第三章 異世界での暮らし

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第三章 異世界での暮らし

 晴香が異世界へ転生してから、二ヶ月ほどが経過した。その間、晴香はずっとルーラル村で生活を続けていた。  ここでの暮らしは素晴らしかった。村の皆が、晴香をまるで王族のように敬い厚遇し、服従心を持って接してくれるのだ。  これまでにない経験だった。ずっと他者から拒絶され、中傷を受けていた人生が一変したのである。  やがて、いつしか晴香は『姫』と呼ばれるようにすらなっていた。  満たされた日々を過ごす晴香。しばらく日数が経つと、いくつかこの世界の実情を把握することができた。  その中で、特筆するべきものがいくつかあった。  一つが、この世界の公用語が日本語であることだ。初め、ロイや村人たちと言葉を交わした時にも驚いたのだが、それは、村へ訪れる行商人や交易人も同じだった。皆が日本語を使い会話を行っているのだ。  言葉だけではない。書物や書類へ書かれる文字も日本語であった。漢字やひらがな、カタカナが入り混じった文字を、現地人は当たり前のように使用しているのだ。  お陰で晴香は言語習得の必要性がなく、難なく異世界の人間たちとコミュニケーションを取ることが可能だった。当初は違和感があったものの、すぐに慣れが生じ、その感情はすぐに消え失せていた。  そして、異世界の文明の尺度。大体が、中世時代のヨーロッパレベルのように見受けられた。  移動は馬や馬車がメインで、機械の類は存在しない。建物はレンガ造りのものが多く、大抵がかまどと煙突を備える。まさにファンタジー世界然とした雰囲気だった。  まだ晴香はこの村から出たことはないが、話を聞く限り、街や都市はもっとファンタジー世界に近い景色のようだ。近々、ロイや村人たちが晴香を街へ連れて行ってくれるらしいので、その時を楽しみにしている。  他にもある。種族のことだ。この異世界には、晴香やロイのような種族(ヒューマンというらしい)以外にも、言葉を使い、文明的な生活を送る別の種族が生活しているのだ。  ルーラル村はヒューマンだけしかいなかったが、村を訪れる行商人や野菜などを買い取る交易人は違った。エルフと呼ばれる尖った耳を持つ、色白の美しい種族や、小柄で筋骨隆々としたドワーフなど、ファンタジー世界で定番の別種族の者たちが存在することを知った(この世界では、人間や人、人物という呼称は、ヒューマンだけではなく、全種族を指すらしい)。  映画や本の世界でしか目にすることがなかった彼らと遭遇し、晴香は感動を覚えた。  しかも驚くことに、彼らや彼女らは、村人たち同様、晴香の体臭に対し、著しい魅力を感じているようであった。晴香の体臭を嗅ぐと、人が変わったように晴香へ服従心を抱くのだ。そのお陰で、売り物を無料で貰うことも多々あった。  晴香のワキガに魅了されるのは、ロイなどのヒューマンだけではなく、全種族、つまり、異世界人全てであることがこの時点で判明した。  最後に魔法の存在。ファンタジーで定番の魔法は、この世界には存在しないらしいのだ。前の世界と同様、言い伝えや都市伝説のような噂の中では存在するようだが、現実に確認されてはいないようだ。  ただ、不可思議な効力を発揮する素材はある。最初、ロイと出会った時に、彼が手にしていたライトのように光を放つ石がそうだった。それ以外にも、火を発する石、無線のように音を別の石へ伝播する石など、前の世界では存在しなかった物が、この世界では一般家庭で当たり前のように使われていた。それらは魔石と呼ばれている。  他にも、炎を放つモンスターから作られた素材や、水を大量に保持できるモンスターから取られた素材も流通し、それらは村や街などのインフラにも利用されているとのことだ。そのため、上下水道は完備されていた。  魔石やモンスターの素材は、入手から流通、利用に至るまで生活に密接し、市場の一つとしても確立されているようだ。  