本当の気持ち

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本当の気持ち

 一人で空回るくらいなら、誠に思っていることを伝えるべきだった。どうして逃げ出したのか、訳を話すべきだろう。受け止めてもらえなくとも、一人うじうじしているよりもマシだ。  道江と店の前で別れたあと、天音は意を決して誠のアパートへ向かった。連絡先を知らないので、それ以外の手段がない。また図書館で、というには気持ちが溢れすぎている。 「ちゃんと話をしないと解決しない」  彼の家へ行ったのは二度ばかりだが、コンビニからの道筋は覚えていた。はやる気持ちを表すように、どんどんと足早になる。  そんな天音の歩みは、道の角を曲がったところで止まった。数メートル先、外灯の下に立つ人に、自然と胸が高まり始める。  誠の姿を目に留めた天音は、すぐさま声をかけようと足を踏み出す。  だがあとも少し、というところで足が凍り付いたように動かなくなる。別の道から駆けてきた人物が、勢いよく誠に抱きついた。  さらには頬に手を伸ばし、目の前に立つ彼に、唇を寄せる。  そこに見えた横顔に、心臓を握りつぶされるような心地にさせられた。  キスを仕掛けた雪宮を抱きとめる誠を目の前にして、思わず天音は声を上げそうになり、とっさに口を塞ぐ。 「誠、俺のこと好きだろう?」 「うん、好きだったよ」 「やっぱり。俺もずっと好きだった。図書館にばかり顔出してたの、俺の気を引きたかったから? もっと早く確かめたら良かった」  二人の会話が、声がどんどんと遠くなる。身体が無意識に後ずさると、持っていた長傘が手からこぼれ落ちた。  小さな音が響いた途端、天音は弾かれるようにその場から逃げ出した。 **  そのあとは、どこをどうやって歩いてきたのかも覚えておらず、通り過ぎる車のヘッドライトに照らされ、ようやく天音は自分のいる場所に気づく。  顔を上げた先には、いつもの見慣れた景色。もう少し先を行けば、自宅マンションに着く。こんな時でも人は冷静に家へ帰るのかと、そう思うとなんだかおかしな気分になる。  それでもいまごろは二人一緒にいるのだと、頭に思い浮かべるだけで、胸の中が墨を落としたようになった。 「結局は片想いがうまくいかなくて、気の迷いを起こしただけだったんだな。きっと目が覚めたんだ」  あの日、逃げ出して正解だった。そう思いたくはなかったが、ひどく正しい選択であったようにも思える。  関係が深くなってから、誠が間違いに気づいたら、傷はさらに大きくなっていただろう。  そもそもなにもかもが遅すぎたのだ。一方的に避け続けて、自分の都合だけで誠の気持ちを確かめようとした。  身勝手な行動のツケが回ってきたに違いない。 「もう、考えるのやめよう。きっと最初から縁がなかったんだ」 「天音さん!」  深く吐き出したため息に被る、大きな声。警戒する間もなく腕を掴まれて、天音の肩が跳ねた。 「……え、なんで」  自分を見下ろす人物に気づくと、天音は声を上擦らせた。そこにいるのは見間違えようもない、先ほど見かけたばかりの誠だ。  なぜ追いかけてきたのか、訳もわからず見つめ返すと、彼は天音の腕をさらにキツく掴む。 「離して!」  なにも言わずに見つめられているのも落ち着かなかったが、いまの誠は天音の心の声が聞こえる。それを思い出して、とっさに手を振りほどいてしまった。  すると誠の顔がひどく傷ついた表情を浮かべる。気まずさが心の内に広がって謝りかけるが、雪宮とのことが頭をかすめ、そのまま彼に背を向けた。  後ろから名前を呼ぶ声が聞こえるけれど、天音は振り返ることなく歩き出す。  降り出した雨の音とともに、二つの足音が夜の静けさの中に響いていた。  黙り込んだ天音に、もう声をかけてはこないが、誠が後ろをずっとついて来ているのがわかる。  そのまま無視をしているつもりだった天音は、自宅マンションが近づき、さすがに足を止めた。 「どこまで、ついてくるの?」 「天音さんが、俺と向き合って話をしてくれるまで。どこまででも」 「話すことなんて、なにもないよ」 「さっき俺たちを見ていたよね?」 「し、知らない」 「嘘だ。落ちてた傘から天音さんの音が聞こえた。だから背中を追いかけてきたんだ」 「え?」  誠の言葉に思わず振り向くと、彼はゆっくりと近づいてきて天音の手を掴んだ。再び振りほどこうとしたが、今度はまったく離れていかない。 「離してよ! 触らないで」 「なんでそんなに泣き出しそうな音をさせるの?」 「……なんで、誠くんは僕に構うの! サボテンのユキは彼なんだろ。両想いで良かったじゃないか!」 「良くないよ。やっぱり誤解してる。俺が好きなのは、天音さんだよ」 「嘘ばっかり! キスして、好きだって返事した!」 「違うよ。あれは向こうが早とちりしただけだ。確かに好きだったとは言ったよ。だけどそれは過去の気持ちだ。俺は断った! どうせ聞くなら、話は最後まで聞いてよ!」  語気を強める誠の声に身体をすくませると、彼は天音を抱き寄せた。両腕にきつく抱き寄せられて、天音の中に不安が浮かんだ。  必死で身じろいで、離れようともがく。  ――触らないで、覗かないで、聞かないで  嫉妬にまみれた自分の内側を知られる、その恐怖で、押し離そうとする天音の手が震えた。 「この音って、もしかして全部、天音さんの心の声? 俺に、天音さんと同じ力があったってこと?」 「やだ、離して」  さらに強く腕の中に抱き込まれて、瞳に浮かんだ涙がこぼれ落ちる。小さくしゃくり上げると、誠は天音の髪を優しく撫でた。 「天音さんの中、俺でいっぱいじゃない?」 「違う!」 「嘘つき。俺のことが好きって、言ってるの伝わってくるよ。すごく甘くて柔らかくて、ちょっと切ない音だけど。天音さんはいま、俺の声は聞こえないの? 俺と同じように伝わったらいいのに」 「お願い、離し、て……っ」  誠の手がさするように頬を撫でると、寄せられた唇が天音のものを塞ぐ。やんわりと押し当てられたぬくもりに、胸の音が騒ぎ、息苦しさを覚えた。  胸が締めつけられるほどの、甘い口づけ。触れた先から、すべてが伝わってしまいそうに思える。けれど伝わったのは天音の声ではなく、彼のもの。  ――好き、好き、好きだよ。本当に好きだから、俺に振り向いて欲しい。  突然絡みつくような感情が押し寄せて、飲み込むかのように、天音の心をさらっていこうとする。口づけが深くなるほど、聞こえる声は大きくなっていく。 「なに、これ」 「もしかして聞こえた? 俺の声、届いた? 目いっぱい、心を込めてみた」  呆然としたまま誠を見つめれば、彼は天音の頬を愛おしそうに撫でて、もう一度唇にキスをした。  胸の音が響くような穏やかな優しい音。そこからさらに、熱いほどの想いが伝わって来る。それは言の葉に変わると、天音の中にじわりと染み込んできた。  相手に触れるだけで、心の声が聞こえるのは、初めての体験だ。 「身体、冷えてるね。家まで送るよ」  恭しくそっと手を引かれて、天音は抵抗することを忘れてしまった。
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