまい。 「どう考えても偶然出逢うには無理があると思うんだが?」 「そうだね偶然ではないからね。賓客とはいえ、他国の中だ。一応僕の権力は制限されているから、おいそれと貴族の私有地(君の家)に入ることができず困っていたんだ」 「その困っているという定義の中に従僕を引き連れて公有地でキャンプするというのは含まれているのか?」 「彼は僕の生存を確認しに来ただけで基本は自力で生活しているよ」 「他国の王子が自力で野宿だと……!?」 それも保護者も護衛も無しに。楽しそうだ。「一緒にどうかな?」という甘言に唆されてふらふらと張られたテントに近付いたが、あと一歩のところでカルロスに止められてしまった。 「おい待て! あの男とこんな狭っ苦しい場所に入れば種付けされて孕むまで出してもらえなくなるぞ!」 「外ではしないよそんなこと、野生動物じゃあるまいし」 「そもそも俺は男だから孕まないのだが」 しかし入るのはやめておこう。別に背後からチッと品のない舌打ちが聞こえたのが気になった訳ではない。ないぞ。 「それで、ヴィンセント様はこんなところで何をしているんだ」 「ヴィンス」 「……ヴィンスはここで何を?」 「もちろん君を追いかけてきたんだよ。カルロスは君の護衛かな? ご苦労様。もう帰っていいよ」 「いや、俺は……」 明からさまに邪険にされカルロスが眉を顰めたが、強く反論することはしなかった。自国に帰ればキースと同等の地位である彼は、俺やカルロスでは会話をする相手として見合わない。俺は第二王子の婚約者という立場があるが、本来ならキースを介さなければ顔を合わせることもない相手だ。 簡単に言ってしまえば、友達の友達である。 どうする?と視線でカルロスに問えば、彼からもなかなか険しい視線が返ってきた。読み取るに「適当に誤魔化して逃げよう」あたりだろうか。というより、見えないようにしながらもう俺の服の裾を引っ張っているし。 「ねえ、僕を無視して目配せするのやめてくれない?」 俺とカルロスの声を出さない会話が気になったのか、ヴィンスが俺たちの間を遮るように立った。カルロスの手が裾から離れ、俺の身体はヴィンスの体躯にすっぽり隠される。 俺の身長が伸び悩んでいるせいもあるが、この男自身結構な長身だ。頭の上から感じる圧を受けて無意識に足が一歩後ろへ下がった。間を詰めるようにヴィンスの顔が近づいてくる。 「レオナルド、僕ずっと待っていたんだよ」 「な、何を……?」 「君のことをだよ。決まってるだろう」 もしかして俺が忘れているだけで彼と何か約束したことがあっただろうか。しかし、俺は大抵のことは忘れないと自負している。人違いでは、と言おうとする唇を遮るように指が這った。 「あんなにも僕のことを夢中にさせておいて、僕がその気になったら放っておくなんて……君って本当に魔性なんだね」 「……これは一応の確認なのだが、俺たちに面識はないはずだろう?」 気にはなっていた、どうして彼は俺のことを知った口振りをするのか。俺が近頃頻繁に貰った手紙にあるヴィンスとは本当に彼のことなのだろうか。 窺うように目を向けると、俺の言葉に大層ショックを受けたらしい彼は瞠目してぴしりとそのまま表情を固まらせてしまっていた。 「散々誘惑して来た君がそれを言うの?」 美しい形をした唇を震わせる。同じくらい震える声でヴィンスが囁いた。色白の肌は血の気が引き一層青白くなってしまって、儚げな印象が増している。 キースを太陽のような人と例えるなら、ヴィンスは月の人だ。煌々と輝く金髪をした自国の王子と、月夜の光を彷彿とさせる銀髪をした隣国の王子。国民を照らす太陽と月。学園で並び立つ二人の王子はそう囁かれていた。 「確かに僕たちが直接話をしたのは、廊下で君が僕にぶつかってしまったときだけだ。僕たちの関係はそれっきり。だって、君の隣にはキースがいたから」 「前方不注意だったのだな。まさかそれを接点と呼ぶ訳じゃないだろう。面識、誘惑とどう関係があるんだ?」 「あのとき君は涙目で僕のことを見上げていて、その顔が……とても可愛かった」 「こんな風に」ヴィンスの指が頬を撫で、額に掛かっている前髪を掬う。距離が近い。じっと瞳を見詰められると、感情とは関係なしに自然と自分の頬に熱が集まるのがわかった。じわじわと熱くなる顔面は自分の頬が紅潮しているということだ。