心を見つめる

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「更紗」  一緒に暮らすようになってから、仕事以外の時間はともにいた。更紗は朔の隣でいつも柔らかな笑みを浮かべ、朔に力を与え、また癒していた。  夜になると、更紗を抱きしめて眠る。それがさらに朔の心を落ち着け、穏やかにした。以前と比べて随分と眠りが深くなり、体調もよくなったくらいだ。  警戒心の強い朔にとって、常に誰かが側にいることは落ち着かないことだった。しかし、更紗だけは例外だった。今ではもう、側にいないことがこれほどまでに気持ちをざらつかせる。 『更紗さんが狛犬の嫁でなければ、そこまで惹かれたか?』  陽から問われたその一言に、朔はすぐに答えることができなかった。何故なら、そんなことは考えたこともなかったからだ。  出会った時にすぐにわかった。更紗は自分の嫁となる人間なのだと。だから、それ以外の目で更紗を見たことなどなかったのだ。  もしも、更紗が狛犬の嫁となる能力を持っていなかったら? 月読命に選ばれていなければ? 「そんなの……わかるわけがないだろう」  更紗と朔を結び付けたのは、間違いなく月読命だ。  陽と春南は元々知り合いで、偶然ここで再会した。お互いに恋愛感情ではないとはいえ好意を持っていたのだから、そこから恋愛へ発展することは自然だし、いくらでも理由がつけられる。  しかし、朔と更紗は全くの見知らぬ者同士。更紗が自分とは何の関わりもない人間だったなら、あの日、いつものように顔も見ずにさっさと立ち去っていたのではないだろうか。それとも──。  頭がこんがらがってきて、ぐしゃぐしゃと髪を乱す。束ねている紐が畳に落ち、長い髪がバサリと広がる。 「チッ」 「ご機嫌斜めだな」  その声に振り返ると、いつの間にか陽が部屋の襖を開けていた。 「何だ?」 「朔、顔が怖い」 「放っておけ」 「そういうわけにはいかない。そんな顔じゃ、更紗さんが怯えるだろう?」 「え……」  陽の陰から、更紗の姿が見えた。朔の心臓が大きな音を立てる。  久しぶりに正面から見た更紗の顔は、どこかぎこちない。それに、少し痩せた印象を受けた。 「更紗さんと買い物に行ってくれないか?」 「陽……」 「春南は今手が離せない。俺もここを離れるわけにはいかない。悪霊たちの動きが気になるからな。何かあった時には俺が対処した方がいい。お前は落ちていく時期だし。でも、更紗さん一人で出歩かせるのも危ないだろう? 例の男がまた現れないとも限らない」 「……」  陽の言うことはわかるが、ずっと避けていたのにいきなり一緒に行動しろと言われても困る。無意識に朔は眉間に皺を寄せていた。 「あの……私、一人でも大丈夫ですから」  無理やり作ったような笑顔で遠慮する更紗に、朔は思わず大きな声を出す。 「ダメだ!」 「ダメだよ!」  朔と陽の声が見事に重なる。更紗は目を見開き、小さく笑った。 「さすが兄弟ですね。タイミングも言うこともおんなじ」  表情を和らげる更紗に、朔はたまらない気持ちになる。込み上げてくる想いを必死に抑える。  ──今すぐ、この腕に閉じ込めたい。 「朔」 「……わかった。ちょっと待て」  朔は髪結紐を拾い、髪をまとめる。紐を結ぼうとして、再び畳に落としてしまう。朔は動きを止め、溜息をついた。  どうやら、自分で思っている以上に動揺しているようだ。目を瞑っていてもできるような、こんな簡単なことも失敗してしまうほどに。
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