晴香はそのような世界の中、何不自由ない生活を満喫していた。『姫』と呼ばれ、敬われる日々。出会う者皆が晴香の体臭を絶賛し、服従を誓っていた。異世界人は皆がワキガフェチなのだ。  そんなある日、ちょっとしたトラブルの話が晴香の耳へ舞い込んできた。  「農作物が荒らされている?」  晴香は、報告を行ったロイに聞き返した。  ロイは、整った顔に憂いを帯びさせながら頷く。  「ええ。そうなんです。ここ最近、頻繁に作物を取られているようなんですよ」  現在晴香は、村の皆が晴香のために建ててくれた家屋の居間にいた。目の前では、他の住居よりも豪華に形作られた暖炉が、くべた薪の火を静かに燃やしている。  晴香は質問した。  「動物とかモンスターの仕業とかじゃなくて?」  ロイは首を振った。  「それがどうも人の仕業らしいのです」  「人?」  この村は大陸の奥地にある。森に囲まれ、行商などの目的がないと、まず人が訪れない場所だ。晴香のように、迷いでもしない限りは。  「エイリックさんのところの畑もやられたみたいですよ」  奥の台所から、シルヴィア・ドリーフが夕食を載せたお盆を持って現れた。  シルヴィアは晴香のお手伝いだ。身の回りをさせるよう、村長からあてがわれた中年の女性。言い換えると、侍女といった存在である。  「エイリックさんの畑が? それは色々大変ね」  エイリックは、ルーラル村で一、二を争う大きな畑を持つ農家だ。晴香のワキガ臭を絶賛し、まるで女王陛下へ貢ぎ物をするかのように、晴香へ野菜をいつもくれていた。  そのエイリックの畑も被害を被ったとなると、事態はそれなりに深刻かもしれない。ましてや、相手が人間なら尚更だ。この村は農業で生計を立てているので、畑泥棒の類は天敵である。  ロイは言う。  「そこで夜間を通し、村の者で見張ることにしました。賊はどうも夜に盗みを働いているようなので」  「畑泥棒の犯人は一人なの?」  晴香は、着ている自身の制服を撫でながら訊く。この制服は、異世界へ転生してからも、ずっと身に付けているものだ。  「荒らされた規模からすると、一人のようです。だからと言って、安心できません。一刻も早く捕まえなければ」  それからロイは真剣な面持ちになり、続けて言った。  「そのため、危険ですから姫様は事が収束するまで、夜の間、決して外へ出ないようにして下さい」  ロイの忠告に、晴香は首肯した。  夕食の準備を終えたシルヴィアが、口を開く。  「姫様のことは私に任せなさい。何が起きても私の目が黒い内は指一本触れさせないよ」  シルヴィアは恰幅の良い体を揺らしながら、朗らかに笑ってみせた。  それから数日が経過した。夜警はずっと続いているようだったが、何の音沙汰もなかった。  村人が見張るようになったことを契機に、畑泥棒は盗みを断念したのかもしれない。  晴香がそう思い始めた矢先のことだった。  夜、晴香が床へついてしばらく経った時だった。村中に怒号が響き渡った。それから何かが壊れるような音と、争う声。そして女性のものらしき悲鳴。  その声を聞き、晴香ははっとした。どこか聞き覚えがある気がしたのだ。  晴香は弾かれたようにベットから降りると、ローファーを履き、自分の部屋から階下へ下りる。そして、玄関へ向かった。  急ぐあまり、途中床で転んで、右膝をパジャマ越しに擦り剥いてしまうが、気にしていられない。早く行かないと。  晴香は玄関を出て、月明かりの中、悲鳴が聞こえた方向へ走った。  しばらく走ると、人だかりが目に入った。エイリックの畑のそばだ。そこで光の魔石や、松明を手にした村人たちが、何かを取り囲んでいた。  晴香が村人たちの元へ辿り着くと、晴香に気がついた村人の一人が、晴香へ警告を発する。  「姫様! 危険です。近寄らないでください」  だが、晴香はその声を無視し、人だかりの中心を覗き見た。  晴香は目を疑う。まさかと思った。心臓が大きく波打つ。  