11月1日(月)― Day1:鍵

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11月1日(月)― Day1:鍵

 俺が差し出した鍵に、しろほしは顔を近づけてふんふんと匂いを嗅ぐ。ちろっと舌を出して舐めようとするので、あわてて引っ込めた。 「だめだよ。人間は、鍵は舐めません」  しろほしはじっと俺の顔を見つめる。きれいなブルーグリーンの目をしていた。小さな顔、灰色がかった髪、それから、眉間にぽつんとある、白いちいさな星型の(ぶち)。まぎれもなく人間の男の顔だ。しかし澄んだまなざしに吸い込まれそうになって、俺は彼が飼い猫のしろほしだと、あらためて確信する。  ひと月ほど前、しろほしはふっつりと行方をくらました。そのまま今も戻っていない。俺はほうぼう手を尽くして探している。それが数日前、ふいっと戻ってきたのだ、……人間の姿になって。  俺はもう一度、ゆっくりと鍵を差し出した。しろほしは手のひらを上に向けた右手を伸ばしてくる。――そうだよ、人間はこうやって、ものの受け渡しをするんだ。  小さな音を立てて、鍵はしろほしの手のひらに載った。  仕事の帰りに、駅前のミスターミニットに寄ってアパートの合鍵を作ってきた。大きなカラビナとリールのついたキーホルダーも買った。それをしろほしに渡したのだ。 「これは、うちの鍵。お出かけするときは鍵を締めるんだよ。おいで」  しろほしは右手に載せた鍵を左手でつまみあげ、軽く振った。カラビナやリールと鍵が触れ合って金属音がするのが面白いらしい。チャリチャリ、チャリチャリ。しきりに揺らして音を鳴らす。  楽しそうなしろほしをうながして、俺は玄関に向かった。サンダルをつっかけてドアを開けかけて――おっと、裸足で出てこようとするしろほしを抱き止めた。上がり口に揃えた真新しいスリッポンを指さす。 「靴、履いて。昨日教えたでしょ」  しろほしはきょとんと俺の顔を見上げて、「ああそうだったね」とでもいうようにはにかんだ。猫にはない、人間らしい表情だ。かわいく思う。  俺が昨日教えたとおり、ぎこちなくスリッポンに足を入れて、とんとん、と踵をならす。しろほしが靴を履いたのを見届けて、俺はそっと玄関の外に出た。しろほしも後に続いて出てくる。 「こうやってね、鍵を挿して、まわすの」  俺はしろほしから鍵を取り返して、ドアの鍵穴に挿して回した。ガチャリ。しろほしはじっと俺の手元を見ている。 「やってみて」  しろほしはおずおずと、俺がやったように、鍵穴に鍵を挿して回した。ガチャリ。「これでいい?」という顔で俺を見る。俺はしろほしの頭を撫でた。 「うん、上手。しろほしはこれまでみたいに、自由に外に出ていいんだ。でも、鍵をかけるのは忘れないで」  頭を撫でられて、しろほしは満足そうに目を閉じた。猫のときと同じだ。それでつい――あごの下を撫でてやると、やっぱり人間にはくすぐったいらしい。身をよじって逃げようとする。俺はしろほしの両肩をつかんでつかまえた。 「さて、中に入ろう。ご飯にするよ」  今日はまともな夕飯を食べてくれるだろうか。俺は彼の手をひいて、室内に戻った。            ――day2:屋上 に続く  
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