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3【一番の笑顔】
空き教室の一件以来、百合本と仲良くなった。
いつもの空き教室で共通の話題は日中の話だ。
日中の話をしていると尽きない。
ずっと話していられる。
日中の名前を連呼するだけでもこんなに楽しいなんて知らなかった。
日中大好きな俺を知る百合本の存在はかなり貴重だ。
壁に背中を預けながら、並んで立つ。
「でも、最近、元気ないように見えるね」と百合本が鋭いことを言う。
「俺も思ってた。笑顔も減ったし、笑っても何か陰があるんだよな。なあ、何で? 百合本、教えて?」
百合本に迫ると、至近距離まで近づいたつり上がった目が見開いた。
「いいけどさ。たぶん、わたしの考えは当たってるし。でも、日中くんのことは日中くん本人に聞いた方がいいと思う」
「そうか?」
理由を知りたかったが、百合本はかたくなに話してくれなかった。
不機嫌そうに目をつり上げながら「うるさい」と一蹴されてしまった。
日中の笑顔がなくなる理由は何なのだろう。
変なものでも口に入れたのか。
いや、まさか俺じゃあるまいし。
ひらめかない答えを探して、ずっと考えたまま授業をやり過ごた。
1日が過ぎるのが早い。結果、答えは見つからないで朝になれば、日中が現れる前に目が覚めた。
昨夜は眠っているのかどうかわからなかった。
瞼を伏せると、日中の笑顔が何度も浮かび上がっては消えた。
あれだけたくさん見てきたのに、ちゃんとかたちになって現れてくれない。
日中はどう笑っていただろう。
前はすぐに思い出せたのに。
自分の手でカーテンを開けたとき、部屋のドアが軋んだ。
後ろを振り返ると、目を見開いた日中が立っていた。
「起きてたの?」
「日中」
日中は口の端を上げようとしたらしかった。
でも、わずかに動いただけですぐ真顔に戻る。
今日もうまく笑顔になれないらしい。
何でだろう。
「寝てないの?」日中が心配してくれる。
「眠れなかった」
「どうして?」
「日中の笑顔をずっと見てないから」
「僕の笑顔?」
「どうして最近は笑ってくれないんだ? 体調が悪いのか? 百合本にも聞いたんだけど教えてくれなかった」
「百合本……か」
日中は黙ってしまう。
顔を前髪で隠すようにうつむいて動かない。
「百合本にはわかるのに、親友の俺がわからないというのが嫌だ。だから、教えてほしい。知りたいんだ」
「知ったら、後悔すると思う」
「しない」ときっぱりと告げた。
どんな答えだろうと、日中のすべては俺が受け止めてみせる。
こんな俺でもわけへだてなく受け入れてくれた日中のためにも決心する。
だから、何でも言ってほしい。
そんな気持ちをこめて日中の握られた拳に上から手をそえた。
日中は俺の目を探るように見ながら口を開く。
「なら言うけど。僕は……小花が一番大事なんだ。だから、彼女はいらない。今後も必要ない」
俺は手の甲に涙のしずくをこぼした。
盛大に泣いた。
今すぐ窓を開けて「抱いて!」と叫びたい気分だったが、日中の優しい感触が頬を包んだ。
親指で涙を拭われる。
この優しさをもらえるなら。
「俺もいらない。日中だけでいい」
日中も笑ってくれると思っていたら、なぜか呆れたようにため息を吐いた。
「それなら、百合本という子とは別れてほしい」
「百合本? 別れる?」
「付き合ってるんだよね? うわさになってる」
「違う! 百合本は日中が大好きで俺も大好きだから、日中の話で盛り上がってたんだ! だから、付き合ってない!」
「だ、大好きって」
あれ? 日中の頬が赤く色づいている。
口元を手で隠しているがどうしたのだろう。
「日中?」
「あんまり近づかないで」
抵抗する日中の手を無理やりはがしてみると、はにかんだ顔が見えた。
こんなにゆるみ切った顔ははじめてだ。
頬は真っ赤だし、そらされた瞳は潤んでいた。
「何で、真っ赤?」
「う、嬉しいからだよ」
「そうなんだ、日中も嬉しいんだ!」
俺は嬉しさのあまり、日中に抱きつこうとしたら、華麗に避けられてしまった。残念。
「は、早く用意して、学校遅れるよ!」
顔を隠すように目線をそらした日中は、勢いよくこちらに背中を向けた。
今日も日の光をたっぷり浴びた笑顔は見られなかった。
でも、最上級に嬉しい言葉をもらったからよしとする。
「一番大事か」
好きや大好きよりも重い言葉に、にやける顔をやめられない。
日中は部屋を出てしまったが、いつものように迎えてくれるはずだ。
爽やかな笑みを浮かべて。
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