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「私……」
「自分を責めないで」
春南が更紗の肩を優しく抱く。大丈夫だというようにやんわりと撫で、更紗を落ち着かせようとした。ツキも、更紗の手の甲を舐めて慰める。
しかし更紗は、自分を責めずにはいられなかった。朔が離れてしまったことは、自業自得だったのだ。
「私、春南さんから話を聞いていたのに……」
「聞いてたって、気持ちがどうしようもなく高まってしまえば、そんなのどこかへ飛んじゃうわよ。実際そうだったんでしょう? そうでなければ、更紗さんは必死に抑えたはずだから」
「……」
春南の手が、更紗の頭に乗る。何度も優しく撫でられ、更紗の目に涙が溜まっていく。朔も、いつもこうして更紗の髪を撫でてくれた。
「だから私……嫌われちゃったんでしょうか」
「へ?」
「私がっ……朔さんに……」
「ちょ、ちょっと待って」
春南は慌てて更紗に向き合うと、更紗が涙を堪える様子に苦笑を漏らす。
「誰が誰を嫌うって? もう……そんなわけないでしょう!」
「え……?」
「あーあ。更紗さんを泣かしたってバレたら、私、朔さんに怒られちゃう」
春南はハンカチを取り出し、更紗の目にそっと当てた。そしてまた、更紗の頭を柔く撫でる。
「仮に、更紗さんが朔さんを求めても、朔さんは何とか躱すだろうと思ってた。そしてそれが逆でも、更紗さんがストップをかけるだろうと思っていたの」
「でも……」
「そう、結局二人して止まらなかったのよね? ツキはそれをいち早く察知したものだから、止めに入ったのよ」
更紗は膝の上のツキに、ポツンと呟く。
「……ツキって、そんなことまでわかるの?」
「ワォン!」
ツキは元気よく返事をする。
ツキは全てを見通している。そう思うと、更紗の頬がじわじわと赤味を増していった。同性で同じ立場の春南が相手だと全く平気だが、ツキとなると話は別だ。
赤くなった顔を隠すように俯く更紗を揶揄うように、春南はおどけて言う。
「ツキは、絶対に二人の婚姻を成立させたいのよ。だから、あえて邪魔したってことだと思うわ。そうよね? ツキ」
「ウォン!」
「まぁ……多少ツキの嫉妬も入ってたかもしれないけどね」
「ウォンウォン!」
そのとおりとでもいうようなツキの反応に、更紗は思わず笑ってしまった。ようやく更紗の笑顔が見れたと、ツキは嬉しそうにはしゃぎ出す。
「もう、ツキ! 落ち着いて!」
「ウォンッ!」
「ツーキ!」
何とかツキを捕まえることに成功した更紗は、ツキを抱いて空を見上げる。
空気は冷たいが、陽射しは温かい。青空が広がっており、久しぶりに雲がほとんどない晴天だった。この分なら、今夜は月が美しく見えることだろう。
「朔さんが更紗さんを避けているのは、また暴走しないため。更紗さんの顔を見ちゃうと、自分を抑える自信がないんでしょうね」
「……春南さん」
「ねぇ、これは二人にとっていい機会だと思うの。よく考えてみて。朔さんへの気持ちは、本当に更紗さん自身のものなのかしら? 月読命様に引きずられたりしていない? きっと……朔さんもそれを自分に問いかけていると思うの」
朔への想い。
更紗の中では、揺るぎないものだと思っていた。だが、月読命に引きずられていないかと改めて問われると、考え込まずにはいられなかった。
今の気持ちは、本当に更紗自身のものなのだろうか。狛犬の嫁という立場に引きずられてしまってやしないか。いや、でも──。
「考える必要はあるけど、答えを焦る必要はないわ。大丈夫。ある日突然、ストンと腑に落ちたりするものだから」
春南はそうだったのだろうか。
「……はい。私、ちゃんと考えてみます」
自分の心を見つめる。それは、決して簡単なことではない。自身を見つめるには、第三者のような冷静さが求められるからだ。
上手くいくかどうかわからない。だが、朔への想いを見つめ直すことは、今の更紗にとって必要不可欠なことだと思えた。
「クゥーン」
ツキがちょん、と鼻を擦りつけてくる。更紗は指でその鼻をつつき、微笑む。その微笑みに、春南が安堵し、胸を撫で下ろしていた。
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