村人たちの照明に照らされる中、そこにいたのは、かつてのクラスメイトの一人、棚瀬彩音だった。  彼女は晴香が普段、着用しているものと同じ服を着ている。紺のブレザーに赤いリボン、それから緑と黒のチェック柄のスカート。かつて、通っていた高校の制服だ。  「どうして……」  晴香は唖然と呟く。  彩音は追い詰められた兎のように、震えながら俯いていたが、晴香の存在に気がつくと、心底驚いた顔をした。  「峰崎さん!」  彩音は素っ頓狂な声を発した。  彩音自身は、野生児のように薄汚れているものの、腕や脚は無傷で、怪我は負ってないようであった。  手には畑から抜き取ったであろう、人参が握られている。  彩音が畑泥棒であることは一目瞭然だ。しかし、そんな事実よりももっと大切なことがある。  どうして、彩音がここにいるのだろう。  晴香はしばらく、その場で絶句していた。  畑泥棒が捕まったことで、村の皆は息を巻いていた。近くの街にある治安維持隊に引き渡そうとか、この場で殺そうだとか、いくつかの提案が湧き起こる。  その言葉を聞く度に、彩音は青ざめていたが、晴香の鶴の一声で、村長を含め村人たちは口を噤み、彩音への処罰は見過ごされることになった。  その後、村長へ晴香は彩音と二人で話をしたいと進言した。賊と二人っきりになるのは危険だと村長は難色を示したが、晴香が間近に詰め寄り強く頼むと、了承してくれた。  この世界の人間は、皆、晴香のワキガ臭を近くで嗅ぐと、どんな願いも聞いてくれるのだ。  それでも、村長は最低限の身の安全を慮り、彩音の身体チェックと、近くに護衛を置くように取り計らった。  身体チェックの結果、彩音はスマホはおろか、何も所持していないことが判明した。  晴香は一旦、自宅へ戻り、制服へ着替えると、彩音を引き連れて、村の中央にある集会場へ移動した。そして、集会場の一階にある一室で話を聞くことになった。  部屋のドアを閉じ、彩音と二人だけになる。彩音は、ずっと無言で震えていた。  晴香は、彩音へ単刀直入に訊く。  「棚瀬さん、どうしてこの世界にいるの?」  彩音は、小動物のようにピクリと小さく反応した。自分以外、晴香しかここにいないのにも関わらず、心底怯えきっている。よほど村人たちが恐ろしかったのだろう。それに、彩音の様子を見ると、捕らえられるよりも前から、受難が続いていたことは明白だ。  「あ、あの……。峰崎さんこそ、どうしてここに?」  彩音はこちらの質問に答えず、か細い声で逆に訊き返してくる。晴香は、怪訝に思った。彩音にも自分のワキガ臭は届いているはず。  彩音からもすえた臭いがするが、こちらのワキガの方が臭いは強い。この世界で、晴香のワキガ臭を嗅いで、命令に従わなかった者はいなかった。  晴香は、彩音に詰め寄り、もう一度質問を行う。  「答えて。どうしてこの世界にいるの?」  彩音は鼻柱を歪めた。懐かしい反応。前の世界で、晴香のワキガの臭いを嗅いだ者が見せる所作。  晴香のワキガを、悪臭として認識している証だった。  「い、色々あって私にも整理がついていないの。説明が難しいわ」  彩音は晴香の命令に従わず、困惑したままの様子を見せた。もしかして、と思う。  晴香は、強い口調で言った。  「だから、ここにくるまでの話をして。答えないなら、村の人を呼ぶよ。部屋の外で待機しているはずだから」  村人のことを口に出した途端、彩音は純朴な顔に怯えきった表情を浮かべ、何度も頷いた。  彩音は耳にかかったショートカットの髪をかき上げ、口を開く。  「その……、修学旅行で長野に向かう時、私たちが乗るバスが事故にあって……」  「事故?」  「うん」  彩音は頷くと、つどつどと顛末を話し始めた。  晴香が自殺した後の二ヵ月後、予定通り修学旅行は執り行われたらしい。空港へ向かい、長野へとバスで移動する。これも予定通りだった。  しかし、異変が起きた。目的地を目前に控え、山沿いを走行していた時である。