13【ずるい笑顔】

1/1
前へ
/16ページ
次へ

13【ずるい笑顔】

俺ってこんなエロいやつだったんだ。 日中の裸を想像して、バカみたいに動揺するなんて、悲しいくらい変態だ。 日中に気づかれたら、きっと、ひくだろう。 ――小花ってそんなやつだったんだね。 俺の中の日中が呆れたように言ってくる。 でも、そうはならない。 俺がエロい想像していたのは、日中にはバレていないはずだ。 態度に出さなければ大丈夫。 いちいち気にしていたら心臓がもたないし。 とにかく首を振って、洗い物をはじめた。 リビングに日中が現れて、再び皿を落としそうになったけど、どうにか耐えた。 手についた飛沫をシンクの上で払って、タオルで拭き取った。 「小花、終わった?」 「ん、終わった」 振り返れば、キッチンカウンターに頬杖をした日中と視線がぶつかる。 こんな近くで見ていたのか。 びびった。 日中はカウンターの上に両手を突いて、「ねえ、小花」と声をかけてくる。 笑顔もずるい。 どんだけ爽やかなんだ。 「何だよ」と、俺は情けなくどもりまくって、近寄る。 「もうちょっと、こっち来て」 カウンターごしでは満足してくれないらしい。 俺は仕方なく、回り道をして日中に近づいた。 気づけば、腕を引かれ、胸板に押しつけられる。 白い世界が広がったことに戸惑っている間に、俺の背中には腕が回っている。 長いため息が頭を撫でた。 「ひ、日中?」 「ちょっとだけ、こうしていていい?」 掠れた声が日中らしくない。 低い声が心臓に直接、語りかけてきて、どくどく鳴らしてくる。 「何で?」 「小花は嫌?」 質問を質問で返すなと言いたくなるけど、答えを出すのは簡単だ。 「嫌じゃない」 「……ごめん。そう言わせるように誘導したね。ただ、僕がこうしたかっただけ」 「えっ?」 俺は思わず間抜けな声を出してしまう。 日中は腕の力を緩めて、俺の顔をのぞきこんできた。 「余裕ないんだよ。小花と一緒にいられるってだけで浮かれて、変なことばっかり言っちゃうし。小花も呆れたでしょ?」 たぶん、「新婚さん」のくだりだと思った。 呆れるどころか、冗談なんだから真に受けるなと、自分をぶん殴っていた。 気にするなという想いもこめて、俺も自白してみる。 「そんなことは、ない。俺だって日中の裸……想像したし」 「えっ?」今度、驚くのは、日中の方だ。 「風呂入るってだけで、バカだよな。何でこんなエロいんだろ、俺」 エロ本はそんなに興味がなくて読んでこなかったのに、日中は例外みたいだ。 好きすぎて、行きすぎて、バカな考えに陥る。 どちらかといえば、日中の方が呆れるに決まっているんだ。 「小花はバカじゃないよ。好きな相手がそばにいたら、誰だってそういうことを考えるから」 「日中も?」 こんな爽やかな日中もエロいことを考えたりするんだろうか。 「ん、考えてるよ。今だって、どうやったら小花とキスできるんだろうって」 驚きすぎて声が出ない。 キスするのは恋人だったら当たり前だと思うし、日中と俺は恋人になったわけだし、キスするのは自然だし、だけど。 「日中」 名前を呼ぶのが精いっぱいになっている。 「小花」 日中に髪を撫でられて、全身が触れられたみたいに熱を持ってくる。 左の頬を手のひらに包みこまれる。 親指が俺の唇に触れる。 日中は瞼を薄く伏せて、やわらかく笑っている。 まつ毛の長さと二重のぱっちり具合に唖然とする。 ニキビひとつない顔は、同じ人間だとは思えない。 この日中と俺なんかがキスしていいんだろうか。 心臓がうるさい。 できれば、心の準備がしたい。 何か、ないか。 このキスを保留に持ちこめる何か。 そういえば。 「今、俺、か、カレー味だから。もしくはポテサラ味! せめて、歯をみがいてから……」 後半ぐらいから、何を言っているのだろうと自己嫌悪に陥っていた。 俺の叫び声の余韻が、部屋のなかに残る。 やらかした雰囲気に血の気が冷めていくのを感じた。 ああ、もうダメだ。 「ふ、ふふ。そっか、ははは!」 日中は歯を見せて大口で笑っている。 こんなに笑う日中を見るのは久々で、俺も笑いたくなってしまう。 さっきの怪しい雰囲気が嘘みたいに、和やかになる。 「日中、笑いすぎ」 そう言いつつ、自分でも笑ってしまう。 あれっと、思った。 俺の唇に暖かいものがくっついて離れた。 日中の顔が近づいて遠ざかっていったのは、一瞬のことだった。 遠くの方で軽快なメロディが鳴った。 無機質な声が聞こえる。 「お風呂できたみたいだ。先に入っていいかな」 「ああ、入れよ」 反射的に答えたけど、頭のなかは真っ白だった。 自分の唇に指を当てて、ぬくもりを考える。 あれは何だった? 唇と唇が触れた。 たぶん、あれは伝え聞いてきた、キスと呼ばれるものだった。 そうか、キスか。 なるほど、だからあんなにあったかくて、やわらかかったんだ。 「き、き!」 俺は奇声を発しながら、床に膝をついた。 震える手で自分の口元を押さえる。 ファーストキスというやつでは! やばい、心臓が取れそう。 なんてことをしてくれたんだ、日中。 ここからどうしたらいいのか、まったくわからなくなってしまった。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

80人が本棚に入れています
本棚に追加