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八月某日。私、増川洋子の何でもない日常は、唐突に始まった。
「洋子おはよう。……って、めっちゃ焼けてんじゃん!」
「そう? あんま変わって思うけど、まあ一週間もずっと炎天下にいたから焼けるか」
夏大から帰還して数日後、私は補習を受けるために学校に来た。グラウンドでチームが練習をしているのを素通りして教室に行くなんて、はっきり言って違和感しかない。ただこれからはそれが当たり前になる。野球の無い“何でもない日常”に自分が耐えられるのか、ちょっと不安だ。
この二年半の間、私には野球が全てだった。野球のことを考えていなかったことなど一時も無い。それだけ青春を捧げてきたのだ。
もちろん順風満帆だったわけではない。心が折れそうになることもたくさんあった。特に印象に残っているのは、もはや言うまでもない。二年生の夏の出来事だ。
私は一年生の秋に外野の一角としてレギュラーに定着し、一年間守り続けてきた。しかし夏大の直前で、入部して三ヶ月にも満たない紗愛蘭にその座を奪われたのだ。当時は実力も結果も彼女には負けていたので、私としてはそうなる覚悟もしていた。だからメンバー発表後、どこか煮え切らない紗愛蘭の姿を見ても、苛立たず背中も押せたのだろう。
そうは言ってもショックは計り知れなかった。翌日からグラウンドに行くのがとてつもなく嫌になり、いっそのことどこかへ消えてしまいたいとすら思った。大切にしていたものを失ってすぐに立ち直れるほど、私は強くなかった。
逃げ出すという選択肢もあるにはあった。しかし野球が好きだという純粋な気持ちと、自らの存在価値が分からなくなる恐怖が、私を踏み止まらせたのだ。
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