何が原因かわからないが、晴香がかつて所属していた二年一組全員を乗せたバスが、道路から崖のほうへガードレールを突き破り、そのまま転落していったのだ。  気がつくと、彩音は妙な空間にいた。周りには、先生も含め、クラスメイト全員が揃っていた。ただし、運転手はいなかった。  そこで、突如として現れた自称女神であるエリエル=カウエルと名乗る女から、説明を聞いたのだ。  自分たちが死んだことや、これから異世界に転生されること。そして、転生される際に一つ、スキルと呼ばれる特殊能力が与えられ、それを自ら発掘しなければならないこと。ステータス画面でそれを確認できることなど。  女神からの説明が終わると、転生の儀が始まり、意識が薄れた後、この世界にいたらしい。  それまで周りにいたクラスメイトたちのほとんどが姿を消しており、近くにはなぜか、小塩雅秀だけがいたようだ。  彩音たちは草原のような場所へ降り立ったらしく、当てもなく彷徨わざるを得なかったという。  途中までは小塩と共に行動していたのだが、軽薄な容貌に比例して小塩は彩音に対し非常に冷たく、足手纏いとしてしか認識していなかったようだ。  彩音は裁縫部で、小柄な女子。だが、向こうは野球部で男である。小塩のペースに付いていけるわけがなく、足を止めることがしばしばあったらしい。その度に彼は、彩音を罵った。  やがて、二人は巨大な蛇と遭遇した。アナコンダのようなモンスターだ。そのモンスターは、二人に襲い掛かった。  恐怖に駆られた小塩は彩音のことなどお構いなしに、スポーツマンらしく鍛えられた健脚で、あっという間に彩音を置き去りにした。  彼は、彩音を見捨てたのだ。  残された彩音は、死に物狂いで逃げた。幸い、巨大な蛇は図体が大きいせいか、さほど動きは早くなく、小柄な女子高生の全力疾走でも、何とか撒くことが可能だった。  小塩から見捨てられ、一人草原を彷徨う彩音。  いつしか彩音は、森の中へ迷い込んだ。その後、この村を発見したのだが、得体の知れない場所で、得体の知れない人間たちに助けを求める気は起きなかった。  しかし、数日間彷徨ったせいで、腹は極限まで減っている。幸い、沢を発見したお陰で、喉の渇きは避けられたが、このままでは餓死が目前だ。  そこで彩音は、止むを得なく村の畑から作物を盗み出すことを選択し、やがて捕まってしまう。  怯えきった彩音の前に、現れたのが晴香だった、という流れである。  彩音の説明を聞き、晴香は様々な感情と思惑が、濁流のように頭の中で渦巻いていることを自覚した。  元クラスメイトたちが、この世界へ転生してきた――。  これは紛れもない事実のようだ。つまり、再び連中と相対することを意味している。彩音が転生してきて間もなく、こうしてすぐに晴香と再会したことからも、遭遇率は決して低くはないだろう。  今は薄れかけていた前の世界での屈辱が、脳裏へと蘇る。  晴香は唾を飲み込むと、小さく息を吐く。落ち着け。今はまだ動揺するタイミングではない。とりあえず、情報を得よう。  晴香は、彩音の説明で、気になったことを質問した。  「棚瀬さん、あなたが話したスキルとステータス画面って何?」  晴香が訊くと、彩音はおずおずと解説する。  「女神の説明であったんだけど、この世界に転生する時、一つだけスキルを貰えるみたい。女神から話を聞かなかったの?」  彩音の質問に、晴香はしばし硬直する。  ある程度女神から説明は聞いたが、自殺のことが頭を占有していたため、スキル関連の話は聞き逃していたようだ。  晴香は、きっぱりと言う。  「私のことはいいから。ねえ、そもそもスキルって何?」  彩音は怯みながら答える。  「魔法みたいな不思議な力」  「あなたも持っているの?」  晴香の問いに、彩音は頷いた。  「私が貰ったスキルは、ヒールって名前のスキルよ。人とか動物の怪我を治せるの」  「今使える?」  晴香がそう訊くと、彩音はおもむろに右手を晴香の右膝へと伸ばした。晴香の右膝には、家を出る際、転んで出来た傷がある。  彩音は、その右膝に手で触れると、小さく呟く。  