アパートの前に奴がいた

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アパートの前に奴がいた

帰宅ラッシュは心底しんどい、それが電車通勤ならばなおさらだ。環依里(たまき より)はよれよれになりながらも、何とか自宅のアパートの階段を上がっていた。 ここの所人材不足のあおりを受けたか、どうにも仕事の量が多くて大変だ。 幸いブラックではないため、こうしてまともな時間に帰っている物の、疲労感は半端な物じゃない。 疲れ果てた体は、とにかく休息を求めていた。 明日から休みだ、土日祝日が休みの職業でよかった。とりあえず、連休である。さらにその後は諸事情により有休をとっている。連休って素晴らしい。 本日はもう、風呂に入って眠るだけでいい。空腹は限界を突破し、空腹と感じる事すらできないほどである。 書類だのディスプレイの光だので、まだちかちかする目を揉みながら、依里はやっと階段を上がり終えた。 鉄製の、足音がよく響く階段。 来客や郵便配達があった場合、一発で気付く、防犯にいいのか何なのか、いまいち判断に苦しむ階段である。 そこの階段のすぐ近く、角部屋が彼女の自宅であるのだが。 既に暗くなり、アパートの外の照明がつく中で、その男は立っていた。 「……あ?」 男だ、それは暗くとも見えにくくとも、すぐわかる。それ位男でしかない。 そしてなんだか知らないが、依里の自宅の扉の前に、海外旅行に行くときに使うような、大きな大きなスーツケースを携えて立っている。 これで見知らぬ男だった場合、依里は一発で警察に通報しただろう。 しかし。 彼女は黙って相手の横顔を眺めた。 この晩秋でも真っ赤な毛糸の帽子(頭頂部に白いぽんぽん付き)を被っている、日本人の割には立体的な顔立ちの、ぶっちゃけイケメンである。やけに手足が長く、そのバランスが大変によろしい。針金人形の様ではない、きちんと筋肉を感じる体つきなのが、服越しにもわかる男だった。 男らしく太い眉も、一般的に評しても、濃くてやや長い睫毛も、妙に見覚えがある。 違うわ、と彼女は心のなかで己につっこんだ。見覚えがあるなんてものじゃない。 この男を、依里は嫌と言うほど知っていた。 しかし知っているからといって、ここに突っ立っていられる理由は知らなかった。 かん、と足音がよく響く、金属の階段で立てた足音が響く。 そこで男がこちらを振り向いた。寒いのかつけていた耳当てのせいで、音が遠かったらしい。 そして、近くで響いて驚いたのもわかった。 相手の、ちょっと垂れた目が彼女を確認する。 情けなく崩れ、相手がとてもいい笑顔で言った。 「ヨリちゃん! 一緒に暮らそう!」 「まてどうしてそこでそうなった!? あんた彼女と暮らしてると言う自宅はどうしたの!?」 彼女の言葉に、そこまでの情報が流れて来る、知り合いの間では一級品有名人の、とんでもない言葉が炸裂する。
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