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司狼が深々と頭を下げる。生まれてこのかた、司狼にこんなことをされた覚えはない。
陽と朔はようやく全ての悪霊を退治し、それぞれの家へ戻ろうとしていた矢先だった。
「すまない……朔」
その一言で、朔の顔が一瞬にして強張る。司狼が自分に向けて頭を下げる、その意味はたった一つしかなかった。
「更紗に……何があった?」
「え? ちょっと待て。えっと、ツキは? 更紗さんにはツキがくっついていただろう?」
陽が朔の隣で焦りまくっている。司狼は力なく首を振り「わからん」と一言答えた。
玲二によって遠くへ飛ばされてしまったツキだが、それくらいでどうにかなるはずはない。しかし、すぐに戻ってこられない何かがあった。そうでなければ、更紗が攫われそうになっていたあの場面で、ツキが出てこないわけがないのだから。
司狼は二人のところへ行く道すがら、ツキの気配を必死に探した。だが、敷地内のどこにもツキはいない。こんなことは初めてだった。
「ツキも……どこへ行ったかわからんのだ」
「なんで? それ、どういうことなんだよ!」
「親父、全部話せ」
大慌てな陽に比べ、朔は落ち着いている。だがそれは、暴走しそうになる自分を必死に抑えているにすぎなかった。
何はともあれ、すぐに更紗を助けたい。話など聞いている場合ではない。今すぐ、更紗の元へ──。
だが、ツキと司狼が側にいたにもかかわらず、更紗に何かが起こってしまった。これは由々しき事態だ。ここで感情の赴くまま勝手な行動をすれば、どうなるかは火を見るより明らかだった。
「朔……わかっている。起こったことを全て話す」
「とりあえず落ち着いて話すなら、ここより母屋の方がいい。そして……春南も呼ぶ。いいな、親父」
「あぁ」
更紗に何かあったのなら、全員がその事実を把握しておくべきだ。
司狼と朔は母屋の茶の間へ直接向かう。陽は春南に声をかけ、後で向かうことになった。
茶の間は毎日三回、食事が終わった後で全員がともに寛ぐ場所だ。何か話し合う時でも、大体はここで行う。
「あの……本当に私もここにいていいんですか?」
急に呼び出された春南は、戸惑いながら皆の顔色を窺う。
茶の間に入った途端、重苦しい空気が立ち込めおり息が苦しくなる。朔はともかく、司狼はひどく憔悴した顔をしており、沈んでいる。こんな司狼は春南も見たことがなかった。
「いいんだ。大事な話だから、お前も聞かなきゃいけない」
「陽……」
不安げな春南の背をあやすようにトントンと叩き、陽は春南を自分の隣に座らせる。
全員の目が司狼に集中した。司狼はゆるりと皆を見渡し、再度頭を下げる。だが今度はすぐに顔を上げ、しっかりとした口調で淡々と事のなりゆきを説明し始めた。司狼の話を聞き、全員が驚愕の表情を浮かべる。
「あいつ……性懲りもなくまた来たのか。それだけじゃなく、また悪霊に憑りつかれやがって……」
「しかも集合体だろ? ツキが飛ばされるくらいだから、相当力の強いやつらだ。……どうりでこっちの手応えがなかったはずだよ」
陽と朔は、あまりにも数の多い悪霊たちに翻弄されていた。だが、一体一体の力はさほどでもない。ほんの軽い一撃で消えてなくなるようなレベルだ。
しかし、そんなレベルでも異常な数ともなれば退治には時間がかかる。一気に片付けられる量を優に超えているのだ。それに、今日は上弦の月。二人の力も最弱で、より時間がかかってしまうのは仕方のないことだった。
「更紗さん……」
「大丈夫だよ、春南。更紗さんは俺たちが必ず助ける」
今にも泣き出しそうな春南の肩を抱き、陽が励ますように明るく笑う。ゆっくりとこちらを見つめる春南に、朔も声をかけた。
「更紗は俺の嫁です。絶対に俺が助けます」
春南は無理やり笑みを浮かべ、コクリと頷く。
「それにしても、ツキがいないのは気になるな」
陽の言葉に朔も同意する。
ツキが月川神社の外へ出ることなど、これまでに一度もなかった。
一度もない──。
朔がハッとした顔で司狼を見ると、司狼は薄く笑った。
「朔、お前もそう思うか」
「あぁ。……ツキは、月川神社のどこかにいる。気配を消して」
「えぇ!? そんなことありえんのか? でも、なんで気配なんて消す必要が……」
「更紗もここにいるんだ」
「……はぁ!?」
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