「ヒール」  すると、右膝が緑色に光り輝き、患部がお湯をかけた時のように暖かくなった。  晴香は目を丸くする。右膝の傷が、みるみる塞がっていくのだ。  完全に傷がなくなり、晴香は唖然とした顔で彩音へ目を向ける。彩音はバツが悪そうに目を逸らした。  「実際は、スキル名を唱えなくても、念じるだけで使えるんだけど、つい口に出しちゃって」  「これがスキル……」  まさに魔法である。これはすごい。  このスキルのお陰で、数日間、草原や森を彷徨ったにも関わらず、彩音の体に傷らしい傷がなかったのだ。晴香は納得する。  晴香は訊いた。  「どうしてそのスキルが使えるってわかったの?」  「これも女神から説明されたことだけど、最初はわからないよ。偶然や何かのきっかけで気づくみたい。私の場合は、森で足を怪我した時、治らないかなって思いながら、傷口に触れたら、発動して自分のスキルを知ったの。それから、ステータス画面に名前が表示されるようになったわ」  「ステータス画面って何?」  彩音は手の平を中空に向け、言葉を発した。  「ステータスオープン――って、これも言わなくていいんだけど」  彩音の手の平の前に、映写機から投影されたような画面が出現した。これにも晴香は目を丸くする。  「ほら、ここの部分」  彩音が晴香の側に寄り、画面を見せてくる。鼻を啜りながらなので、晴香のワキガ臭を厭忌しているのは確実だろう。  晴香は、彩音の前に展開している画面を覗き込んだ。そこには、黒い背景色をしたプロフィール欄のようなものが表示されている。  上部には、彩音の名前や年齢、身長等の情報が白い文字で記載されており、その下には、身体測定の結果表のように、色々な数値が書かれてあった。  晴香は、彩音が指差している項目に目を通す。  項目の頭には『スキル名』と名称が明記されていて、下に自己PR欄のような大きな白枠があった。  その枠の中に、何やら書き込まれてある。  『ヒール(小)』  『裁縫』  計二つの名前が表示されていた。  「二つあるね」  「うん。多分だけど、前の世界で本人が持ってた技術なんかもスキルとして表示されるみたい。私、裁縫部だし、昔から裁縫は得意だから。でも、不思議な力があるのは、先頭にある貰ったスキルだけだと思うよ」  晴香は少し迷った後、先ほど彩音がやったように手の平を前に突き出し、声を出す。  「ステータスオープン」  手の平の前に、彩音と同じデザインのステータス画面が出現した。  晴香は自身のスキル欄をチェックする。  『ワキガ(大)』  晴香のスキル欄には、その一つしか表示されていなかった。  晴香はスキル欄を凝視しながら、しばらく思案する。  これはどういう意味だろう。やはりこの『ワキガ(大)』が晴香へ与えられたスキルなのか。  そう考える方が妥当な気がした。不思議に思っていたのだ。なぜワキガ臭などが、あれほどまでに異世界人を魅了させるのか。それは晴香に与えられたスキルだからだ。異世界人皆がワキガフェチだなんて、けっこう無理がある。  数日間野外を彷徨い、体臭がひどくなった彩音に、村人たちは興味を示さなかった。つまり、ただの体臭ではなく、ワキガという点が大事なのだ。晴香のワキガ対し、掛けられたスキルということであろう。  晴香はそう考えた。  自身のステータスを確認した晴香は、目の前の画面を消したいと思った。すると、晴香の意思を読み取ったように、ステータス画面がふっと消える。彩音が言うように、念じるだけで開閉ができるようだ。  「あの、峰崎さん」  すでにステータス画面を閉じ、晴香を見つめていた彩音が遠慮がちに訊いてくる。  「この村の人たちのことなんだけど……。どうして皆、峰崎さんに服従しているの? 姫って呼び名もどうして? もしかしてスキルのせい?」  説明したくないので、晴香は彩音の質問には答えなかった。無言で返す。  しばらくの間、重い沈黙が部屋を包み、彩音は気まずそうな表情を浮かべた。  