11月6日(土)ー Day6:どんぐり

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 自然公園の敷地内には大きな湧水池があって、それを囲むように広々とした雑木林が広がっている。俺はしろほしと水辺の遊歩道を歩いた。秋のあかるい陽射しが水面にチラチラと反射してまぶしい。  落葉樹が葉を落としはじめていた。しろほしは、頭上から降り注ぐ落ち葉が面白いらしい。しきりに手を伸ばしてつかまえようとする。これまでの緊張が嘘のように、イキイキとした顔で落ち葉を追いかけている。やがて俺の腕を離して、小走りに遊歩道の先を行きはじめた。俺もゆっくりそのあとを追う。  そのとき、しろほしが「イテッ」というように首をすくめて立ち止まった。どうした。俺が急いでしろほしに追いつくと、しろほしは地面にしゃがんで何かを探している。そしてすぐに、何かをつまんで持ち上げた。追いついた俺に見せてくれる。 「ああ、どんぐりだね」  俺が頭上を見上げるので、しろほしも見上げた。しばらく眺めていると、背の高い巨木からぽとり、ぽとりとどんぐりが降ってくる。しろほしと一緒になっていくつか拾った。ほっそりとした形のどんぐりだった。子どものころはポケットいっぱいに拾ったなあ。あの大量のどんぐりは結局どこにいったんだろう。懐かしい気持ちになりながら、俺はポケットにどんぐりを入れた。しろほしも真似して自分のジーンズのポケットに入れている。  またしばらく遊歩道を歩いていくと、青空ワークショップをやっているのに気づいた。どんぐり細工のワークショップだ。立ち寄る人もいないのでちょっとのぞいてみた。楊枝を挿したコマ、やじろべえ、目やくちばしを描いてニスを塗ったふくろうのキーホルダーなどのどんぐり細工が簡易テーブルに並んでいる。スタッフの年配の女性が人懐こく声をかけてきた。 「コマならすぐに作れますけど、やってみます?」  コマなら、しろほしが喜ぶかもしれないな。しろほしの顔を見ると、彼も興味を惹かれている様子だったので、やってみることにした。先ほど拾ったどんぐりをポケットから出してみる。スタッフの女性はそれを見て微笑んだ。 「あら、拾ってきたのね。それはコナラのどんぐり」  俺はパイプ椅子に腰かけて、どんぐりに錐で穴を開けた。思いのほか硬くて手間取る。辛抱強く錐をグリグリとまわしてどうにか穴を開け、楊枝を差し込んで完成。テーブルに置かれた盆の上でまわした。おお、うまく回るじゃないか。俺は思わず小さく手を叩く。しろほしが「俺もやる」とばかりに手を伸ばしてきたのでコマを手渡してやった。ぎこちなく盆の上でまわそうとする。何度かのトライ&エラーの末にうまくまわせるようになった。何度も盆の上でまわしては、その様子をじっと見ている。  俺はそこでふとトイレに行きたくなった。二十メートルほど先に公衆トイレが見える。しろほしはコマまわしに夢中になっている。俺はスタッフに、彼を見ていてもらおうと思った。 「すみません。ちょっとトイレ、行ってきます」 「はい、どうぞ。行ってらっしゃい」  ……いま思えば、なんでこのとき、コマに夢中になっていたしろほしを引きずってでも連れて行かなかったのか。あるいは、しろほしをちゃんと見ていてくれるよう、スタッフにはっきりと念押ししなかったのか。俺の失態だ。  用を足してワークショップに戻ったときには、しろほしの姿はなかった。ヒュッと血の気が引く。 「……あの、僕の連れは」 「あら、ご一緒じゃなかったんですか」  スタッフの女性はそこで初めて気づいたとばかりにのんびりと言う。そりゃそうだ。彼女に罪はない。しろほしの見た目はごく普通の若い男で、子どもではない。その場を立ち去ったとして、気に留めるわけがない。  俺はすばやくあたりを見回した。――いない。  落ち着け。そんなに遠くにいくわけがない。俺は周囲を見回しながら足早に公園を歩き回った。 「――しろほし!」  大声でしろほしの名前を呼びながら歩き回る俺を、周囲の人はどう思ったんだろう。探しているのが人間の子どもなら、事態を重く見て一緒に探してくれる人もいたかもしれない。しかし俺が探しているのは飼い猫のしろほしだ。  人間の若い男ではなく、猫なのだ。
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