赤面を見られることが恥ずかしくて、それを意識してしまうと一層頬に熱が集まる。 「可愛い……レオナルドってば見つめるだけで顔を真っ赤にするんたもの。君はあのときもこうして僕の気を引いたよね。こんな可愛いことをしておいて、どうして面識がないだなんてそんな酷いことを言えるのかな」 「お、俺は赤面症なんだ……! 顔を合わせると赤くなるのは貴方に限ったことではない」 「そんな言い訳は無用だよ。もう君の隣にキースは居ないんだから」 「さては貴方、人の話を聞かないな……!?」 段々と距離を詰めてくる顔と顔の間に腕を差し入れるが、そんなことお構いなしに身体ごと迫ってくる。腕がヴィンスと俺の身体に挟まれ、胸を圧迫した。 しかしこれは由々しき事態だ。貞操の危機が迫っている。だって、今までヴィンスから貰ったものは手紙だけではないのだから。 「一国の王子が自分の精子を瓶詰めして人の机に不法投棄するな……!」 俺の半分泣いた悲鳴混じりの叫びと同時に胸の圧迫感が消えた。背けていた顔を前に向けると、ヴィンスの身体が地面に転がり、カルロスが肩をいからせて立っていた。抜いてこそいないが、手元は腰に携えた剣の柄を握っている。 「この下半身男がッ!」 「カ、カルロス……! 助かったが相手は王子だぞ!」 「王子とて許せん!!」 カルロスは強く言い切ると握り締めた柄を引き抜こうとする。既に首が飛んでもおかしくない事態ではあるが、ストーカー行為の物的証拠がある以上、正当防衛としてまだ言い訳ができる。だが、流石に剥き身の刃を向けてしまってはどうすることもできなくなる。 「やめろッ!」 「レ、レオナルド!?」 慌てて正面から止めに入る。全力で抱き締めた身体は思ったより固くて、いかにも騎士らしい体躯をしていた。柄から離された手が宙を浮き、数度彷徨ったあとおずおずと俺の腰に着地する。別に抱き返せという意図はないのだが、剣から手を離されたのだから一先ずは良しとした。 「酷いなぁ。突き飛ばされたことは怒らないけれど、僕を出しにべたべたとされたら流石に面白くないのだけれど」 突き飛ばされたヴィンスは思いの外寛容で、面白くないと言う言葉とは裏腹に全くの怒りを感じさせない態度だ。 さり気なく臀部に落ちてきたカルロスの手を払うとそのまま歩み寄り、まだ地面に尻をつけているヴィンスに手を差し出した。 「すまない。だが俺でも驚くし、今後あんなことはやめたほうがいい」 「嫌だったの? ごめんね、僕の心はもう君のものだって一目でわかる贈り物にしたのだけれど。それに、僕のを欲しがる人って沢山いたから」 「そりゃあ喜ぶだろうよ王族の子種だからな……そういう意味も含めてやめておけ」 生憎と種と種で受精はしないが、仮に俺が女の身で、隣国を身内争いで傾かせる予定があったなら有効活用する選択肢もあっただろう。知らない間に継承権第一位の実子ができていてもおかしくない話だ。……しないだろうが、キースにもこんな馬鹿な真似はしないようによく言い聞かせておこう。 「それにしても、まさかこんな形で犯人を見つけるとはな。男からストーカー行為を受けているという事実が受け入れられなくて誰にも言えずにいたが……」 「ストーカーだなんて呼ばないで欲しいな。僕のは(・・・)れっきとした求愛行為だよ」 「私物もいくつか盗んだだろう。ハンカチ返してくれ、あれは昔キースに貰った物なんだ」 「あっそれは僕じゃないよー」 「え」 「まあそれは置いといて」 「いや待てこの話をここで終わらせるな!って、うわっ……」 ヴィンスは俺の手を借りて立ち上がると、握ったままの手を強く引いた。力に押し負け、身体が傾く。簡単に腕の中に収まってしまった。 「っ、おい……」 「これぐらいはさせてね。僕も嫉妬しちゃうから」 今度はカルロスが動くより先に解放される。 「僕たち両想いだと思ったのになぁ。残念、僕は君の王子様じゃなかったみたいだ」 「俺はお姫様じゃない」 「いいや、君はお姫様だよ。君の王子も酷いね。最初から手放す気がないのにあんなパフォーマンスするなんて」 「ほら、君の王子が迎えに来たようだ」すいと動いたヴィンスの視線を追うと、道の先には見慣れた金髪が立っていた。 ■
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

129人が本棚に入れています
本棚に追加