うたごえ

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うたごえ

この監視社会。 来るところまで来てしまったと思う。 もはや社会が人を見張るのではない。 人が人を見張るのだ。 道ゆく人とすれ違う。 これだけで。 自分の行動が政府に知れてしまっている。 薄寒いことが。 平気で行われているんだ。 この流れの初めにあったのは。 ドライブレコーダーだろうか。 各車への装備が義務付けられている。 初めはそれぞれが自分のために装備していた。 でもそのカメラが、街頭の防犯カメラよりも、自分以外の事故や事件の瞬間を捉えていた。 自分とは関係のないものを。 第三者を監視する道具になっていた。 市民が市民を監視することに、特に違和感は持たれなかったようだった。 次はスマホやタブレットといった端末だ。 正確にはそこでやりとりされるデータ。 その記録をビッグデータとして蓄積し。 持ち主個人ではなく。 社会を監視する役割を持つようになった。 自分が見られているわけではない。 見ている側なのだ。 そう納得して。 多くの市民はデータを提出していった。 最終的には国民の関心もないまま制度化され。 提出アプリの装備が義務付けられている。 最後に監視の目となったのは。 人そのものだった。 扱われるのは、人の記憶。 数十年前。 脳に記憶された情報を。 電子データとして取り出す技術が生まれた。 初めはごく限られた犯罪捜査に用いていたが、今では各家庭に接続装置が置かれ。 寝る間に記憶が提出できる。 その記憶はプログラムによって処理され。 社会を監視している。 提出される記憶。 その大半は誰の目にも触れることはない。 プログラムによって処理され。 数値化されて。 社会という流れの中の一粒になるだけだ。 個人が見られているわけではない。 しかしある重要な事件や事故に関わると、その記憶を読み取り、画像として取り出す。 もちろん人の記憶は曖昧で。 主観を含んで変わっていくので。 客観的な事実と照合しなければならない。 証拠になりうる情報だけを抜き出す。 記憶界析と呼ばれる技法だ。 いく層にも広がる人の記憶を読む。 界析官という専門の捜査員がいる。 弁護士に扮したこの男も。 ナナセも。 界析官だったのだと。 今になって気がついた。 ナナセが依頼するファイルの中の。 あの独特な画像。 あれは。 記憶の中の映像を。 可視化したものだったのだろう。 「君、記憶提出をしていないよね」 男は聞いてきた。 寝るときに頭に装置をつけて。 夜の間に記憶を提出できるのだが。 「まだ義務化はされてないでしょ」 「まだ、ね」 カイチは記憶提出をしていない。 しかし義務化は秒読みだ。 政府による記憶提出をする人への優遇措置。 言い換えれば提出しない人への冷遇だが。 かなりの差別をしている。 カイチもナナセからの高収入がなければ。 ほとんど収入がない中で。 多額の税金を払わされ。 生活は立ち行かなくなるところだった。 提出しない人を社会から駆逐する勢いだ。 実際には提出しない人を社会のシステムから弾き出したに過ぎない。 先ほどの発言は。 アウトロー予備軍とでも思われたのだろう。 「ナナセは界析官だったんですね」 「知らずに協力していた?」 「言われたことをして、  金をもらってただけです」 「そういうわけにもいかなくなったんだろう。  素性を探りに来るんだから」 「あいつ、秘密主義なんで」 あの海の光景は。 あの窓は。 なんだったのか。 なんなのか。 男が、右手を差し出した。 「サイキだ」 どういうつもりか計りかねる。 反応に迷っていると。 「君自身の記憶は読んだことはないが、  ナナセの記憶では、  君はわりと信頼されてる」 こいつ。 ナナセの記憶を読んでいるのか。 あのナナセが記憶提出していたことも驚きだ。 でも国家公務員という立場なら。 しないわけにはいかないのか。 自分の知らないところで。 自分を知られている。 いざ目の前に現れると。 非常に居心地が悪い。 「誰にでも言うわけじゃない。  君だから言うんだ」 「俺だから?」 たしかに。 自分のひどく個人的なことを。 一方的に知っていおいて。 親しくなどできるわけがない。 でもだからこそこいつは今。 その不公平を変えるために。 言ったんだろう。 捻られて調子のおかしくなった手を出すと。 握られた。 「ナナセのこと、頼むよ」 弁護士の笑顔じゃない。 捜査員の眼光だ。 カイチも、その手を握り返した。
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