コメンテーターと国民

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「つまりですね、このような事では全然国民の理解を得られないんですよね」 なんとなく付けたテレビの中でコメンテーターが声高(こわだか)(まく)し立てているのが聴こえてきた。 「では、どうすれば良かったんでしょう?」 「そりゃ、色々とあるとは思いますが先ずは相手に対する誠意ある対応ですね。金銭問題と言われている件という表現はどうかと思いますよ」 「でも、そもそも彼の問題ではないという人も居ますが?」 「世間はそうはみませんよ。国民の理解を得られる対応とは言えません」 世間はそうはみない? 世間がどうみるかこの人にはわかるのだろうか? それに国民の理解を得られる対応? この人はどうやって国民の理解を得られたかどうか判断するつもりなんだろう? それとも、自分が納得したらそれで「国民の理解を得られた」というのだろうか? 自分は国民の代表という心持ちなのだろうか? 「確かに、わたしもその点は国民の理解が得られそうにないと思ってました」 あ、この人もだ。 テレビに出る人は自分が国民の意見の代弁者だと言う心持ちなのだろう。 そんな気持ちになるのもわかる。 気持ちが大きくなって自分に酔ってるんだろうな。 しかし、実際は国民の理解を得られたかどうか正確に把握する手段などないだろう。 この人たちは自分らがどれくらい不毛な事を言ってるか理解をしてはいないんだろうなぁ。 それでもこの不毛な話題が誰かの役に立ってるのだろうか? まぁ、どうでも良いけど。 僕はチャンネルを変えた。
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