上弦の月

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 *  ひんやりとした冷たい空気に、更紗は身体を震わせる。空を見上げると、月の姿をはっきりと捉えることができた。  見えているのは、くっきりと半分だけ。今夜は、上弦の月。  朔は、陽とともに神社の方へ向かった。  霊の姿は見えるが、その気配までは感じ取ることができない。そんな更紗でも、ねっとりとまとわりついてくるような嫌な空気に胸がざわつく。 「朔さん……無事でいて」  胸の前で手を合わせ、そう祈る。  いつものように額を合わせた時、行かせたくないとどれほど思ったことか。  自分の中の月読命の力を全て朔に注ぐことができればいいのに。  とにかくできるだけ多くの力をと、更紗はいつも以上に集中した。 『更紗、もう大丈夫だ』 『あと、少し……』 『あまり時間をかけると……』  陽を待たせてしまう、と更紗はようやく額を外す。朔を見上げると、朔は僅かに顔を背けていた。よく見ると、ほんのりと耳が赤くなっている。 『朔さん?』  朔は顔をこちらに向け、切なげに目を細めた。そして、更紗の額に唇を落とす。まるで、綿がふわりと触れるかのように。 『離れ難くなる』 『……っ』 『それじゃ、いってくる。できるだけ早く終わらせて戻るから』 『はい。……待ってます』  朔の口角が緩やかな弧を描く。そしてその瞳はますます細まった。  しかしすぐにいつもの淡々とした表情に戻ると、艶のある漆黒の髪をなびかせ、颯爽と出て行く。黒い髪によく映える白の髪結紐は、今日も更紗が結んだ。 「今頃……もしかして悪霊と戦ってるのかな……。ね、ツキ」 「ワォン」  更紗の側にはツキがぴったりとくっついている。  ツキは基本、自分の行きたいところへ行き、留まりたい場所に留まる。眠る時だけは母屋だが、それ以外は自由だ。そんなツキは、新月を過ぎた頃から更紗にくっついていることが多かった。  春南は「よほどツキに気に入られてるのね」などと言うが、更紗はそれだけではない別の理由があるような気がしている。それが何なのかはわからないけれど。  そんなことをぼんやりと考えていると、突然ツキの耳がピンと立ち、慎重に辺りを見渡すような仕草を見せた。 「ツキ?」 「グウゥ……」  喉の奥で唸るような音を出す。普段あまり聞かない声だ。それに、ツキの全身の毛が逆立っていた。 「ツキ、もしかして朔さんが危ないの?」  ツキの異変に、更紗は気が気でない。  上弦の月、陽と朔の力は二人合わせても最弱になる。その上、朔は満月に向かって力が落ちている最中なのだ。いつもなら軽くいなせるような場面でも、怪我を負うようなことになっていることは十分に考えられる。 「ツキッ! ……え」  いきなり更紗の耳に、得体の知れない音が飛び込んできた。聞こえるというより、頭に響くといった感覚なのだが、その感覚に集中していくと、それは人の声のように感じた。 「なに……?」  その声は掠れ、今にも消えてしまいそうだ。それが男性のものだと確信すると、更紗は青ざめ、後先を考えずに駆け出す。 「朔さん!」  微かに聞こえるその声が、朔のものかどうかはわからない。だがもし朔だったら。そう思うと、居ても立っても居られなかった。 「ウォンッ! ウォンッ!」  ツキが何度も吠えて、更紗を止めようとする。しかし、更紗は止まらなかった。そのまま家を飛び出してしまう。 「ウォーーーーンッ!」  ツキが遠吠えのような声を出したことはわかった。だが更紗はそれにも構わず、一目散にその「声」めがけて駆けて行った。
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