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満月が近づくにつれ、朔の体調は下降線を辿る。そして、陽と朔の二人の力が一番弱まる半月の日が近づいていた。
満月に向かう半月、つまりは上弦の月。下弦の月の時のような悪霊の集合体が現われでもすれば、今度はどうなってしまうのか。
二人が大きな怪我を負う前にツキに出てきてもらいたい。そのため、更紗はツキのご機嫌取りに余念がなかった。ツキとしては、更紗が頻繁に構ってくれるのが嬉しくてたまらないようだ。ちぎれるほど尻尾を振り、更紗にべったりとくっついている。
「ツキ、下りろ」
「ギャウ!」
面白くないのは朔だった。今も更紗の膝の上で微睡むツキに、そこから下りろと凄んでみせるが、ツキも朔を威嚇する。更紗は苦笑するしかない。
朔が再び家で生活するようになり、以前のような同居が復活した。
更紗も朔も、あの時のように自分の気持ちが暴走しないよう気を付けている。それでも、朔は隙さえあれば更紗に触れてくるようになった。調子の悪い今、それはますます顕著になってきている。
更紗に触れると、月読命の力が僅かながらでも朔に流れる。それで少しは持ち直せるのだ。ただ、それだけが理由ではない。
「嫁に触れたいと思うのは当然のことだ。あまり我慢していると、また暴走しかねない」
と、わかるようなわからないような理屈で、ツキに負けじと更紗に構う。そんな朔を見ると、最初に会った時の印象がもはや信じられないものに感じる。
淡々とした冷たい目をしていた。あまりの美しさに見惚れてしまったが、何の感情もこもらない瞳、冷静沈着なその表情に、畏怖の念を抱いた記憶がある。
「朔さん、お仕事の方は一段落ついたんですか?」
「あぁ。次の仕事もあるが、明日からにする」
「お疲れ様でした。それじゃ、お茶の用意を……」
ソファから立ち上がろうとする更紗を留め、朔はツキの首根っこを掴んで更紗の膝から無理やり下ろす。ツキは嫌がって暴れるが、朔は強引だ。
「朔さん!」
「ツキばかりずるい」
「え……」
そう言って、朔は更紗の膝に頭を乗せ、ソファに横たわった。更紗の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
これは所謂、膝枕というものだ。以前にもやったことはあったが、更紗の胸はドキドキと高鳴る。前の時はもっと心が穏やかだったような気がするが、今は何故か緊張している。
「あ、あの……頭、痛くないですか?」
他の部位より肉が多少ついているとはいえ、ふかふかというわけにはいかない。クッションか何かを敷いた方がいいだろうかと思ってそう尋ねると、朔がくつくつと笑う。
「痛くない」
「クッションを敷いた方が……」
「このままの方がいい」
「……っ」
朔が更紗を見上げる。こういうシチュエーションは滅多にない。
更紗は、朔を真上から見下ろす。朔の顔は、どういったアングルから見ても隙がない。神が精魂込めて作り上げた芸術品のようだ。見惚れずにはいられない。
二人は視線を合わせ、見つめ合う。それだけで、更紗の鼓動はどんどん速くなる。たまらず目を閉じると、朔が手を上げ、更紗の頬に触れた。
「更紗」
「朔さん……」
まるで吸い寄せられるように、更紗は身を屈めていく。あともう少しで唇が触れるという時、それは起こった。
「ワォンッ!」
すかさずツキがソファに飛び乗り、突進する。
もふ。
更紗の唇が触れたのは、ツキの頭だった。そしてツキの足は、見事に朔の顔を踏みつけていたのだった。
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