そして、彩音は再び口を開く。村人に捕まった恐怖は随分と薄れたらしく、饒舌になっているようだ。あと、何か言いたいことをずっと胸の内に秘めていた雰囲気がある。落ち着いたことを契機に、実行に移すようだ。  彩音は、つっかえながら言う。  「あ、あの……峰崎さん、あなたが自殺した理由なんだけど……、その、やっぱり、クラスの皆からのいじめが原因なの?」  かっと、自分の顔が熱くなる。クラスメイトたちから受け続けた屈辱の日々。自殺を決意した時に生まれた、どす黒い『闇』の感情。  それらが揺り戻しのように、再び晴香に襲い掛かった。  押し黙った晴香を見て、彩音は肯定したと捉えたようだ。ぺこりと頭を下げる。  「ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまって」  彩音の言葉を無視し、晴香は着用している制服のスカートの裾を見つめた。  そこはあの時――晴香が自殺をした時――忍び返しに引っ掛けて、破れた部分だ。今はもうシルヴィアが縫ってくれて元に戻ったが、繕った跡は残っている。  それをじっと凝視していると、心の奥底に溜まっていた黒い感情が、怒りと共に湧き上がってきたことを自覚した。まるで、大地にできた亀裂から、マグマが徐々に吹き出すかのように。  あいつらがこの世界にいる。自分を苦しめ続けた連中が。自分を自殺にまで追い込んだ人間たちが。  どす黒い焔は晴香の全身を覆いつくし、やがては巨大な魔物のように、禍々しく変貌を遂げた。  自分が為すべきことがわかった気がした。  だが、その前に確かめることがある。彩音と話をした時、いくつかわかった点について。  晴香は彩音に向き直ると手を掲げ、命令口調で声を発する。  「跪きなさい」  彩音は困ったように、顔を歪ませた。晴香のおかしな言動に対し、純粋に困惑している風情だ。命令には従わない。ワキガの臭いは、確実に届いているはずなのに。  なるほど。やはりそうか。  「ど、どうしたの?」  彩音が、混乱した口調で言う。晴香は首を振った。  「何でもないわ。それじゃあ話も終わったことだし、ここを出ましょう」  晴香はドアへ向かい、力強く開ける。外の廊下には、村で一番の腕っ節を持ち、武闘会でも優勝した経験のあるタイス・マスネスが待機していた。  「姫様、もうよろしいのですか?」  晴香は、タイスの言葉には答えず、先ほど彩音にやったように、手を掲げて言う。  「跪きなさい」  「はっ!」  タイスは、弾かれたようにその場に跪き、頭を垂れる。身をかがめている状態なので、筋骨隆々とした肉体が盛り上がっていた。  背後から付いてきていた彩音が、タイスの行動を見て、目を丸くしている。  これで確定だ。ワキガの力は、異世界人にしか通じない。転生してきた別世界の人間に対しては、効力を発揮しないのだ。  「ついてきなさい」  晴香は、タイスと彩音を従者のように引き連れながら歩いた。  三人は、集会場から外へと出る。  外では、複数の村人たちが待機していた。村長もいる。  「姫様、ご無事でしたか」  「心配しておりましたぞ」  村人たちは、口々に晴香の身を案じる言葉を投げかけてきた。  晴香は、女王のように声高々に命じる。  「全員、その場に跪きなさい!」  その場にいた彩音を除く人間は、命令通り、一斉に跪いた。  跪く村人たちを見下ろしながら、晴香は思う。  転生した人間に、ワキガの力が通用せずとも関係がない。それがどうした。私にはちゃんとした『力』がある。ワキガの力が。スキルが。  必ず、クラスメイトたち全員を探し出し、復讐してやる。屈辱の日々だった恨みと、自殺を選択した苦しみを、あいつらにも味わわせてやるのだ。  すでに心の奥底に蘇った黒い炎は、晴香の全身を滾らせているのだから。  晴香は、跪いている村人たちを前に、そう心へ誓った。
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