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アキ
「ああ 全てが面倒くせー」
中村アキはゆっくりとつぶやいた。
晴れた平日の昼間、2人以外の人影は川原には無い。
「ソレ あんたの口癖だよね…
もうちょっと前向きな言葉出ないの?」
そう言うと、水上月子は川に向かって石を投げる。
月子の石を投げるフォームが綺麗だなとアキは妙に感心しながら、月子の長い腕から放たれる石の軌道を目で追う。
「1、2、3、4、5」石が水の上を跳ねる波紋を月子は無感動に数える。
「すみません僕、生きる事に向いてないみたいなので」
ふてくされた顔で宙を見上げてアキは月子に言った。
「そうゆうの いいからさ」
月子は面白く無さそうに二つ目の石を吟味して選ぶと、また川に向かって投げた。
はぁーと深い溜息をつくと、アキは「だってソレ事実だから」と月子には聞こえないように、心の中で呟く。
石を投げ終えて、振り向いた月子と目が合った。「だからー そういうネガティブなところがモテないのよ」
月子の視線を避けるようにアキは俯いて川の流れに目を向けた。
川面に光りの帯が浮かんでは消え、また浮かぶ。 小春日和の川原は水のせせらぎが心地よく耳に響いていた。遠くの工事現場から誘導の笛の音が聞こえる。
勝手に人の心の愚痴まで読むなよ、と思いながらも、アキは月子の苦しみを思っていた。
残念ながらアキには月子にかけるべき言葉を持ち合わせていなかった。
所詮、人の痛みなのだ。解らずとも仕方ないと割り切る事にしている。
きっと、こんなアキの葛藤でさえも月子は感じとっているのだろう。
アキはカラーコンタクトで見えない月子の蒼い左眼をまた覗き込みたいと思った。
以前に見た月子の左眼は深い深い透明な井戸の底を連想させた。 その底には何があるのだろう?と考えた後、たぶんそれは知らない方が良い事なのだろうと思い直した。
石でも投げるか…と立ち上がったアキは自分に苦笑いをした。
アキは今年の春に利き腕の左手首から先を失った事を一瞬忘れていたからだ。
「右手で投げればいいじゃない」
月子は間髪入れずに突っ込んでくる。
アキは、(前はモテたんだよ)と言葉にださず舌打ちした。
ただ月子には、「余計なお世話だ」
と一言だけ言い捨てると川原を後にした。
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