うたごえ

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真夏の炎天下も。 雪の中の捜索も。 徹夜のネット探索も。 これまでは楽な方だったと。 そう言わざるを得ない。 今回の依頼は。 達成できる気がしない。 いつも通り呼び出されて。 ナナセの家の書斎へ行くと。 いつものファイルの代わりに。 ボイスレコーダーを渡された。 入っているのは一つのデータ。 嫌な予感がしている。 再生すると。 入っていたのは。 女性の歌声だった。 歌というより鼻歌かハミングのような。 歌詞は聞き取れない。 曲名は知らないが。 メロディは聞いたことのある。 本当に短い歌だ。 子守唄か何か。 その断片だけの音。 拾えるのは声だけ。 「これをどうしろと…」 「どこで、  誰によって歌われたか、  調べてくれ」 「これだけで?!」 いくらなんでも無理がある。 「誰の声かも分からないわけ?」 「分からない」 界析官なら、声紋認証で歌い手を探すとか。 この歌に関する記憶界析するとか。 何か引っかかるものはないのかと。 聞きたいが。 下手に聞くわけにはいかない。 ナナセの仕事を知っていると。 感づかれるわけにはいかない。 ただそうなると。 「ちょっと、  何から始めたらいいかも、  分からないんだけど」 ナナセも眉間に皺を寄せてる。 とっかかりが掴めないでいるのだろう。 「誰かに聞かせてみてもいい?」 「誰かって?」 「誰かだよ。  その辺の人に、  この歌知ってますかー?って」 「ダメ」 「依頼だとかナナセの話とかはしないよ」 「ダメ」 譲らない。 これではどうしようもない。 「…じゃあとりあえず時間ちょうだい。  何ができるか考えるから」 「頼んだ」 とは言っても。 あれもダメ、これもダメ。 どうしたものか。 「ふーんふふーん、  ふーんふふーん」 とりあえず自分で真似してみる。 このフレーズしか思い出せない。 「ふんふんふーうんふん?」 こんなのだったっけ? 首を傾げる。 「鼻歌歌ってどうしたの?」 別件の仕事中もメロディがループしていた。 「いや、  なんか思い出してただけですよ」 「随分と古い歌を知ってるのね」 「これ聞いたことある?」 「子守唄ね。  眠れー、眠れーって」 「それだ!」 歌詞で検索する。 「マチさんありがと!」 「大昔の歌だけど、いつ知ったの?」 「えー?分かんない。  小さいときに聞いたんじゃないかな」 笑って誤魔化す。 依頼人の老女は、目尻に皺を寄せる。 「物知りな親御さんだったのね」 「そうかな…」 あまりしつこく聞かれるわけにもいかない。 「じゃあ、  この子を病院まで、  連れてけばいいんですよね」 老女の膝から。 毛の長い猫を抱き上げる。 「お願いね」 診察券を受け取り。 「行ってきます」 ケージに入れて連れて行く。 今日は高齢で一人暮らしのマチさん家。 寒くなって猫の通院が大変になったので。 代わりに連れて行く仕事だ。 カイチはリズミカルに玄関を飛び出し。 「ねーむれー」 口ずさみながら道を行く。 ふと。 振り返る。 茶色の窓枠を見上げる。 濃い赤のカーテンがかかっている。 マチさんの家というのは。 ナナセの依頼で写真を撮った。 あの窓のある古い家だった。 写真を撮っていたら。 住人のマチさんに声をかけられ。 咄嗟に写真が趣味だと嘘をつき。 素敵なお宅だと褒めたら話が弾んで仲良くなってしまい。 便利屋稼業の不安定さを心配され。 依頼をしてもらうほどになってしまった。 ナナセには言えない。 「じゃあ先輩、がんばれ」 ケージごと猫を預ける。 先輩というのは猫のことだ。 もちろん猫には。 マチさんがつけた西洋風の洒落た名前がある。 ただどうも恥ずかしいので。 勝手に先輩と呼んでいる。 先輩は特にどこが悪いわけでもない。 ただ飼い主以上に高齢なので。 定期検診を欠かさないようにしている。 食べ物に気を使っているからか。 歳のわりに目も歯も脚腰もしっかりしている。 少々動きがゆっくりなくらいだ。 小一時間の検診を終えて。 やや覇気のなくなった先輩を連れて帰る。 「ねーむれー」 また口ずさむ。 おつかれの先輩への子守唄だ。 ふと。 先輩が急に。 ケージの中で立ち上がった。 「どうした?うち着いたぞ?」 そう言いながら。 家に近づくと。 違和感がした。 また。 あの窓を見上げる。 胸騒ぎがする。 濃い赤のカーテン。 それが。 揺れた。 人影が見えた。 動きが素早い。 マチさんじゃない。 「誰ですか!」 窓に向かって叫ぶ。 応答はない。 人影は奥に逃げたらしい。 家に飛び込んだ。 「マチさん!」 「おかえりー」 マチさんは呑気にキッチンでお茶を入れていた。 「2階に誰かいる?」 「え?」 「マチさん外出てて!」 猫のケージでドアを押さえて。 「離れてて!」 言い捨てて階段を上がる。 「誰かいるんですか!」 2階には上がったことがなかった。 間取りも分からない。 とりあえず手近なドアを開ける。 物置だ。 背後で何かが動いた。 振り返る。 影が別なドアに入っていく。 「待って!」 追いかける。 寝室だ。 ドアの正面に窓。 内側から見ても。 あの窓だとすぐに分かった。 この窓がなんなんだ。 一瞬躊躇した。 その瞬間に。 人影は窓を開け放ち。 「待て!」 2階だぞ。 飛び出そうとしたその背に。 伸ばした手は。 宙を掴んだだけだった。 空っぽの手と。 開け放たれた窓。 次の瞬間。 下で。 鈍い音がした。
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